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(41)正直者
しおりを挟む足元の石畳を踏みしめる音だけが、しばらくのあいだ耳に残っていた。
旧里を後にしてすぐ、誰も口を開かなかったのは、あまりにも多くのものが心に残っていたからだろう。圧迫感、沈黙、そして言葉の壁。リアは何も言われていないのに、確かに歓迎されていないとわかった。事実が、ずしりと胸の奥に残っていた。
ようやく王宮付近の広場まで戻ってきた頃、ギルフォードがふと立ち止まり、斜め後ろを歩くアルフレッドに視線を投げる。
「……もういいだろ。さっさと帰れ」
冷ややかに言い放ったギルフォードに、アルフレッドはどこかしら寂しげな微笑を浮かべながら肩を竦めた。
「連れて行ってあげたのに、冷たいなぁ」
「は? てめぇが勝手に着いてきたんだろうが」
「まぁまぁ、そう言わず。せったくの親子の時間じゃないか」
「キメェ」
二人の応酬は、これまでも幾度となく繰り返されてきたのだろう。誰も驚きはしなかったが、リアだけは小さく口元を押さえて笑っていた。
そんな彼女に、アルフレッドが向き直る。
「リア。ギルフォードとなら、またいつでも来ると良い。たとえあの地が君にとって不親切でも、君のような存在は……いつか、きっとあの場所の風を変えると私は信じている」
その言葉には真心がこもっていた。リアは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに目を細めて深く頭を下げた。
「ありがとうございます、アルフレッド様。今日、行けてよかったです」
アルフレッドは満足げに頷くと、今度こそ誰にも引き留められることなく、王宮の石造りの回廊へと姿を消していった。
その背を見送った後、リアがふっと笑いながら振り返る。
「なんだか、いろいろと盛り沢山な日になったね」
声は軽やかだったが、そこに込められた余韻は深かった。
「うん……。あんなに緊張する場所、僕には無理だよ……」
レオンハルトがやや引きつった顔で首をすくめると、エルマーが肩を揺らして笑う。
「まぁ、だからわざわざ行きてぇっつったリアはすげえよ。言葉が通じなくても向き合おうとしてるし、俺らでも分からねえことを理解しようとしてんだもんな」
「……そんな、すごくなんてないよ。でも、ありがとう」
リアが頬を染めながらも微笑んだとき、傍らで黙っていたヴィルヘルムが、ふと思い出したように口を開いた。
「――実は、明日の昼には狼族の里に戻る予定でね。……よければ、夕食にお邪魔しても良いかな?」
自然な問いかけに、三人は「もちろん」と即答しかけたが、それより早くギルフォードが口を挟んだ。
「は? てめぇ、行くっつってから来るの遅すぎだろ」
「じゃあ、来ていいってことでいいんだね」
笑みを崩さぬヴィルヘルムに、ギルフォードは小さく舌打ちをしたが、それ以上は何も言わなかった。
「大したもんはねぇぞ」
「ああ、大層なものをご馳走になる気なんてないさ。ただ、みんなと話せたらと思ってね」
そう言うヴィルヘルムの声は、柔らかくて優しい。ギルフォードの言葉の裏をちゃんと汲んで、感謝を返しているのが伝わってくる。
そんなやりとりの中、ギルフォードがリアの方へ顔を向ける。
「時間余ってんな。……お前、他に見てぇとこあるか?」
「え、えっと……うーん……」
あまりに唐突な問いかけに、リアは慌てて唸るように考え込む。
すると、ふとヴィルヘルムが手を軽く上げて提案した。
「そうしたら、“真実の湖”に行ってみないか?」
「真実の……湖?」
リアが首を傾げると、今度はレオンハルトがその言葉に応える。
「正直者からの問い掛けにだけ、答えをくれる湖があるんだよ。前に行った祠の裏に隠れるようにしてあって、昔は占い師とか学者たちが通ったって言われてる」
「ちなみにレオは、何でも答えてもらえるんだぜ」
エルマーが悪戯っぽく言えば、リアとヴィルヘルムは顔を見合わせて吹き出す。
「レオらしいね」
「うん、納得しちゃうところが悔しいなぁ」
「……そう?」
そんなやり取りに、レオンハルトは少しだけ照れたように頭を掻いたが、どこか誇らしげだった。
「じゃあ、決まりだな」
エルマーが笑い、全員の視線が自然と湖のある方角――祠の奥へと向かう。
それぞれの歩幅で歩きながら、彼らはまた一つ、記憶に残る場所へと足を踏み入れていくのだった。
◇
奥深く、祠の裏手を抜けるようにして進んだ先――静かな小道が開け、そこに湖はあった。
水面は鏡のように澄み切っていて、風が止まるたびに空と森を映し込んだ。鳥のさえずりすらも遠く、ここだけが時間から切り離されたように、ひっそりと佇んでいる。
「わぁ……すごい、きれい」
リアが感嘆の声を漏らすと、レオンハルトが得意げに頷く。
「ここ、知ってる人は少ないけど…僕のお気に入りの場所なんだ」
「へえ。意外とロマンチストなんだね、レオって」
ヴィルヘルムの言葉に、エルマーが吹き出す。
「意外とってのが余計だよな。まぁ、否定はしねぇけど」
柔らかい笑い声が広がる中、レオンハルトは湖の縁に立ち、手を合わせるようにしてゆっくりと目を閉じた。
「ね、何聞いてるの?」
「んー……今日の夕飯は、うまくいくかなーって」
「普通すぎない!?」
リアが思わず吹き出す横で、湖の水面がかすかに揺れた。
「“塩を入れすぎなければ”だって」
レオンハルトが振り返りながら、にっこり笑う。どうやら湖は、その素朴な問いにもちゃんと答えてくれるらしい。
エルマーが続いて湖の前に立ち、「俺の作ったスープ、リアはうまかったって言ってたけど、ギルの本音はどうだったんだ?」と真剣に尋ねる。
水面に浮かぶ文字のように、微かな波紋が走る。
「“七点五”だって」
「微妙だな、おい」
落胆するエルマーに皆が笑い、和やかな空気が広がったその時だった。
「ねえ、レオンハルト」
ヴィルヘルムがいたずらっぽく目を細めながら、ぽつりと呟いた。
「“ギルフォードとリアは運命なのか”って、聞いてみてよ」
「はあ!? てめぇ……ッ!」
ギルフォードが声を荒げるより早く、リアが顔を真っ赤にして首を横に振った。
「ま、待ってください! ヴィルヘルム様、それはちょっと……! ね、ね、やめましょう? そういうのは……!」
だが、その横で当の本人はいつもの調子で、ぼんやりとした表情のまま頷いていた。
「わかった」
「えっ、ちょ、待っ――」
制止も虚しく、レオンハルトは再び湖の前に立つ。
「……ギルとリアは、運命の相手なのかな?」
静けさのなかで、湖がわずかに波紋を広げた。
そして。
「“これ以上ないパートナー”……だって」
振り返ったレオンハルトが、嬉しそうに報告した。
その瞬間、ギルフォードの顔が真っ赤になり、リアも目を大きく見開いて言葉を失った。
「なっ……」
「ええ……」
互いに視線を合わせそうで逸らしながら、二人はじわじわと頬を染めていく。言葉にできない何かが、その場に満ちていた。
その様子を見たヴィルヘルムは、満足げに腕を組んで、堂々と胸を張る。
「いやあ。俺、今日も良い仕事したなぁ」
「この野郎……ッ! 最初から、これが目的だったんだろ」
ギルフォードが思わず袖をまくるが、それすらリアが慌てて止めに入る。
「ま、まぁ……これは、あの、その……湖が勝手に、言っただけですから……!」
「てめぇ、顔真っ赤なんだよ。どの口が言ってんだ」
「わわっ……! だって……!」
真っ直ぐにお互いの目を見られないまま、でも視線を交わし、逸らして、また見てしまう。
「……照れてんじゃねぇよ」
「すみません……」
「うんうん。甘酸っぱいね」
「てめぇだけは殺す」
「はは、ギルは本当に物騒だなぁ」
その後も少しのあいだ、からかわれたり、噛みつかれたり、じゃれ合うような会話が続いたが――真実の湖の静けさのなか、風はどこまでも穏やかで、木々のざわめきは二人をそっと包むようだった。
それは、偶然といたずらが織りなした午後の出来事。
だけどどこか、確かに運命という言葉の輪郭に、触れてしまったような気がした。
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