未来で愛人を迎える夫など、要りません!

文野多咲

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離婚してください!

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(ありがとう、予知夢。離婚するわ。ヒゲとはおさらば)

離婚を決意した後のジュリエッタの行動は早かった。

翌朝、ハンナが入ってくるなり、飛び起きる。

「まあ、姫さま、たったの一日ですっかり元気になられて。さすが、体力、バケモノ……」

「侯爵さまはご帰還かしら」

「ええ、昨日の夜に」

急いでドレスに着替え、髪を整えて、朝食も取らずに、侯爵の部屋を訪ねた。

突然の訪問にもかかわらず、侯爵はすんなりとジュリエッタを部屋に通した。黒目黒髪の優しげな顔の男がジュリエッタに微笑みかけているが、そこにヒゲはない。

(あら、ヒゲを剃ったのね。ちゃんとヒト科じゃないの)

侯爵は、穏やかで知的な顔つきをしていた。猛獣との二つ名が似つかわしくない。ただし、軍人らしくシャツの下は屈強そうだ。

(一発ぐらいじゃビクともしないわね。百発は殴っておきたいわね)

ジュリエッタは優雅にほほ笑んで辞儀をした。

「バルベリ侯シルベスさま、お初にお目にかかります」

侯爵はどこか戸惑うような顔でジュリエッタを見つめてきた。ジュリエッタの優雅さに目を見張っているようでもあり、驚いているようでもあった。

侯爵の内心はこうだった。

(この赤毛の令嬢は、部屋で飛び蹴りしてたのと同一人物なのだろうか……?)

部屋でのことを見られていると知らないジュリエッタは、侯爵がそんなことを考えているとは思いもよらない。

訝しい目で見つめる侯爵にジュリエッタは優雅な物言いで挨拶をする。

「わたくし、ジュリエッタ・グランダ・レオナルダです。半年前、あなたの妻となり、ジュリエッタ・グランダ・シルベスとなりました。今日はお願いがあって参ったのですわ」

ジュリエッタがゆったりと侯爵にほほ笑みかければ、侯爵はソファを示した。

「どうぞ、こちらに」

そのソファは、それなりに優美だが、ジュリエッタの用意したものではない。侯爵の部屋は、邸宅内の他の部屋に比べると簡素だ。ジュリエッタは侯爵の部屋には、一切手をつけなかった。それだけ、自分の夫に興味がなかったということだ。

「いいえ、用件は簡単ですので立ったままでよいですわ。離婚してほしいんですの」

侯爵は首を傾げたまま無言だったので、ジュリエッタはもう一度言った。

「離婚して欲しいんですの」

「えっと、それは王都で流行っているものですか?」

侯爵は真面目な顔つきで訊いてきた。ジュリエッタの言う意味がわからないらしい。

「り、こ、ん、して欲しいんですの」

「えっと、いくら必要なのでしょう……?」

侯爵は、ジュリエッタによって、妻とはお金を要求するだけの存在だと刷り込まれたのかもしれない。ジュリエッタが何かをねだりにきたに違いないと思い込んでいるようだ。

(すっかり、私の財布になっちゃってるわね)

ジュリエッタは少々申し訳なくなるが、いずれ愛人を作る男と思えば、可哀想には思えない。

「いいえ、そうではなくて、婚姻を解消していただきたいのです」

侯爵は今度は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。

侯爵もジュリエッタには未練などないはずで、すぐにでも受け入れるだろう。何しろ顔を合わせたこともない間柄だ。法外なお金を要求してくるだけの妻に離婚を申し出されれば、喜ぶはずだ。それに、今や国の英雄。離婚した後も、高位貴族からの縁組みの話は舞い込むだろう。

ジュリエッタはそう思っていたが、侯爵は、ただひたすら目を丸めている。

(まだ始まってもいない婚姻生活で、いきなり離婚を言い出されたのだから、驚くのも無理はないかもしれないわね)

ジュリエッタの方は出戻りとあれば次はないが、このままでは嬲り殺される身の上、王都が外敵に攻められるのがわかっている以上、どこか僻地にでも逃げておきたい。

そのために、急ぎ離婚をしたかったのだが、侯爵にとっては唐突過ぎたようだ。

「理由を訊かせていただけないだろうか」

侯爵の問いに、ジュリエッタはすらすらと答える。

「侯爵さまには、もっと似つかわしい人が現れますわ(※不倫脳同士、シャルロットと仲良くしてくださいな)」

「だが、俺はあなたと結婚している」

「邪魔になる前に退散させていただくのですわ」

「それでは納得できない」

「あなたには私ではなく、もっと可愛い人が似合います」

「あなただってこの上なく可愛い」

(は?)

ジュリエッタは侯爵を見つめた。お世辞や気休めを言っているようには見えない。はにかんですらいる。

(戦場の荒くればかりしか見てこなかったせいで、私も可愛いの分類に入ってるんだわ、お気の毒に。でも、あなたはすぐに、本当の『可愛い』に出会うのよ。シャルロットに出会い、そして私を捨てるの)

侯爵の顔を見れば、傷ついているようにも見えたが、何しろこれから侯爵はシャルロットと愛を育むのだ。申し訳なさなど持ちようもない。

「とにかく、わたくしの希望は、あなたとの離婚ですの。あなたも前向きに考えてくださいませ」

それだけ言ってジュリエッタは部屋を出た。

ジュリエッタの部屋に戻った途端、後ろに付き従っていたハンナが、まくし立ててきた。

「姫さま、なぜ? なぜ侯爵さまと離婚をしたいのです? ヒゲが無くなったのは残念でしたけど、侯爵さまはとても美男子ですわ。黒目黒髪の凛々しい侯爵さまと、赤毛碧眼の麗しい姫さまは、よくお似合いです。ハンナは姫さまの結婚式のドレスのことばかり考えておりましたのに」

自分の一部のようなハンナは、ジュリエッタの脳内を見通しているように感じていたが、さすがにハンナにジュリエッタの予知夢を知る由もない。

「とにかく私は離婚しなきゃならないの」

「理由をお聞かせくださいませ」

「言っても信じないわ」

しまいにはハンナは涙声になる。

「びべざま、なぜ、なぜでごじゃいまじゅの……。ばんなは、ごうじゃぐざまが、ぎっと、びめざまを、じあわぜにすると……」

(侯爵は私を幸せにはしないわ。不幸にするだけよ)

侯爵は妻の散財を許したが、金だけ与えて愛情を一切与えなかった。そんな夫のもとで幸せになれるはずがない。

(予知夢の私はそれでもいつか侯爵が私の元に戻ってくれると信じていた。侯爵がお金を出してくれるのは、愛情が残っているからだと。でも、実際には妻を見捨てて、愛人を守った)

どうしてそんなひどいことができたのか。それはシャルロットへの愛に加えて、シャルロットに侯爵の子が宿っていたからだ。

そのことをおしゃべり夫人の噂で耳にしたときのジュリエッタは、どれほど惨めだったことか。予知夢ではあったがまざまざと覚えている。バルベリ侯爵は身重のシャルロットを身を挺して守った。

(バルベリ侯爵はそういう人。愛する人にはとことん捧げるけど、愛してない人にはとことん冷たい人なのよ……)

何も言えずにハンナを見返すジュリエッタから苦しみを感じ取ったのか、ハンナは涙を拭くと、ジュリエッタの肩を慰めるように抱いてきた。

「ひめさま、私はどこまでも姫さまに着いて行きますから」

実際、予知夢でも、ハンナは最後までジュリエッタとともにおり、ジュリエッタの身をかばって死ぬ。

(私、させない、そんなことさせないから。今度はハンナを私が守るわ。一緒にこの運命から逃げ切るのよ。二人とも幸せになるのよ……!)
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