捨てられた妻は悪魔と旅立ちます。

豆狸

文字の大きさ
12 / 15

第十二話 後悔<デズモンド視点>

しおりを挟む
 意識が戻れば、火傷も頭の打撲もすぐに治っていった。
 むしろ三日間眠り続けていたことによる衰弱の回復のほうに時間がかかった。
 ハンナが出歩けるようになるまで一ヶ月ほどかかり、やっと外出出来るようになった彼女はペッカートル侯爵家の主治医が付けてくれた助手とともに王都にある神殿へ赴き──

「離縁?」

 一年間の白い結婚による離縁の手続きを済ませ、神殿に提出する書類をデズモンドへの土産として持ち帰って来た。
 考えてみれば当然のことだ。この一ヶ月、彼女を守っていたのはデズモンドではない。
 仕事の出来ない役立たずと罵るフラウダや見舞いと称してデズモンドとの仲を見せつけようとするペルブランからハンナを守ったのは、主治医が看病につけてくれた助手の女性だった。助手の女性がいなければ、ハンナはまた不幸な事故に遭っていたかもしれない。

 あのとき目覚めたハンナの言葉を聞くまで、デズモンドは事故だと疑っていなかった。
 いつまでも女主人の部屋から出てこない彼女を案じて訪れたとき、窓は閉まっていたのだ。
 にもかかわらず扉の鍵は開いていたことを怪しむべきだった。ハンナが嫁いで来たときに、この家の人間には気をつけるようにと、デズモンド自身が口を酸っぱくして注意をしたのだ。引き出しのことでデズモンドが彼女を訪ねたときは、確かに鍵がかかっていた。

(僕を見送った後で鍵をかけるのを忘れてしまったのか……)

 ペルブランの縁談が見つかっていないという話に衝撃を受けたのかもしれない。
 ハンナはおそらく、年老いた富豪との縁談話を知っていた。
 デズモンドがペルブランに泣きつかれて、その話を断ったことにも気づいていたのだろう。ペルブランはハンナの療養中に学園を卒業したが、まだ縁談は決まっていない。

「確実に持参金を取り戻すための白い結婚認定ですか」
「自分が愛されていないことを周知させるなんて、どこまで惨めなの?」

 まだデズモンドが書類に署名もしていないのに、当主夫人に対するものとは思えないような罵声がフラウダとペルブランの口から飛び出てくる。
 ハンナを引き留めても自分では守れない。
 デズモンドは諦めて書類に署名をした。口の立つ女達に逆らえず、本当に大切にするべき人間を捨て去る自分の姿が、大嫌いだった父親の先代侯爵とまったく同じであることに、彼は気づかない振りをした。

 署名を済ませた書類を渡すとき、デズモンドの指がハンナの手に触れた。
 一年間夫婦で、幼いころから婚約者だったのに、彼女に触れるのは久しぶりだった。
 指先から伝わる温もりに、手を握り合って鳥の声を聞いたことを思い出す。胸の奥から熱い想いがこみ上げてきた。

「ハ、ハンナッ!」
「……はい? なんでしょう、ペッカートル侯爵様」

 侯爵邸の応接室で前の席に座っているハンナと、後ろに立つフラウダとペルブランの視線がデズモンドに突き刺さる。

「いや、その……申し訳ないんだが、持参金はすぐには返せない。知っていると思うが、ペッカートル侯爵家に金はないんだ」

 背後のフラウダとペルブランは勝ち誇った顔をしているのだろう。
 ハンナから金だけを奪い取ってやったと。
 羞恥で俯いたデズモンドに、ハンナは言った。

「存じております。私もこれからの生活がありますので、返済される予定の持参金の権利は神殿に譲渡いたしました」
「神殿に譲渡?」
「はい。私はもう手数料を除いた持参金相当のお金を神殿からいただいています。ペッカートル侯爵家から持参金を取り立てるのは神殿です」
「……っ」

 デズモンドは言葉を失った。フラウダ達もだろう。
 光の女神を祭る神殿はこの国の国教を司っているが、国に属する組織というわけではない。光の女神教の人間はこの国以外にもいるのだ。
 ハンナ本人や国の機関なら、持参金の取り立てよりもペッカートル侯爵家の存続を優先してくれるかもしれない。

 しかし神殿は違う。
 光の女神の名のもとに、自分達の組織の富を増やすために、彼らは容赦のない取り立てをおこなう。返済予定の持参金を神殿への借金と見做して、勝手に利子もつけるに違いない。
 一年後、ペッカートル侯爵家は残っているのだろうか。

「な、なんて卑怯な……」
「信じられないわ」

 自分達は平気で卑怯な真似をする人間は、自分達への正当な反撃を卑怯だと決めつけるものだ。ハンナが無視したフラウダ達の呟きは、デズモンドには突き刺さった。

(君が死んでしまうと思ったんだ……)

 一ヶ月と三日ほど前、意識を失って倒れているハンナを見つけたときのことを思い出す。
 最初の一日は付きっきりだった。
 焦燥するデズモンドを案じた主治医に自分の寝室で休むように言われて、戻ったらベッドにペルブランがいた。
 ハンナはもう目覚めない、死んでしまうのだと不安を煽られて、誘惑されて一線を踏み外した。

 言い訳などしようがない。
 もとからペルブランに惹かれていなければ、さっさと彼女の縁談を決めて相手の家に送り込んでいれば、そんなことにはならなかった。
 わざわざ使っていない女主人の部屋に隣接した仮眠室を開けなくても、主治医の指示のもと夫婦寝室へハンナを運べば良かったのだ。混乱して泣き叫んでいる間にフラウダが取り仕切っていたというのは、自分の失点に過ぎない。

「どうなさるのです、デズモンド様!」
「どうにかしてよ、デズモンド!」

 ハンナが出て行った部屋で、愚かな自分が選んでしまったふたりの声を聞きながら、デズモンドは心の中で無意味な後悔を繰り返す。

(どうしてあんなことをしてしまったんだ。どうしてハンナに言われた時点で調べなかったんだ。証拠がなくったって、僕はこの家の主人だ。フラウダに味方する使用人達もすべてクビにして、新しい人間を雇えば良かった。遠縁に過ぎないペルブランの面倒だって見る必要はなかった。ペッカートル侯爵家自体が困窮してるんだから)

 無意味でも後悔をしている間は、指先に残ったハンナの温もりが消えないような気がしていたのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼女を選んだのはあなたです

風見ゆうみ
恋愛
聖女の証が現れた伯爵令嬢のリリアナは聖女の行動を管理する教会本部に足を運び、そこでリリアナ以外の聖女2人と聖騎士達と出会う。 公爵令息であり聖騎士でもあるフェナンと強制的に婚約させられたり、新しい学園生活に戸惑いながらも、新しい生活に慣れてきた頃、フェナンが既婚者である他の聖女と関係を持っている場面を見てしまう。 「火遊びだ」と謝ってきたフェナンだったが、最終的に開き直った彼に婚約破棄を言い渡されたその日から、リリアナの聖女の力が一気に高まっていく。 伝承のせいで不吉の聖女だと呼ばれる様になったリリアナは、今まで優しかった周りの人間から嫌がらせを受ける様になるのだが、それと共に他の聖女や聖騎士の力が弱まっていき…。 ※史実とは関係なく、設定もゆるい、ご都合主義です。 ※中世ヨーロッパ風で貴族制度はありますが、法律、武器、食べ物などは現代風です。話を進めるにあたり、都合の良い世界観となっていますのでご了承下さい。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。

幼馴染と結婚したけれど幸せじゃありません。逃げてもいいですか?

恋愛
 私の夫オーウェンは勇者。  おとぎ話のような話だけれど、この世界にある日突然魔王が現れた。  予言者のお告げにより勇者として、パン屋の息子オーウェンが魔王討伐の旅に出た。  幾多の苦難を乗り越え、魔王討伐を果たした勇者オーウェンは生まれ育った国へ帰ってきて、幼馴染の私と結婚をした。  それは夢のようなハッピーエンド。  世間の人たちから見れば、私は幸せな花嫁だった。  けれど、私は幸せだと思えず、結婚生活の中で孤独を募らせていって……? ※ゆるゆる設定のご都合主義です。  

捨てられたなら 〜婚約破棄された私に出来ること〜

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
長年の婚約者だった王太子殿下から婚約破棄を言い渡されたクリスティン。 彼女は婚約破棄を受け入れ、周りも処理に動き出します。 さて、どうなりますでしょうか…… 別作品のボツネタ救済です(ヒロインの名前と設定のみ)。 突然のポイント数増加に驚いています。HOTランキングですか? 自分には縁のないものだと思っていたのでびっくりしました。 私の拙い作品をたくさんの方に読んでいただけて嬉しいです。 それに伴い、たくさんの方から感想をいただくようになりました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただけたらと思いますので、中にはいただいたコメントを非公開とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきますし、削除はいたしません。 7/16 最終部がわかりにくいとのご指摘をいただき、訂正しました。 ※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。

ただ誰かにとって必要な存在になりたかった

風見ゆうみ
恋愛
19歳になった伯爵令嬢の私、ラノア・ナンルーは同じく伯爵家の当主ビューホ・トライトと結婚した。 その日の夜、ビューホ様はこう言った。 「俺には小さい頃から思い合っている平民のフィナという人がいる。俺とフィナの間に君が入る隙はない。彼女の事は母上も気に入っているんだ。だから君はお飾りの妻だ。特に何もしなくていい。それから、フィナを君の侍女にするから」 家族に疎まれて育った私には、酷い仕打ちを受けるのは当たり前になりすぎていて、どう反応する事が正しいのかわからなかった。 結婚した初日から私は自分が望んでいた様な妻ではなく、お飾りの妻になった。 お飾りの妻でいい。 私を必要としてくれるなら…。 一度はそう思った私だったけれど、とあるきっかけで、公爵令息と知り合う事になり、状況は一変! こんな人に必要とされても意味がないと感じた私は離縁を決意する。 ※「ただ誰かに必要とされたかった」から、タイトルを変更致しました。 ※クズが多いです。 ※史実とは関係なく、設定もゆるい、ご都合主義です。 ※独特の世界観です。 ※中世〜近世ヨーロッパ風で貴族制度はありますが、法律、武器、食べ物など、その他諸々は現代風です。話を進めるにあたり、都合の良い世界観となっています。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。

婚約解消しろ? 頼む相手を間違えていますよ?

風見ゆうみ
恋愛
伯爵令嬢である、私、リノア・ブルーミングは元婚約者から婚約破棄をされてすぐに、ラルフ・クラーク辺境伯から求婚され、新たな婚約者が出来ました。そんなラルフ様の家族から、結婚前に彼の屋敷に滞在する様に言われ、そうさせていただく事になったのですが、初日、ラルフ様のお母様から「嫌な思いをしたくなければ婚約を解消しなさい。あと、ラルフにこの事を話したら、あなたの家がどうなるかわかってますね?」と脅されました。彼のお母様だけでなく、彼のお姉様や弟君も結婚には反対のようで、かげで嫌がらせをされる様になってしまいます。ですけど、この婚約、私はともかく、ラルフ様は解消する気はなさそうですが? ※拙作の「どうして私にこだわるんですか!?」の続編になりますが、細かいキャラ設定は気にしない!という方は未読でも大丈夫かと思います。 独自の世界観のため、ご都合主義で設定はゆるいです。

愛してもいないのに

豆狸
恋愛
どうして前と違うのでしょう。 この記憶は本当のことではないのかもしれません。 ……本当のことでなかったなら良いのに。 ※子どもに関するセンシティブな内容があります。

もう彼女の夢は見ない。

豆狸
恋愛
私が彼女のように眠りに就くことはないでしょう。 彼女の夢を見ることも、もうないのです。

この罰は永遠に

豆狸
恋愛
「オードリー、そなたはいつも私達を見ているが、一体なにが楽しいんだ?」 「クロード様の黄金色の髪が光を浴びて、キラキラ輝いているのを見るのが好きなのです」 「……ふうん」 その灰色の瞳には、いつもクロードが映っていた。 なろう様でも公開中です。

処理中です...