捨てられた妻は悪魔と旅立ちます。

豆狸

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最終話 悪魔の初恋<ガーヴィン視点>

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 ガーヴィンはよわい三百年の若輩悪魔だ。
 当然使える力は限られる。
 人間の心は操れないし、見栄えの良い魔法も使えない。基本的に破壊することしか出来ない。だからペッカートル侯爵夫人のリンダに呼び出されて、息子の守護を望まれたときは困惑した。危険人物のフラウダを殺すことなら出来ると提案したのだが、彼女は受け入れてくれなかった。

 仕方がないのでガーヴィンはリンダの息子、幼いデズモンドに宿ることにした。
 デズモンドと同化することで、彼が毒に侵されたり怪我を負ったりしてもガーヴィンの力で回復するという策だ。
 ガーヴィンの存在でデズモンドの心が変化しても彼を守護出来なかったことになるので、デズモンドに宿ったガーヴィンはずっと眠っていた。同化による宿主の回復は無意識で可能なのだ。

 そんなわけで、眠っていたガーヴィンは契約者リンダを死の運命から救えなかった。
 それどころか気づいて目覚めたときはすでに遅く、彼女の魂まで取り逃がしてしまった。
 にもかかわらず契約自体は生きている。

 せめて覗き見くらいは良いだろうと、それからのガーヴィンは眠ることをやめた。意識を目覚めさせたままデズモンドに宿ったガーヴィンは、宿主のこれまでの記憶を見た。
 そして、ハンナに恋をした。
 八歳のあの日、彼女と鳥の声を聞いたのが自分だったら良かったのに、と何度も思った。もう契約なんかどうでも良いから、デズモンドを殺してハンナを連れ去ってしまおうかとも思った。

 でも出来なかった。
 ガーヴィンはハンナを愛していたから、三百年の悪魔生の中で初めての恋だったから。
 デズモンドがどんな男だとしても、ハンナが彼を愛しているのなら、ふたりで幸せになって欲しいと思ってしまったから。デズモンドがペルブランに心揺れて、ハンナひとりを想っていないのは不安だったが、ペルブランが嫁いでいなくなれば問題はなくなるだろうと考えていた。

 やがてデズモンドの父が亡くなり、デズモンドがペッカートル侯爵家当主の座を継いで契約が終了した。
 デズモンドの父の死はフラウダによる他殺だったけれど、ガーヴィンが結んだ契約はデズモンドの守護なのでどうでも良かった。
 契約が終わったのだから、悪魔といえども好きに生きていいはずだ。デズモンドから離れたガーヴィンは、人間のことを学び始めた。デズモンドに宿っていた間に大体は理解していたものの、三百歳の若輩悪魔には、まだまだ知らないことのほうが多かった。

 人間としてのガーヴィンの後見人となった皇子と出会ったのは、学園の卒業パーティでハンナに振られた直後だった。
 人外のものを見抜き支配する精霊眼を持つ皇子は、ガーヴィンが明かした恋心に理解を示し、悪魔の力で人間を害しなければ助けてやろうと言ってくれた。
 このときのガーヴィンは、デズモンドを愛するハンナの一生を陰から見守るつもりだった。

 予定が変わったのは、ハンナが自分とリンダの契約書を燃やしたときだ。
 終了した契約の書類がなくなっても問題はなかったけれど、その際にハンナが殺されかけた。
 幸い彼女は助かったものの、デズモンド達への殺意が溢れて止まらなかった。それでも恋するガーヴィンはハンナの意思を尊重しようと考えて、彼女が目覚めた日の真夜中に訪れた。ガーヴィンは断固皆殺し派だった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ハンナが離縁と海の向こうへの旅を望んでくれて良かった、と今のガーヴィンは思う。

(ハンナ様と契約して悪魔の力を行使していたら、皇子の精霊眼で支配されて殺されていたでしょうからね)

 ガーヴィンが悪魔としての力を使わず、人間として学んだ知識を駆使しただけでハンナを傷つけたもの達は自滅していった。
 デズモンドを追い込むために、ほかの悪魔に頼んでリンダとの契約書の複製は作ってもらったけれど、ほかの罪不貞と近親婚を犯していなければ、信心深いデズモンドもこんなものはニセモノで悪魔なんておとぎ話だと笑い飛ばしていただろう。
 夫の庶子に対する複雑な感情を消化出来ないで手紙を隠したのはリンダだし、美しいペルブランの誘惑に乗ったのはデズモンド。

 そう、破滅を引き寄せたのはデズモンド本人だ。
 彼に同化していたことがあるガーヴィンは、手紙を見つけたデズモンドの絶望を感じ取っていた。
 手紙の存在自体は、同化をやめてペッカートル侯爵邸を出て行くときに見つけていた。近親婚の禁忌については、悪魔なので特になにも思わなかった。

 ハンナと観光客船で旅を始めて、そろそろ一ヶ月が過ぎる。
 何度目かの寄港地で購入した新聞を読み終えて、ガーヴィンはゴミ箱に放り込む。
 ハンナがこの新聞を目にしないように気をつけなくてはいけない。特にペッカートル侯爵家の当主がおかしくなって、引き取って世話をしていた遠縁の娘とメイド長を殺して自害したなんて記事は、絶対に見せてはいけない。

 思いながらガーヴィンは部屋を出て、隣の客室の扉を叩いた。

「ハンナ様、少し甲板を散歩しませんか」

 少し間を置いて、はい、と答えてくれたハンナの声に胸がときめく。
 よわい三百歳の若輩悪魔のガーヴィンは初恋の真っ最中だ。ハンナに同行しているのは契約をしたからではない。契約をしたからではなく、ガーヴィンが彼女に恋をしたからだ。
 この恋が叶うのなら彼は、殺されない限り永遠に近い悪魔の寿命を捨ててもかまわなかった。
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