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第十二話 後悔<デズモンド視点>
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意識が戻れば、火傷も頭の打撲もすぐに治っていった。
むしろ三日間眠り続けていたことによる衰弱の回復のほうに時間がかかった。
ハンナが出歩けるようになるまで一ヶ月ほどかかり、やっと外出出来るようになった彼女はペッカートル侯爵家の主治医が付けてくれた助手とともに王都にある神殿へ赴き──
「離縁?」
一年間の白い結婚による離縁の手続きを済ませ、神殿に提出する書類をデズモンドへの土産として持ち帰って来た。
考えてみれば当然のことだ。この一ヶ月、彼女を守っていたのはデズモンドではない。
仕事の出来ない役立たずと罵るフラウダや見舞いと称してデズモンドとの仲を見せつけようとするペルブランからハンナを守ったのは、主治医が看病につけてくれた助手の女性だった。助手の女性がいなければ、ハンナはまた不幸な事故に遭っていたかもしれない。
あのとき目覚めたハンナの言葉を聞くまで、デズモンドは事故だと疑っていなかった。
いつまでも女主人の部屋から出てこない彼女を案じて訪れたとき、窓は閉まっていたのだ。
にもかかわらず扉の鍵は開いていたことを怪しむべきだった。ハンナが嫁いで来たときに、この家の人間には気をつけるようにと、デズモンド自身が口を酸っぱくして注意をしたのだ。引き出しのことでデズモンドが彼女を訪ねたときは、確かに鍵がかかっていた。
(僕を見送った後で鍵をかけるのを忘れてしまったのか……)
ペルブランの縁談が見つかっていないという話に衝撃を受けたのかもしれない。
ハンナはおそらく、年老いた富豪との縁談話を知っていた。
デズモンドがペルブランに泣きつかれて、その話を断ったことにも気づいていたのだろう。ペルブランはハンナの療養中に学園を卒業したが、まだ縁談は決まっていない。
「確実に持参金を取り戻すための白い結婚認定ですか」
「自分が愛されていないことを周知させるなんて、どこまで惨めなの?」
まだデズモンドが書類に署名もしていないのに、当主夫人に対するものとは思えないような罵声がフラウダとペルブランの口から飛び出てくる。
ハンナを引き留めても自分では守れない。
デズモンドは諦めて書類に署名をした。口の立つ女達に逆らえず、本当に大切にするべき人間を捨て去る自分の姿が、大嫌いだった父親の先代侯爵とまったく同じであることに、彼は気づかない振りをした。
署名を済ませた書類を渡すとき、デズモンドの指がハンナの手に触れた。
一年間夫婦で、幼いころから婚約者だったのに、彼女に触れるのは久しぶりだった。
指先から伝わる温もりに、手を握り合って鳥の声を聞いたことを思い出す。胸の奥から熱い想いがこみ上げてきた。
「ハ、ハンナッ!」
「……はい? なんでしょう、ペッカートル侯爵様」
侯爵邸の応接室で前の席に座っているハンナと、後ろに立つフラウダとペルブランの視線がデズモンドに突き刺さる。
「いや、その……申し訳ないんだが、持参金はすぐには返せない。知っていると思うが、ペッカートル侯爵家に金はないんだ」
背後のフラウダとペルブランは勝ち誇った顔をしているのだろう。
ハンナから金だけを奪い取ってやったと。
羞恥で俯いたデズモンドに、ハンナは言った。
「存じております。私もこれからの生活がありますので、返済される予定の持参金の権利は神殿に譲渡いたしました」
「神殿に譲渡?」
「はい。私はもう手数料を除いた持参金相当のお金を神殿からいただいています。ペッカートル侯爵家から持参金を取り立てるのは神殿です」
「……っ」
デズモンドは言葉を失った。フラウダ達もだろう。
光の女神を祭る神殿はこの国の国教を司っているが、国に属する組織というわけではない。光の女神教の人間はこの国以外にもいるのだ。
ハンナ本人や国の機関なら、持参金の取り立てよりもペッカートル侯爵家の存続を優先してくれるかもしれない。
しかし神殿は違う。
光の女神の名のもとに、自分達の組織の富を増やすために、彼らは容赦のない取り立てをおこなう。返済予定の持参金を神殿への借金と見做して、勝手に利子もつけるに違いない。
一年後、ペッカートル侯爵家は残っているのだろうか。
「な、なんて卑怯な……」
「信じられないわ」
自分達は平気で卑怯な真似をする人間は、自分達への正当な反撃を卑怯だと決めつけるものだ。ハンナが無視したフラウダ達の呟きは、デズモンドには突き刺さった。
(君が死んでしまうと思ったんだ……)
一ヶ月と三日ほど前、意識を失って倒れているハンナを見つけたときのことを思い出す。
最初の一日は付きっきりだった。
焦燥するデズモンドを案じた主治医に自分の寝室で休むように言われて、戻ったらベッドにペルブランがいた。
ハンナはもう目覚めない、死んでしまうのだと不安を煽られて、誘惑されて一線を踏み外した。
言い訳などしようがない。
もとからペルブランに惹かれていなければ、さっさと彼女の縁談を決めて相手の家に送り込んでいれば、そんなことにはならなかった。
わざわざ使っていない女主人の部屋に隣接した仮眠室を開けなくても、主治医の指示のもと夫婦寝室へハンナを運べば良かったのだ。混乱して泣き叫んでいる間にフラウダが取り仕切っていたというのは、自分の失点に過ぎない。
「どうなさるのです、デズモンド様!」
「どうにかしてよ、デズモンド!」
ハンナが出て行った部屋で、愚かな自分が選んでしまったふたりの声を聞きながら、デズモンドは心の中で無意味な後悔を繰り返す。
(どうしてあんなことをしてしまったんだ。どうしてハンナに言われた時点で調べなかったんだ。証拠がなくったって、僕はこの家の主人だ。フラウダに味方する使用人達もすべてクビにして、新しい人間を雇えば良かった。遠縁に過ぎないペルブランの面倒だって見る必要はなかった。ペッカートル侯爵家自体が困窮してるんだから)
無意味でも後悔をしている間は、指先に残ったハンナの温もりが消えないような気がしていたのだ。
むしろ三日間眠り続けていたことによる衰弱の回復のほうに時間がかかった。
ハンナが出歩けるようになるまで一ヶ月ほどかかり、やっと外出出来るようになった彼女はペッカートル侯爵家の主治医が付けてくれた助手とともに王都にある神殿へ赴き──
「離縁?」
一年間の白い結婚による離縁の手続きを済ませ、神殿に提出する書類をデズモンドへの土産として持ち帰って来た。
考えてみれば当然のことだ。この一ヶ月、彼女を守っていたのはデズモンドではない。
仕事の出来ない役立たずと罵るフラウダや見舞いと称してデズモンドとの仲を見せつけようとするペルブランからハンナを守ったのは、主治医が看病につけてくれた助手の女性だった。助手の女性がいなければ、ハンナはまた不幸な事故に遭っていたかもしれない。
あのとき目覚めたハンナの言葉を聞くまで、デズモンドは事故だと疑っていなかった。
いつまでも女主人の部屋から出てこない彼女を案じて訪れたとき、窓は閉まっていたのだ。
にもかかわらず扉の鍵は開いていたことを怪しむべきだった。ハンナが嫁いで来たときに、この家の人間には気をつけるようにと、デズモンド自身が口を酸っぱくして注意をしたのだ。引き出しのことでデズモンドが彼女を訪ねたときは、確かに鍵がかかっていた。
(僕を見送った後で鍵をかけるのを忘れてしまったのか……)
ペルブランの縁談が見つかっていないという話に衝撃を受けたのかもしれない。
ハンナはおそらく、年老いた富豪との縁談話を知っていた。
デズモンドがペルブランに泣きつかれて、その話を断ったことにも気づいていたのだろう。ペルブランはハンナの療養中に学園を卒業したが、まだ縁談は決まっていない。
「確実に持参金を取り戻すための白い結婚認定ですか」
「自分が愛されていないことを周知させるなんて、どこまで惨めなの?」
まだデズモンドが書類に署名もしていないのに、当主夫人に対するものとは思えないような罵声がフラウダとペルブランの口から飛び出てくる。
ハンナを引き留めても自分では守れない。
デズモンドは諦めて書類に署名をした。口の立つ女達に逆らえず、本当に大切にするべき人間を捨て去る自分の姿が、大嫌いだった父親の先代侯爵とまったく同じであることに、彼は気づかない振りをした。
署名を済ませた書類を渡すとき、デズモンドの指がハンナの手に触れた。
一年間夫婦で、幼いころから婚約者だったのに、彼女に触れるのは久しぶりだった。
指先から伝わる温もりに、手を握り合って鳥の声を聞いたことを思い出す。胸の奥から熱い想いがこみ上げてきた。
「ハ、ハンナッ!」
「……はい? なんでしょう、ペッカートル侯爵様」
侯爵邸の応接室で前の席に座っているハンナと、後ろに立つフラウダとペルブランの視線がデズモンドに突き刺さる。
「いや、その……申し訳ないんだが、持参金はすぐには返せない。知っていると思うが、ペッカートル侯爵家に金はないんだ」
背後のフラウダとペルブランは勝ち誇った顔をしているのだろう。
ハンナから金だけを奪い取ってやったと。
羞恥で俯いたデズモンドに、ハンナは言った。
「存じております。私もこれからの生活がありますので、返済される予定の持参金の権利は神殿に譲渡いたしました」
「神殿に譲渡?」
「はい。私はもう手数料を除いた持参金相当のお金を神殿からいただいています。ペッカートル侯爵家から持参金を取り立てるのは神殿です」
「……っ」
デズモンドは言葉を失った。フラウダ達もだろう。
光の女神を祭る神殿はこの国の国教を司っているが、国に属する組織というわけではない。光の女神教の人間はこの国以外にもいるのだ。
ハンナ本人や国の機関なら、持参金の取り立てよりもペッカートル侯爵家の存続を優先してくれるかもしれない。
しかし神殿は違う。
光の女神の名のもとに、自分達の組織の富を増やすために、彼らは容赦のない取り立てをおこなう。返済予定の持参金を神殿への借金と見做して、勝手に利子もつけるに違いない。
一年後、ペッカートル侯爵家は残っているのだろうか。
「な、なんて卑怯な……」
「信じられないわ」
自分達は平気で卑怯な真似をする人間は、自分達への正当な反撃を卑怯だと決めつけるものだ。ハンナが無視したフラウダ達の呟きは、デズモンドには突き刺さった。
(君が死んでしまうと思ったんだ……)
一ヶ月と三日ほど前、意識を失って倒れているハンナを見つけたときのことを思い出す。
最初の一日は付きっきりだった。
焦燥するデズモンドを案じた主治医に自分の寝室で休むように言われて、戻ったらベッドにペルブランがいた。
ハンナはもう目覚めない、死んでしまうのだと不安を煽られて、誘惑されて一線を踏み外した。
言い訳などしようがない。
もとからペルブランに惹かれていなければ、さっさと彼女の縁談を決めて相手の家に送り込んでいれば、そんなことにはならなかった。
わざわざ使っていない女主人の部屋に隣接した仮眠室を開けなくても、主治医の指示のもと夫婦寝室へハンナを運べば良かったのだ。混乱して泣き叫んでいる間にフラウダが取り仕切っていたというのは、自分の失点に過ぎない。
「どうなさるのです、デズモンド様!」
「どうにかしてよ、デズモンド!」
ハンナが出て行った部屋で、愚かな自分が選んでしまったふたりの声を聞きながら、デズモンドは心の中で無意味な後悔を繰り返す。
(どうしてあんなことをしてしまったんだ。どうしてハンナに言われた時点で調べなかったんだ。証拠がなくったって、僕はこの家の主人だ。フラウダに味方する使用人達もすべてクビにして、新しい人間を雇えば良かった。遠縁に過ぎないペルブランの面倒だって見る必要はなかった。ペッカートル侯爵家自体が困窮してるんだから)
無意味でも後悔をしている間は、指先に残ったハンナの温もりが消えないような気がしていたのだ。
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