未来で愛人を迎える夫など、要りません!

文野多咲

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仲良く土いじり

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(侯爵さまは死ぬことを想定されていたの?)

ジュリエッタの両手ははぶるぶると震えていた。夫人に怒りが湧いてくる。同じようなことを王太子にも言われたたが、何よりも信頼してきた母親に言われれば、湧いてくるのは怒りだけでない。悲しみも交じっている。

「お母さまは私を未亡人にしたかったの?」

「もちろん、あなたの幸せを思ってのことです。そのあと、エディと結婚すれば良いと思っていたのよ」

「殿下と?」

ジュリエッタがエドウィンを嫌っていることを夫人は知っているはずだ。夫人にとっては甥であるためにあからさまには公言していないが、それでも夫人には伝わっているはずだ。

「あなたは王妃になれるし、王家はこの上ないレディを手に入れる。誰も損しないわ」

「私はおもちゃじゃないわ」

「当たり前でしょう。あなたは大事な大事な娘です。だから、フィリップにも怒っているのよ。話が違うじゃないの、と。バルベリに行けば鄙びた領地に肩を落として戻ってくると思っていたわ。でも、戻ってきたあなたは、変な格好をしているし、こともあろうか、あの男に情が移ってしまうだなんて。内心では情けなくてしようがなかったわ。あなたには本当に落胆しました。お母さまは、今、どれだけ、母親として惨めな思いをしているか」

夫人はこめかみを指で押さえながら言った。

「お母さまは今でも侯爵さまが戦場から帰ってこなかった方が良いと思っているの?」

「もちろんよ」

ジュリエッタは立ち上がった。よろよろと部屋を出る。出た直後、室内から夫人の声が聞こえてきた。

「ああ、本当に情けない子。ちゃんとレディに育てたはずなのに」

ジュリエッタは、小走りに廊下を走った。心臓がどきどきして、頭がぐるぐる回ってくる。戸惑いに、怒りに、悲しみがジュリエッタに襲い来る。

(お母さまがあんな人だったなんて……)

馬車に乗れば、ジュリエッタに涙がこぼれてきた。

もっとも信頼していた人に、もっとも愛する人の死を望まれていた。さらにジュリエッタを混乱させることに、ジュリエッタ自身、夫人の思考が理解できることだ。夫人は、侯爵に会う前のジュリエッタ自身だからだ。

(そして、私もあんな人だった……)

ジュリエッタはかつての自分を、そのときほど客観的に見られたことはなかった。戦争などどこ吹く風で王都で贅沢に暮らしてきた自分。夫のことを少しも思いやることがなかった。元平民だからと当然のように軽んじていた。

(私はお母さまのことを責められないわ……。でも、もうお母さまを受け入れることもできない)

これまで母親と同じ価値観を抱いていたのが、完全にズレが生じてしまった。母親とは価値観を異にしたのだ。

(お母さまの言うレディと私の思うレディとはもう別のものになってしまったわ。夫の死を望んだり身分を軽んじたりするのは、私の思うレディではない……)

それでも母親を嫌うことなどできない。夫人は夫人なりにジュリエッタのことを精いっぱい愛しているのだ。それゆえの言動だ。

(どうすればいいの? これからどうやってお母さまと接すればいいの?)

「姫さま……」

ジュリエッタの肩を抱いて慰めてくるハンナに、ジュリエッタは気休めしか口にできなかった。

「大丈夫よ、お母さまもいずれわかってくれるわ」

いつも心に寄り添ってくれているハンナの存在がひたすらありがたかった。

(お母さまのことは当面考えないようにしよう)

***

その日、侯爵邸に、バルベリから良質の土が届いた。早速、畑を作り、手始めに人参の種を蒔くことにした。

ジュリエッタはスコップで土を掘り起こし、声を上げた。

「まあ! カタツムリだわ! 侯爵さま、見てくださいませ、土の中で眠っていたんだわ!」

侯爵は微笑んだ。

「それは、セミの赤ちゃんだよ」

侯爵は、ジュリエッタに甘やかな目を向ける。

草原に子犬がいると思ったり、ひよこを知らなかったり、土の中にカタツムリが眠っていると思ったり、ジュリエッタには令嬢らしく物知らずなところがある。そして、そんなところも侯爵にとっては可愛くてたまらない様子だ。

「セミと全然違うわ」

「蝶々のように変身するんだ」

「では、さなぎになるのね?」

「そうだよ。セミは地上では一週間しか生きないのに、土の中では何年も眠ってるんだ。起こしたら可哀想だから、別の場所で眠らせてあげよう。そうだな、あの木の根元が良いな。セミの幼虫は木の根っこから汁を吸って大きくなるんだ」

二人は仲睦まじく、セミの寝床を作りに行く。

「大人になれば土から出てくる。ここに穴が開いていたら、セミが無事大人になったってことだよ」

「では、セミの声が聞こえ始めたら、毎日、確認しにくるわ。侯爵さまも一緒に見に来てくださる?」

「ああ、喜んでお供しよう」

二人の後ろ姿をハンナが頷きながら眺めている。その隣ではヤンスもまた頷きながら眺めている。どちらも主の幸せを自分の喜びとしている。

畑に戻ってきたジュリエッタは、また声を上げた。

「まあ! 蛇の赤ちゃんよ! こっちは元気に飛び跳ねているわ!」

ジュリエッタの手には、小さなものがうねうねとしている。

背後でたじろぐ気配があったが、ジュリエッタは満面の笑みで侯爵を振り返った。

「侯爵さま、見てくださいませ! こんなに可愛いわ!」

侯爵は何故か固まっている。

「か、かわいい……?」

ヤンスがジュリエッタの手を覗き込んで言ってきた。

「夫人、それは蛇じゃなくてミミズです。良い畑にはたくさんミミズがいるんです。これを閣下に投げるとどうなると思いますか?」

「さあ?」

ジュリエッタは首をかしげる。

「ほら」

ヤンスが侯爵に向けて投げた。

「おわぁっ?!」

侯爵は変な声を上げて後ろに飛びのいた。

「こうなります。閣下はミミズが怖いんです。幼いころにミミズの大群に追われる夢を見たらしく」

意外なところに侯爵の弱点はあった。

(こんな小さな生き物を怖がるなんて……、なんて……、なんて可愛い人なの?!)

ジュリエッタの目尻は垂れ下がる。

(私が侯爵さまを守る。ミミズからも守るんだから!)

そう誓うジュリエッタだった。

***

ジュリエッタは、マクシを侯爵邸に呼び出すことにした。マクシは公爵邸に逗留しているため、実家に行きづらい今は、会うためには呼び出すしかなかった。

マクシの来訪を受けて玄関に向かえば、何やら野太い声が行き交っている。揉めているようだ。

「ああもう、いい加減うるさいネ」

「ブーブは友だちなのに、わしは友だちじゃないのか?」

「友だち相手に商売はしないネ」

ときおり、美声が混じる。

「父上、豚に嫉妬するのは恥ずかしいのでそろそろやめませんか。マクシに会うたびその話を繰り返すのはやめてください」

何故かマクシにレオナルダ父子がくっついてきている。

(まさか、お母さままで来てはいないでしょうね)

侯爵は外出中だが、来客中に帰ってこないとも限らない。侯爵に無礼な態度を取らせたくない。玄関を見れば馬だけで馬車はなかったためにジュリエッタは安堵した。

「ジュリエッタ、お前の暮らしぶりを見たくてついてきたのだ」

「母上をお誘いしたが、日が悪いとおっしゃってね」

(お母さまは私に機嫌を悪くされているのかしら。寂しいけど、私には侯爵さまを守ることの方が重要よ)

父親と兄の顔を見れば、どういうわけか、涙がぽろっと出てきた。母親のことで泣きつけるとすれば二人しかいない。

ジュリエッタの涙に父子は大声を上げた。

「「ジュリエッタが泣いたとな?!」」

両手で頭を抑えて騒ぎ出す。

「ジュリエッタが泣いた、何事だ?!」

「何があったんだ?! まさかジュリエッタが泣くなんて」

「婿殿と何かあったのか?」

ジュリエッタは首を横に振る。

「では、お腹でも痛いのか?!」

「いいえ」

「お腹でも空いたのか?!」

「ち! ち、が、い、ま、す!」

おろおろと大騒ぎを繰り広げる二人。

この二人は、夫人と違って侯爵の死を望むようなことはない。ジュリエッタにはその確信がある。公爵がジュリエッタの結婚を勧めたのも、夫人とは別の考えがあったうえでのことに違いなかった。

(どうして、お父さまは私に侯爵との結婚を勧めたの?)

ジュリエッタは父親の真意を確認したくて口を開こうとした。

しかし、そこで突如として、(もしや、何も考えていなかっただけでは)との考えが浮上する。

そんなジュリエッタに、マクシの一喝が聞こえた。

「野郎ども、黙るネ!」

大騒ぎの父子は固まった。そんな父子を横目に、マクシがジュリエッタに訊いてきた。

「夫人と喧嘩したネ?」

「うん……」

どういうわけか、マクシにはお見通しだ。

「私にはお母さまがわかんなくなっちゃった。ううん、わかるけど、もう同じ考えではいられないわ」

マクシは、「カッハッハッ」と盛大に笑った。ジュリエッタはムッとするほかなかった。
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