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第一話 ラミレス
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「さようなら、ラミレス様」
みっつ年下の伯爵令嬢イザベルに言われて、侯爵令息ラミレスは胸がざわめいた。
母の形見の指輪に視線を落とす。
金と銀の蛇が絡み合った指輪だ。横顔しか見えない金の蛇の目は赤、銀の蛇の目は青い宝石だったのだが、一年前イザベルと婚約したころに気が付くと色が抜けて透明になっていた。母がこの婚約に反対しているのだと、ラミレスは感じている。
だから今回の婚約解消は渡りに船のはずだった。
そもそもこの一年、イザベルと会った回数は数えるほどしかない。
どこか懐かしい緑色の瞳にラミレスを映して、イザベルは不思議そうに首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「っ! いや、なんでも……なんでもない。それでは私はこれで失礼する」
ラミレスはイザベルの家である伯爵家を去った。
母の死後、金の亡者となった父が勝手に決めた婚約だった。
侯爵家と伯爵家は特産品が同じ絹織物で、父は侯爵家になにかあったときの予備として伯爵家の産業を求めていたのだと聞いている。
爵位からいっても財力からいっても伯爵家は侯爵家に逆らえないはずだった。
しかし、侯爵家の最大の取り引き先であったロドリゲス商会が侯爵家を捨てて伯爵家を選んだ。
商会の女性会頭は、侯爵家よりも伯爵家の絹織物のほうに価値を見出したのだ。
王都の侯爵邸で待つ廃人と化した父の陰鬱な顔を思い出し、ラミレスは馬車の御者に声をかけた。
「館ではなくギリョティナの家へ向かってくれ」
「先触れはどうします?」
「私と彼女の仲だ。突然訪れても歓迎してくれる。今は舞台もないからな」
ギリョティナは断頭台に消えた悲劇の王妃を題材にした演劇の主役として一世を風靡した美人女優で、ラミレスの愛人であった。王都に家を借りて囲っている。
廃人と化した父がもうふたりの関係に口出ししてこないのは良かったけれど、侯爵家の事業が傾いたので毎月の手当ては減らさなくてはいけない。
ギリョティナを飾り立てる楽しみが失われたことをラミレスは悲しく思った。
(イザベルと結婚していれば伯爵家からの援助が……いや、馬鹿馬鹿しい。あんな女など……)
元婚約者の緑の瞳を思い出すと胸がざわめく。
ラミレスは頭を振って伯爵令嬢の面影を消そうとした。
消しても消しても浮かんでくるイザベルの瞳は、ギリョティナを囲っている家に着いたことでようやく消えた。舞台がないので寝ているのか、彼女の家は静かだった。出かけているわけではなく、使用人が休みの日のようだ。
合鍵で扉を開けて、勝手知ったる愛人の家を進む。
寝室で眠っているだろうギリョティナを驚かせてやろうと思って声と足音を潜めていたラミレスは、自分の心臓の動悸が激しくなっていくのを感じていた。
以前にもこんなことがあったような気がする。
(あのとき……あのときとはいつだ?)
予想通りギリョティナは寝室にいた。
寝台の上で、自分と同じ裸体の男と絡み合っていた。
男は以前ギリョティナと同じ劇団にいた元役者のペカドで、つい最近までロドリゲス商会の女性会頭の婿だった。問題を起こして離縁されたと聞いている。いや、それだけではなく──
「ラ、ラミレス? 違うのよ、これは……」
「いいじゃないか、ギリョティナ。ロドリゲス商会に見捨てられた侯爵家にはもう未来はない。新しい金蔓に乗り換えようぜ」
「……そうね」
寝台でラミレスを嘲笑うふたりの姿には、確かに見覚えがあった。
前にも同じことがあったのだ。
ラミレスは母の形見の指輪に視線を落とした。
(そうだ、この蛇達の目が色づいていたころに、私は……)
みっつ年下の伯爵令嬢イザベルに言われて、侯爵令息ラミレスは胸がざわめいた。
母の形見の指輪に視線を落とす。
金と銀の蛇が絡み合った指輪だ。横顔しか見えない金の蛇の目は赤、銀の蛇の目は青い宝石だったのだが、一年前イザベルと婚約したころに気が付くと色が抜けて透明になっていた。母がこの婚約に反対しているのだと、ラミレスは感じている。
だから今回の婚約解消は渡りに船のはずだった。
そもそもこの一年、イザベルと会った回数は数えるほどしかない。
どこか懐かしい緑色の瞳にラミレスを映して、イザベルは不思議そうに首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「っ! いや、なんでも……なんでもない。それでは私はこれで失礼する」
ラミレスはイザベルの家である伯爵家を去った。
母の死後、金の亡者となった父が勝手に決めた婚約だった。
侯爵家と伯爵家は特産品が同じ絹織物で、父は侯爵家になにかあったときの予備として伯爵家の産業を求めていたのだと聞いている。
爵位からいっても財力からいっても伯爵家は侯爵家に逆らえないはずだった。
しかし、侯爵家の最大の取り引き先であったロドリゲス商会が侯爵家を捨てて伯爵家を選んだ。
商会の女性会頭は、侯爵家よりも伯爵家の絹織物のほうに価値を見出したのだ。
王都の侯爵邸で待つ廃人と化した父の陰鬱な顔を思い出し、ラミレスは馬車の御者に声をかけた。
「館ではなくギリョティナの家へ向かってくれ」
「先触れはどうします?」
「私と彼女の仲だ。突然訪れても歓迎してくれる。今は舞台もないからな」
ギリョティナは断頭台に消えた悲劇の王妃を題材にした演劇の主役として一世を風靡した美人女優で、ラミレスの愛人であった。王都に家を借りて囲っている。
廃人と化した父がもうふたりの関係に口出ししてこないのは良かったけれど、侯爵家の事業が傾いたので毎月の手当ては減らさなくてはいけない。
ギリョティナを飾り立てる楽しみが失われたことをラミレスは悲しく思った。
(イザベルと結婚していれば伯爵家からの援助が……いや、馬鹿馬鹿しい。あんな女など……)
元婚約者の緑の瞳を思い出すと胸がざわめく。
ラミレスは頭を振って伯爵令嬢の面影を消そうとした。
消しても消しても浮かんでくるイザベルの瞳は、ギリョティナを囲っている家に着いたことでようやく消えた。舞台がないので寝ているのか、彼女の家は静かだった。出かけているわけではなく、使用人が休みの日のようだ。
合鍵で扉を開けて、勝手知ったる愛人の家を進む。
寝室で眠っているだろうギリョティナを驚かせてやろうと思って声と足音を潜めていたラミレスは、自分の心臓の動悸が激しくなっていくのを感じていた。
以前にもこんなことがあったような気がする。
(あのとき……あのときとはいつだ?)
予想通りギリョティナは寝室にいた。
寝台の上で、自分と同じ裸体の男と絡み合っていた。
男は以前ギリョティナと同じ劇団にいた元役者のペカドで、つい最近までロドリゲス商会の女性会頭の婿だった。問題を起こして離縁されたと聞いている。いや、それだけではなく──
「ラ、ラミレス? 違うのよ、これは……」
「いいじゃないか、ギリョティナ。ロドリゲス商会に見捨てられた侯爵家にはもう未来はない。新しい金蔓に乗り換えようぜ」
「……そうね」
寝台でラミレスを嘲笑うふたりの姿には、確かに見覚えがあった。
前にも同じことがあったのだ。
ラミレスは母の形見の指輪に視線を落とした。
(そうだ、この蛇達の目が色づいていたころに、私は……)
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