未来で愛人を迎える夫など、要りません!

文野多咲

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恋の自覚

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侯爵はジュリエッタの足首を掴んでは、何やらしつこく触っている。

(ぎょえっ?! 何をされているの?! ああ、もうだめ……)

ジュリエッタの気が一瞬、遠くなった。すぐに意識を取り戻すと、やはり、侯爵がジュリエッタのスカートをめくったまま、ジュリエッタの足をその膝に乗せて触っている。

(え‘‘え‘‘え‘‘っ?! ハ、ハンナ、助けて……!)

触っているのは侯爵なのだからハンナが阻止するはずもないのに、ジュリエッタはハンナに助けを求める。

恥ずかしさにがくがくと足が震えて、息もできない。ジュリエッタは枕に顔をうずめて、必死で声を絞り出した。

「ご、ごうじゃぐざま……、な、なにを……」

ジュリエッタの戸惑いにやっと気づいたのか、侯爵はジュリエッタの戸惑いように慌てて説明してきた。

「足首を痛めたようだから診ているだけだ。大丈夫、何もしない」

「け、けけけ、けっこうですわ」

ジュリエッタが足をばたつかせると、侯爵は足を膝から降ろした。スカートの裾を直してくるのが余計に恥ずかしい。ジュリエッタは後ろに飛びのこうとして、勢いついてベッドの向こう側に落ちかける。それを侯爵が引き寄せて、ジュリエッタがベッドに侯爵を押し倒す形になってしまった。

侯爵の胸にジュリエッタが乗っかっている。

(ど、どうしよう、な、なにこれ?!)

いつも一緒に眠っている仲なのに、今のジュリエッタには動揺するしかなかった。

(どどど、どうしよう、早く離れなきゃ)

「ご、ごめんなさい。う、動けないわ」

ジュリエッタは腰が抜けていた。

侯爵の心臓も早鐘を打っているのに気付いて、ますますジュリエッタは動揺する。

侯爵はそんなジュリエッタを抱えたまま上半身を起こすと、ジュリエッタを横に寝かせた。

「足を冷やした方が良い、手当てするものを持ってくる」

侯爵が部屋を出て行けば、途端に(待って、行かないで)との思いが込み上げてきた。

(私、おかしくなっちゃったわ……)

ベッドで身動きもできずに横になっていると再びドアから物音がする。

ビクッとジュリエッタは震えて、緊張と喜びとを同時に抱えてドアを見れば、入ってきたのは侯爵ではなくハンナだった。

ハンナは意地の悪い笑みを浮かべている。

「残念でしたわね、侯爵さまではなくて私で。侯爵さまも顔を真っ赤にされておられましたよ。今夜はこのハンナ、気合を入れて姫さまの寝支度を整えますわね、フフフ……」

ハンナはジュリエッタの足首を濡れた布で包む。

「足の痛みも今夜に備えて早く直さなければなりませんわね。侯爵さまのことですから、姫さまをとても大事に扱うでしょうから心配はしておりませんが」

「わたし、もう侯爵さまともう一緒にいられないわ、心臓が爆発しそうになるんだもの。おかしくなっちゃったわ、どうしてこうなっちゃったのよ……」

涙ぐむジュリエッタの声に、ハンナは笑いを引っ込めた。そして、枕元にひざまずくと、ジュリエッタの頭を撫でてきた。

「姫さま、おかしくなんかありませんわ。好きな人と一緒にいれば胸がドキドキするものです。姫さまは侯爵さまに恋したんです。以前もそうだったじゃありませんか」

「以前?」

「王子さまに恋をしたときです」

「そうね……、あのときもこうだったわね」

「あのときはエセルさまほど小さかったですけど、姫さまはもうレディでしたわ」

ジュリエッタは幼い日のことを思い出した。

「あのときはハンナも王子さまに恋に落ちてたでしょ」

「だって、とても素敵な王子さまでしたもの」

「すぐに失恋しちゃったけどね」

「失恋したのは姫さまだけです。私はまだ可能性がありますわ」

「あら、ハンナはまだ恋を引きずっているのかしら」

昔話をしているうちに、ジュリエッタも気が落ち着いてきた。

(私、侯爵さまのことが好きになってしまったんだわ)

「勲章をもらったくらいで恋に落ちるなんて、私ったら安いわね」

「違います。姫さまはもうとっくに恋に落ちていましたわ。侯爵さまの優しさが姫さまには十分に伝わっていますでしょう」

その通り、ジュリエッタはとっくに恋に落ちていた。抑え込もうとしてきただけだった。しかし、もう抑えられなくなってしまった。

ジュリエッタは胸が痛くなるのを覚えた。涙ぐむ。

(侯爵さまはシャルロットさまと恋に落ちてしまうのに……。そうなれば、きちんと侯爵さまを解放してあげることができるかしら……)

「姫さま、今夜はダニーは私が預からせていただきますわね」

「だ、だめよ、それは」

「いいえ、そうさせていただきます。もっと早くからそうすればよかったんですわ」

ジュリエッタの気も知らず、ハンナは浮き浮きとそう言った。

***

侯爵を見るだけで心臓が爆発しそうになってしまったジュリエッタは、晩餐のときにも、おちおち侯爵を見ることができなくなってしまった。食事も喉を通らない。

「ジュリエッタ、まだ、足が痛むの?」

侯爵が心配してきても、顔もろくすっぽ見ないで答える。

「いいえ、大丈夫ですわ」

そんな調子のまま夜を迎えた。

そして、結果的に、ジュリエッタはその夜、侯爵の部屋に向かわなかった。自分の寝室で眠った。

ジュリエッタは尻込みしてしまったのだ。自分の恋心を自覚して、それが育ってしまうのが怖くなった。

ジュリエッタは侯爵との距離をこれ以上縮めないことを決めた。

(本当の夫婦になってしまうのが怖い、これ以上好きになるのが怖いの……)

翌朝、ジュリエッタの寝室のベッドで一人眠っているジュリエッタを見つけたハンナは、非難を浴びせようとして黙り込んだ。

ジュリエッタの顔には陰りがあり、ハンナにもジュリエッタの苦しみが伝わってきたからだった。

(姫さまはいったい何に苦しんでいらっしゃるのか)

ハンナにはもどかしくてたまらなかった。

***

侯爵と距離を取ることに決めたジュリエッタは、次第にさっぱりした気持ちになった。

(いつまで一緒にいられるかわからないけど、一緒にいられる時間を大事にしたいわ)

それから、侯爵が裏庭で鍛錬しているときには騎士たちに差し入れをしたり、侯爵の時間がありそうなときには、購入品の相談をしたりした。たとえば、ジュリエッタがまだ手を入れていない侯爵の部屋のカーテンや壁紙だ。

「侯爵さまはどれが好きかしら?」

取り寄せた見本を見せる。侯爵は見本を覗き込んでくるが、ジュリエッタはさりげなく離れる。

(近づきすぎると、また胸がドキドキしてしまう)

侯爵はジュリエッタが離れたのに気付いたのか気付かないでか、遠慮深げに言ってきた。

「ジュリエッタが選んでくれればそれでいいよ」

「でも、あなたにも好みがあるはずよ。では、これとこれはどちらが好き?」

そう訊けば面倒がらずに「こっちかな」などと答える。

「侯爵さまは、色では緑色が好きなのね」

「そうなのかな」

「ええ、そのはずよ。だって、カーテン生地も緑ばかり選ぶんですもの。軍旗だって、黒地に緑色の紋章を入れているわ」

「そうか、俺は緑色が好きなのか」

「うふふ、呆れた。自分の好きな色も知らなかったのね」

ジュリエッタは侯爵の好きな色が自分の目と同じ緑色だと知って、ご機嫌になる。

「そして、侯爵さまは野菜よりもお肉が好きで、嬉しいときは口に手を当てて、腹が立ったときは少し呻くのよ。ご存知だった?」

侯爵は目を見張って真顔で言う。

「いや、知らなかった」

侯爵はそう言いながら口に手を当てる。

(今も嬉しいんだわ。私が侯爵さまのことに詳しくなったのが嬉しいのなら、私も嬉しいのだけど)



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