未来で愛人を迎える夫など、要りません!

文野多咲

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ほくほくの一粒栗

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テイラーの話はこうだ。

戦争が終われば王国軍の駐留部隊は王都に戻り、バルベリ兵も減る。兵に職を求めて流入してくる自由人はいなくなり、それら兵士の需要を満たすために集まってきた職人や商人たちもいなくなる。

いわばバルベリは戦争特需で栄えてきた。その特需がなくなれば都市は衰退してしまう。

テイラーはそこを心配しているのだ。

(何てことを言うの、この人)

ジュリエッタは内心で憤っていた。

(自分の立場で好き勝手言うなんて、ひどい人ね。しかも侯爵を前にしてそれを言うなんて)

侯爵は命をかけて戦ってきた。侵攻を許せばこの都市もどうなるかわからなかったはずだ。生きるか死ぬかの前に、都市の衰退など些末なことだ。

せっかくもたらした平和を迷惑な事のように言うなど、まるで侯爵を煽っているようにしか見えない。

王都にいた頃はジュリエッタも好き勝手に過ごしていたくせに、そんな自分を棚に上げて、侯爵のために腹を立てていた。

侯爵を見るも、侯爵は穏やかなままだった。

「和平条約締結後も、バルベリ軍の規模は維持する予定だ。街道は整っている。これからも物流は滞ることはないし、むしろノルラントとの交易で今後ここはもっと栄えるだろう。総督にはその心づもりでいてほしい」

(なるほど、侯爵さまも和平後のことをいろいろと考えているのね)

テイラーが見直したような目で侯爵を見た。

「戦争功労者である閣下に、不遜なことを申し上げました。しかし、私は総督として、市民を守らなければなりません。都市が衰退すれば、貧困がはびこり、人々は生活に苦しむ。困窮は惨めなもので、ときに敵に殺された方がましなこともある。だから、あえて申し上げました。ですが、閣下のお考えを聞いて安心しました」

(この人はわざと侯爵を煽るようなことを言ったのね)

今後、侯爵は、領主として、ここを治めていかなければならない。しかし、総督からすれば軍人に何ができる、そんな心配もあったのだろう。

領主としての力量を見極めるつもりで言ったのだ。

(であれば、先ほどの侯爵の答えは完璧だわね)

「では、今後の自治権はどうなります?」

テイラーの心配はそちらに移る。暇になった侯爵が都市の自治に口出ししてくるのではないか、と。

「私には政治は不得意だ。だから現状通りとする」

テイラーは安堵を隠さなかった。都市の自治を奪われたくはないのは当然のことだ。

「それと、言いにくいことですが、戦争が終わったので税率を今より下げていただくことはできませんか」

「軍の規模を維持するのだから、これより上げることはないが下げることもない」

「しかし、年々、巨大化してきた都市を管理するのも限界があります」

(でも、巨大化に伴って、税収も増えてきたはずでしょう)

ジュリエッタは、内心で首をひねりながら口を開いた。

「それなら、王都から人材を呼び寄せましょうか。目が異なれば、工夫の余地も探せましょう」

テイラーはぎょっとした顔をジュリエッタに向けてきた。きれいなだけの飾り物のように見えていたようだが、そもそも総督府に用があったのは侯爵ではなくジュリエッタだ。

先ほどからジュリエッタの首をかしげることに、テイラーは一見地味な服装だが、見る目で見れば、とても上質なものであることがわかる。

(侯爵どころか、お父さまでも滅多に着ないような服を着ているわ)

高級なものに囲まれて育ったジュリエッタは目利きだ。

テイラーは恐縮したような声を上げた。

「失礼しました。愚痴とお聞き流しください」

ジュリエッタは優雅にほほ笑みながらテイラーに声をかける。

「総督さま、侯爵さまが自治をお任せしているのです。侯爵さまの信頼をゆめゆめ裏切ってはいけません。それと、都市の人口推移を記した書類はあるかしら。過去十年分です。侯爵さまがご覧になります。今すぐお持ちくださいませ」

「今すぐに? あとで城までお届けしますが」

「いいえ、今すぐにです。持ち帰りますわ」

猶予を与えれば、何か作為されるかもしれない。テイラーを疑うわけではないが、警戒するに越したことはない。

テイラーが部下に何か言えば、バタバタと部下は部屋を出て行った。

ジュリエッタは出された紅茶を優雅に持ち上げた。

ティーカップは有名な窯のもので、茶葉も高級品だった。

***

総督府を出るなり城館に戻ろうとしたジュリエッタに、侯爵が声をかけてきた。

「ついでに城下を案内しよう」

(総督府からもらった書類を見たいのだけれど)

「市場にはいろんな農作物が集まっているんだ。今は収穫を終えたばかりで、いろいろある。ブドウにリンゴにカボチャにサツマイモ。一粒栗もある」

「一粒栗?」

「いがの中に実が一つしか入っていない栗だ。拳ほどに大きい栗だよ。バルベリの名産物だ」

「まあ、そんなに大きいの?」

「実が柔らかくてとてもおいしい。煮ても焼いてもおいしいんだ」

(一粒栗、気になる、とても気になるわ……)

「行きます!」

食べ物に釣られてしまうジュリエッタの習性を侯爵に気取られていることをジュリエッタは気づいていなかった。

***

下町に向かうにつれ、人々は気安く声をかけてくる。

「領主さまだ!」

「あ、お姫さまもいる!」

「んまあ、あんたが噂のお姫さまかね」

「あら、こっちにも姫さまが」

「二人も妻を娶るなんて、領主さまもいけない人だねえ」

「んだんだ、悪いことは言わねえ、おひとりにしときなせえ」

ジュリエッタの胸がすく。

(そうよ、いずれ愛人を持つんだから、もっと責められればいいわ)

ジュリエッタの横で憮然とする侯爵は人々に向かって言う。

「俺の妻はこの女性一人だ」

ヤンスが声を上げた。

「領主さまの奥さまはこちらの女性で、こちらの女性は奥さまの侍女だ」

「侍女って何だ?」

「二番目の妻のことか?」

「侍女というのは高貴な人の世話をする人のことだ。妙な噂を流すんじゃない。さあ、領主さまが落ち着かないから、少しは離れろ」

人々は距離を取ったが、それでも領主一行を遠巻きに眺めてついてくる。

市場に向かえば、雑多なものが並んでいた。

侯爵が大きくて丸い栗を渡してきた。

「まあ、本当に大きい。大きくて艶々してるわ」

さすがに拳ほどもはないが、見たことがないほどに大きい。

侯爵が支払おうとすると、店主は首を横に振った。

「領主さま、結婚祝いだ、持ってってくだせえ!」

「うちからもだ、おめでとう!」

店主の一人が言い出せば、次から次へと侯爵へと品々が集まってきて、帰り道は騎士たちが両手いっぱいにカゴを抱えることになった。

(侯爵さまは、一応、人気があるのね)

侯爵は偉ぶることもなく、話しかけられれば気さくに返事している。

「領主さんよう、奥さんを大事にしろよ」

などと言われれば「もちろん」と答えている。

(もともと平民だから偉そうにするつもりもないのかしら)

教会前の広場で休憩することになった。カーペットの用意がなく、石畳に座ろうとすれば、司祭が声をかけてきた。中のベンチを貸してくれるという。

騎士らがベンチを並べると、ハンナが市場でもらった品々を取り分けて皿に乗せて配っていく。

ジュリエッタと騎士の皿には、ブドウもリンゴも焼き栗もこんもりと乗っているのに、侯爵の皿には薄くて向こう側が透けそうなリンゴが一枚乗っているだけだった。

(ハンナったら)

ハンナの侯爵の扱いにはブレがない。侯爵も理由はわからないながらも、ハンナに嫌われていることを自覚しているのか、皿を眺めてしょんぼりとしている。

(仕方ないわね)

ジュリエッタは自分の皿から分けてあげることにした。すると、ハンナはやむなくジュリエッタの皿に食べ物を追加すれば、それをまたジュリエッタが侯爵の皿に乗せるものだから、侯爵の皿も山盛りになった。

侯爵は嬉しそうな顔を向けてきた。

「ジュリエッタ、ありがとう」

「市場の人はみんな、あなたに食べてもらいたくて差し出したのでしょうから」

一粒栗は大きいうえに焼いただけなのに甘味があり素朴な味がする。

「ほくほくして、とてもおいしいわ」

ブドウは口に入れてから種があることを思い出した。

(まあ、どうしましょ)

騎士も侯爵も口からペッと吐き出しているが、ジュリエッタとハンナにはできることではない。いつも種を取り出したものを食べているのだ。

ハンナも種に気づいて顔を見合わせてきた。

(飲み込むしかないわね)

(ええ、そうですわね)

(頭にブドウの木が生えたらどうする?)

(収穫すればいいだけですわ)

(それもそうね)

ごくんと種を飲み込んだ。

***

総督府でもらってきた人口推移の書類によると、右肩上がりに人口は増えていた。過去十年で二倍になっている。

そして、過去十年で税収もおよそ二倍。

(テイラーは不正を行ってはいないのかしら)

しかし、それだとテイラーの贅沢な衣服はどこからきたのか。ジュリエッタは訝しむしかなかった。
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