46 / 47
(41)手探り
しおりを挟む王宮の石畳を抜けて、風がやや強く吹く高台の道を進んでゆく。
遠くには、青みがかった深い山々が見え、あちらが竜族の旧里――かつて主たる生活圏だった場所なのだと、リアは足を進めながら実感した。
「すごい……本当に、自然が近いんですね」
「最初びっくりするよな。現里でも豊かだと思ってたのに、そしたらこっちは何なんだってさ」
「うん……」
エルマーの言う通りで、風に乗って運ばれてくる空気も、王宮のそれとはまったく違っていた。清廉で、どこか重く、乾いた土と樹皮の匂いが混ざっている。
「緊張してんのか」
ギルフォードが隣で問うと、リアは困ったように、小さく笑って頷いた。
「はい。きっと、私だけが初めてですから」
「……俺は仕事でたまに来るが、エルマーとレオンハルトですら滅多に来ねぇからな」
その言葉に、振り返ったエルマーとレオンハルトが小さく肩をすくめた。
「だって……ここの人たち、俺らのことあんまり歓迎してないし……」
「言葉も通じないから、会話にならなくて……」
「リア、気を付けるといい。旧里に住む者たちは、いまだに“竜族の言葉”しか使わないのが大半だ。人間の言葉を解す者は、ほとんどいない」
アルフレッドが静かに言葉を重ねる。
「現里との交流を促すため、私は長年彼らを説得してきた。だが、そう簡単にはいかないのが現実でね。彼らにしてみれば、現里の方こそが“変わり果てた世界”に見えるらしい」
「でも……変わっていくべき時期に来ているんですよね?」
「その通りだ」
アルフレッドは頷いた。
風のなか、彼の声は深く、遠い想いを運んでくるようだった。
「竜族が人間との戦いに勝利してから数百年。元々はこの旧里こそが暮らしの中心だった。だが時代の波が徐々に南に流れ、交易と人間の活動が活発になるにつれ、今の現里が生まれた。そして王宮も、ちょうどその狭間に建てられたのだ」
「つまり、この道を越えると……時間も言葉も、価値観すらも違う世界に入るんですね」
リアの言葉に、アルフレッドは穏やかに頷いた。
「人間の君にしか見えないものが、きっとある。だからこそ、行く意味があるのだと思うよ」
リアは胸の奥で静かにその言葉を抱いた。
風がまたひとつ吹いて、木々の間を揺らし、旧里の空気がより濃く迫ってくる。
その先に待つのは、古い誇りと、しがらみと、そして今をまだ認めたがらない者たち。
けれど――リアの足取りは、少しも揺るがなかった。
◇
旧里の広場は、王宮のそれとは違い、石畳も整っていなければ、建物の装飾もごく質素だった。だが、そこには確かに息づく“生活の気配”があり、古き竜族たちの誇りが静かに息づいていた。
風が止み、空気が少し重くなる。
広場の一角に並んでいたのは、長老たちだった。
深く刻まれた皺と、長い髭。竜族特有の背の翼と、淡く光を反射する瞳が、こちらを一斉に見据えていた。視線だけで、言葉にされずとも“何者か”を測られている気がする。
リアは自然と背筋を伸ばし、深く頭を下げた。
「……はじめまして。リアと申します。今日、お目にかかれて光栄です」
だが返事はなかった。むしろ、微かなざわめきが起こる。
彼らは何かを話していた。だが、言葉がわからない。意味をなさない音の連なりとしてしか届かないそれは、壁のように彼女の前に立ちはだかっていた。
「なぁ、ちょっと……マジで怖いんだけど」
「静かにしてろ、バカ」
震えるエルマーに注意しつつ、ギルフォードはリアへ口を挟まなかった。ただ隣で無言を貫きながら腕を組み、鋭く視線を走らせていた。
――何も分からない。でも、空気で伝わる。この場に歓迎の気配は、ほとんど感じられなかった。
ぎらつくような敵意ではない。
ただ、そこに流れているのは“異質”に対する硬い警戒と、“変化”への強い拒否だった。
「ここは、穏やかで良いところですね。皆さんが長年住んでおられるのも、分かる気がします」
リアは、それでも退かなかった。長老たちの目を見つめ返すことはできなくても、俯かずにまっすぐ立ち続けていた。
「私は人間ですが、皆さんを理解したいと思っています。なので……歓迎はしなくても、受け取れてもらえると嬉しいです」
どれだけ言葉が通じなくても、自分がここにいる意味を信じたかった。
やがて、ひとりの長老が立ち上がり、別の者に一言、低く何かを伝えた。その言葉が合図だったのか、広場に張り詰めていた空気がすっとほどけていく。
ギルフォードが静かに「もう行くぞ」と言って、リアの肩を軽く叩いた。
去り際、リアはそっと振り返る。
険しい顔のまま見送る長老たちに、たとえ何も伝わらなくても、伝えたかった。
「――また来ます」
その声は小さく、けれど確かだった。
空気に溶けていくようなその言葉を、ギルフォードが拾い、足を止める。
リアの横に立ったまま、彼は旧き言葉で静かに、低く、そしてはっきりと告げた。
「……――――」
風が吹いた。
長老たちの顔に、わずかな変化が生まれる。
それは感情というより、届いたという実感だった。誰かが、ここまで歩いて来たのだと、確かに理解した証のように思えた。
再び歩き出したギルフォードの後を追いながら、リアはそっと問いかける。
「今の、どういう意味なんですか?」
「お前が言った通り。“また来る”、だ」
ギルフォードは振り返らなかった。ただ一言だけ答えて、前を向いたまま歩き続けていた。
それは、リアの言葉を受け取り、それをこの地の言葉で返してくれた彼なりのやり方だった。
何かが、ほんの少し動き出した。
閉ざされた門の前に、小さな風が吹いたような――そんな一歩だった。
1
あなたにおすすめの小説
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~
星森
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。
王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。
そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。
これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。
⚠️本作はAIとの共同製作です。
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
【完結】島流しされた役立たず王女ですがサバイバルしている間に最強皇帝に溺愛されてました!
●やきいもほくほく●
恋愛
──目が覚めると海の上だった!?
「メイジー・ド・シールカイズ、あなたを国外に追放するわ!」
長年、虐げられてきた『役立たず王女』メイジーは異母姉妹であるジャシンスに嵌められて島流しにされている最中に前世の記憶を取り戻す。
前世でも家族に裏切られて死んだメイジーは諦めて死のうとするものの、最後まで足掻こうと決意する。
奮起したメイジーはなりふり構わず生き残るために行動をする。
そして……メイジーが辿り着いた島にいたのは島民に神様と祀られるガブリエーレだった。
この出会いがメイジーの運命を大きく変える!?
言葉が通じないため食われそうになり、生け贄にされそうになり、海に流されそうになり、死にかけながらもサバイバル生活を開始する。
ガブリエーレの世話をしつつ、メイジーは〝あるもの〟を見つけて成り上がりを決意。
ガブリエーレに振り回されつつ、彼の〝本来の姿〟を知ったメイジーは──。
これは気弱で争いに負けた王女が逞しく島で生き抜き、神様と運を味方につけて無双する爽快ストーリー!
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ
さら
恋愛
会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。
ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。
けれど、測定された“能力値”は最低。
「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。
そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。
優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。
彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。
人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。
やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。
不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。
捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。
蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。
これで、貴方も私も自由です。
……だから、もういいですよね?
私も、自由にして……。
5年後。
私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、
親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、
今日も幸せに子育てをしています。
だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。
私のことは忘れて……。
これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。
はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる