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第一話
しおりを挟む「なあ、今日のスピーチの原稿まだ完成してないのか?」
書斎で、ノートパソコンの画面とにらめっこしていると、背後から男の低い声がした。
この声の主のことを私はよく知っている。何と言ったって私の婚約者なのだから。
「はい。こちらでよろしいでしょうか?」
にこりと笑って彼に紙を渡す。その紙には私が考えたスピーチの文言が記してある。
「……まあ、良いだろう。じゃあ、引き続き小説の原稿の方を頼むよ」
そう言って彼は書斎から出て行った。
言われなくても分かってるよ、なんて思いつつ、視線をノートパソコンに向ける。
どれだけ私が頑張っても誰も褒めてくれないし、お礼も言われない。
それなのに、私は一体何をやっているんだろう。
* * * * * *
私の名前は笹沼美百合。年齢は二十八歳。
田舎で生まれ育ち、大学進学を機に上京した。大学ではミステリー研究会に入り、そこで出会ったのが二歳上の先輩・犬束燈矢だ。イケメンで女子に人気がある先輩と田舎から出てきたばかりの地味な女なんて、同じサークルでなければ接点などなかっただろう。
サークル内でもそれほど親しいわけではなかったが、学園祭の時の出来事がきっかけで仲良くなった。それは学園祭で販売するサークル誌に私が書いたミステリー小説が掲載されることになった際、
「笹沼さんの小説読んだよ。君、文章が上手いね。物語の世界に凄く惹き込まれたよ」
と燈矢から話しかけてくれたのだ。
私はその時から彼のことが気になっていたので、あちらから話しかけられて有頂天になった。
でも、緊張して上手く言葉が出て来ず……。
「へっ、あっ、あ、ありがと、ございます」
挙動不審になってしまった。
絶対に引かれた……もっと可愛く返答できたら良かったのに。
だけど、後悔したってもう遅い。
初めての会話がこんな感じだったのに、燈矢はそれからというもの私に構うようになった。
大学の構内ですれ違った時、私の名前を読んで手を振ってきたり、昼食に誘われたり、小説の催促をされたり。
私はますます有頂天になって、彼に求められるがままに小説を書いた。
作品が完成したら彼は喜んで読んでくれる。それが嬉しくて、また小説を書いて彼に読んでもらい、喜んでもらい、私はまた執筆を始めるというループを何回も繰り返した。
こうやって関係を深めてきた私たちの仲が急激に進んだのは私が大学三年生で、彼が大学院一年生の時。
「俺さ、君のことが好きなんだ」
誰もいないサークルの部室で燈矢に告白された。
当然、私は「はい。よろしくお願いします」と頭を下げた。
「良かった。ちょっと緊張してたんだよね」
彼は、眉を下げて笑った後、私を抱きしめた。燈矢の腕の中は温かく、私は安心して目を閉じた。
こうして私たちの交際が始まった。
付き合い始めて一ヶ月経った頃。
「美百合!ほら見て!!」
彼がスマホを見せてきた。
画面にはミステリー小説の新人賞の結果発表ページが表示されている。
その大賞のタイトルが、私が以前書いた小説のタイトルと一致しており、作者名には燈矢のフルネームが記載されている。
「えっ、これ……、ど、どういうことですか?!」
「驚いた?実は美百合の小説を新人賞に送っていたんだよね」
「でも、作者名は燈矢さんのものですよ?」
私の小説を送ったのなら、作者名のところは私の名前じゃないとおかしい。
「ああ、俺の名前で送ったからね。受賞式も担当編集との打ち合わせも俺がやるから、君は小説だけを書いてくれれば良いよ。あ、受賞式のスピーチの文言も君が考えてくれる?」
「えっと……」
「理解力がないね、美百合は。俺のゴーストライターになれって言ってるんだよ」
「そんな……」
ゴーストライターなんてなりたくない。
小説を書いたのは私なんだから、燈矢じゃなくて私を褒めてほしい。
「嫌だって言うなら、別れようか」
真顔で言う燈矢。
声色も冷たく、私の胸にナイフのように突き刺さった。
私は彼が好きだし、別れたくなかったのだ。
「ゴーストライター……やります」
燈矢のために言葉を紡ぐ決心をした。
交際を始めて六年くらい経った時。
「俺たち結婚しない?」
燈矢が私の家に原稿を取りに来た時、軽い調子でプロポーズした。
あまりにも軽かったので冗談かと思った。
「冗談、ですか?」
「冗談じゃないよ。本気。で、返事は?」
「分かりました。よろしくお願いします」
私は彼の婚約者兼ゴーストライターになる道を選んだ。
婚約してから私は浮かれた。
しかし、彼の態度はどんどん冷たくなっていく。
前はもっと労いの言葉があった。
「お疲れ様、美百合。君にはとても感謝しているよ」
「今度二人でご飯に行こう。美味しいものを食べさせてあげる」
「好きだよ、美百合」
こんなふうに優しく言葉をかけてくれたはずなのに、最近は「好き」という言葉もくれない。
それでも小説を書き続ければ彼との繋がりを保っていられる。
だから執筆活動を頑張り、最後まで書き上げた小説を燈矢に渡した。
で、労いの言葉も無しに、
「君はもう俺のために小説を書かなくて良いよ。君の代わりは見つかったから。もう君は用無しだし、婚約も破棄ってことで」
などと宣ったのだ。
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