捨てられた妻は悪魔と旅立ちます。

豆狸

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第十三話 手紙<デズモンド視点>

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 ハンナと離縁して三ヶ月ほど経っただろうか。
 デズモンドは港へ来ていた。
 今日、世界を旅する観光客船が出港するのだ。客船の乗客とその見送りが集まって、港には人だかりが出来ていた。

 どんなに人がいても、デズモンドの瞳はハンナを見つけ出す。
 彼女は学園時代の友人達と会話をしていた。話しながら女性達は泣いている。
 世界を旅する観光客船がこの港へ戻ってくるのは何年も先だ。船は戻って来てもハンナは旅先を気に入って永住するかもしれない。これが永遠の別れになる可能性もあるのだ。

 ハンナを取り囲む女性達も、彼女達の隣で赤ん坊を抱いたり所在なげにしたりしながら立っている青年達もデズモンドは知っていた。
 学園にペルブランが入学するまでは、彼らと昼食を摂っていたのだ。
 お互いの親の愚痴を言ったり領地の未来を語ったり、自分の婚約者を惚気たりしていた。どうしてペルブランを優先して、彼らとの付き合いを疎かにしたのだろう。

 デズモンドは、本当はわかっていた。
 ペルブランが美しかったからだ。
 ハンナのことは愛していたが、彼女は少し地味でおとなしい女性だった。デズモンドは、突然現れた身寄りのない哀れな美少女を思いやる自分に酔っていたのだ。

 そろそろ出港のようだ。
 銀髪の美しい青年がハンナに声をかける。
 ハンナと青年はふたりで見送りの人間に挨拶をすると、船の中へ入っていった。

 デズモンドはその銀髪の青年を知らなかった。
 彼は学園の卒業生ではない。人脈作りのために学園へ通っていたのだから同世代の顔は知っている。
 なのに、なぜか懐かしさを感じた。ずっと一緒にいた人間のように思える。

(ハンナの父親が愛人達を連れ込んだときに辞めさせられた使用人だろうか)

 遠目でもわかる、あの美しさの持ち主ならデズモンドも覚えているはずだ。
 あんな男がハンナの近くにいたら、不安でたまらなかっただろう。
 妙な懐かしさを感じるのに、いくら考えても彼の正体を思い出せないでいる間に、船は去っていった。ハンナは甲板から見送りに手を振っていたが、白い結婚で別れた元夫に過ぎないデズモンドに目をやることはなかった。デズモンドがここに来ていることも知らないのだから当然だ。

 ハンナを見送っていた貴族令息のひとりが、デズモンドに気づいて苦笑を寄越す。彼の両親は健在で領地の経済状況も良好なため、王都で妻子と優雅に暮らしている跡取り息子だ。
 デズモンドがひとりで出席した夜会で偶然会って、彼は妻の目を盗んでハンナの旅立ちを教えてくれたのである。
 彼から赤ん坊を受け取って微笑むのは、ハンナの一番の親友だ。学園時代は何度もペルブランのことで注意を受けた記憶がある。

 ほかの見送りもみんな幸せそうだった。
 デズモンドは彼らに見つからないようにして帰路に就いた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 デズモンドがひとりで夜会に出席したのは、新しい妻を見つけるためだった。

「ちゃんと責任を取って君を妻にするよ、ペルブラン」

 精いっぱいの誠意のつもりで言った言葉に彼女は答えた。

「アタシはデズモンドの側にいられればいいの。ペッカートル侯爵家を建て直すためにあの女ハンナよりも持参金持ちの女を捕まえて来てよ。デズモンドは顔が良いんだから、きっとすぐに見つかるわ」
「ペルブラン様のおっしゃる通りですわ、デズモンド様」

 フラウダはデズモンドを『ご主人様』や『旦那様』と呼ぼうとしない。
 先代侯爵で、自分の情人でもあった男を今でも慕っているというよりも、自分のほうがデズモンドより上だと思っているからだろう。
 彼女の瞳にはいつも嘲りの色がある。

 愚かなデズモンドはふたりに逆らえないし、神殿からの返済請求でペッカートル侯爵家の今後が危ぶまれるのも事実だ。
 デズモンドは夜会へ足を運んだ。
 ペルブランの言う通りの顔の良さで何人かとは親しくなれたが、結婚という話にはならなかった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 港からペッカートル侯爵家へ戻ったデズモンドは、こっそりと裏庭へ向かった。
 ハンナがいなくなってから、毎日この木のもとへ通っている。
 季節は変わっていた。今の木には小さな実が生っている。八歳のあの日にハンナと声を聞いたのとはべつの鳥が、これから彼女が訪れる海の向こうからやって来ていた。

 ハンナが連絡場所にしようと言っていたうろには、今は住民がいない。リスはとっくの昔に引っ越していた。
 なんの気なしに覗いて、デズモンドはそこに手紙を見つけた。
 いつからあったのだろうか。うろの中でも吹き込む雨風に晒されて、かなり色褪せている。

(ハンナが残してくれた手紙なのか?)

 デズモンドは手紙を服の下に隠して、ペッカートル侯爵邸の女主人の部屋へ走った。
 ハンナがいなくなってから、この部屋の鍵を持つのはデズモンドひとりだ。
 この部屋にだけは、フラウダもペルブランも踏み入れさせていない。

 執務机に向かって手紙の宛名を確認したデズモンドは、思わず失望の溜息を漏らした。
 それは亡くなった母、リンダに宛てた手紙だったのだ。
 裏に書かれた差出人は知らない男性の名前だった。

(母さんが不貞?)

 自分のことを棚に上げて、怯えながら中の便せんを広げる。
 差出人は母の浮気相手ではなく神殿の神官だった。神殿に併設されていた孤児院の子どもについて母が問い合わせたことに対する返信のようだ。
 その孤児院は火事で燃え落ち、子ども達に関する書類もなくなってしまったと聞くが、彼らの出生はもう確認出来ないのか、と母は尋ねていたらしい。

「……」

 読み進めていくうちに、デズモンドの顔から血の気が引いた。
 母が確認したがっていたのは、ひとりの少女のことだった。
 しばらくの間侯爵家から追い出されていたフラウダが実家で産んだ子ども。当然先代侯爵の子どもでデズモンドの妹だ。リンダは状況によってはその子の継承権を認め、財産を譲渡しようと考えていた。どんなにフラウダが憎くても、子どもには罪がないと言って。

(……ペルブラン……!)

 彼女が孤児院にいたのは少しの間だけで、すぐにドゥス子爵家に引き取られていた。
 だれにでも良い顔をする先代侯爵が、愛人のフラウダに泣きつかれて遠縁の子爵家に頼ったのだ。ドゥス子爵夫妻に子どもはいなかった。
 ペルブランの義両親の死後、分家が子爵家を継いで彼女を追い出したのは当然のことだった。彼女は最初から子爵家の人間ではない。

(ペルブランは知っているのか? こんな……禁忌っ!)

 デズモンドに新しい妻を見つけろと言いながら、ペルブランは夫婦寝室で眠っている。関係を持ってからずっとだ。
 彼女は知らないのかもしれないと、デズモンドは思った。
 フラウダはもちろん知っているだろう。孤児院が焼けたことで出生を証明出来ないと考えて、ふたりを結びつけることを選んだに違いない。フラウダ自身がペッカートル侯爵家の最高権力者になるために。

 デズモンドは父が亡くなる前日のことを思い出した。
 先代侯爵はデズモンドとペルブランが親密になることを嫌がっていた。
 フラウダになにを言われても聞かず、ペルブランを修行者として神殿に入れて俗世から切り離すと宣言した翌日に亡くなったのだ。父はペルブランを娘として受け入れる気はなかったのだろう。もちろん異母兄のデズモンドと結ばせるなんて思うはずもない。

「禁忌……ふふ、ふふふ。……今さらか」

 確かに今さらだった。
 デズモンドはすでに不貞の禁忌を侵している。
 彼は知らない。もう火を焚くことのないこの部屋の暖炉で、自分がこの後一枚の紙を見つけることを。それがあのときハンナが焼こうとしていたものと同じものだということも。

 ──神殿の言うみっつの禁忌すべてに関わっていたことを知った自分が、正気を保てないことも。
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