牙を以て牙を制す

makase

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序章

3 地下から地上へ

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 全身の骨という骨が軋んだ。鈍い痛みはやがて打撲痛となり、エインリッヒを襲う。だが、岩肌や押し固められた土の上ではないようだ。よろよろと辺りに手を伸ばすと、手触りの悪い麻布の袋のようなものを下敷きにしているのが分かった。中には布やら紙やら、柔らかいものが詰まっているようで、緩衝材の役割を果たしてくれたことに心から感謝した。
 辺りは人の気配がまるでなく、薄暗かった。吹き抜ける風の低音と、せせらぎのごとく響く水音だけがあった。だが、次第に瞳が慣れてくると朧気に周囲が確認できる。煉瓦造りのアーチ状の壁、目の前には水位の低い河川が人の歩く速度で流れている。情報を掛け合わせると、恐らくここは、地下にある下水道だろうと推測できた。天井からは、等間隔に橙色のランタンが灯されている。
 エインリッヒの求めていた暖かさとは程遠いが、刺す冷気が襲う外気に晒されるよりも、幾分か寒さをしのげるだけでもありがたい。エインリッヒは辺りに散らばった布袋をかき分け、どうにか立ち上がろうと四肢を動かした。するとまたも、彼にとっての幸運が舞い込んできた。
 下敷きにしていた布袋は、ゴミとして処分され、この辺りに放置されたものなのだろう。彼が落ちた衝撃で縛っていた口が緩んだ布袋から、衣類が飛び出していた。なんとも偶然なことに、彼の背丈にはぴったりのようであった。しかも処分されているものであるようなのに、目立った汚れがない。捨てられたものを勝手に自分のものにしてよいのか、良心がよぎったのは一瞬で、身に纏えるものを手に入れた喜びに勝るものは無かった。薄墨色の襟付きの上着は、銀色の三つボタンがついており、対となるボトムスは黒色。両者合わせて清潔感のあるコックコートのようだ。
 厨房で働く出で立ちへと変身したエインリッヒは、壁に手をついてよろよろと歩き出した。

(そもそも、俺はどうして地下になんか落ちたんだ?)

 エインリッヒはあの時紛れもなく、大木に手を伸ばしたはずだ。だからこそ、地下下水道へ転げ落ちた通りがまるでわからない。首をひねるも、考える時間は足を動かす労力に費やしたい。雪からの冷気は避けられたとはいえ、水際は芯まで冷える。吐いた息は白く、顔面で靄となっては消えていく。両腕をさすりながら、水滴の垂れる音の響く空間を進む。小さな音であっても跳ね返り反響している空間は、どこか寒々しい。どこまで進んでも代わり映えのしない景色に焦りから早歩きになったとき、行き止まりを見つけた。ただの行き止まりではない。壁に沿って長い鉄梯子が取り付けられている。首が痛くなるほど上を見上げれば、天井に蓋らしきものを見つけた。
 一度上り始めれば引き返すのは容易ではないだろう。万が一にも手を離してしまわないよう、吐息で手を温めてから、エインリッヒは躊躇なく梯子を上り始めた。上りきった先になにがあるのか、エインリッヒには予測できない。再び白銀の世界が現れる可能性の方が高い。それでも、ひたすらに上に向かって、手と足を梯子に掛けていくことをやめることはなかった。
 やがて頂点にたどり着いた時、天井の蓋を持ち上げた。恐る恐る上に広がる世界へと首を出す。予想とは異なり、寒さが蓋の向こうから忍び寄ることは無かった。周囲を確認するよりも早く、思い切って全身を天井の穴から出して、地下空間から這い出た。
 しっかりと自分で開けた蓋を閉じて、改めてエインリッヒは飛び出した地上世界をくるりと見渡した。
 ――呼吸を忘れた。外の世界に広がる現実よりも、自分の存在を疑った。
 あまりの光景に、絶句するほかなかった。

(これは……なんだ)

 脱出した先は、まるで城のエントランスホール。高い天井、広く開かれた空間。両側にはどっしりと太く、しかしながら繊細な彫刻が掘られた重厚な柱が立ち並び、正面には両開きになった巨大な扉。柱と柱の間には、荘厳な装飾と煌めく宝石が埋め込まれている。ホールの中央から四方八方へ伸びる様に、様々な場所へ繋がる扉が開け放たれていた。玄関の真向かいには半円状の階段が対となって鎮座しており、階段を上った先はまた別の場所に続いているのだろう。
 だが、エインリッヒが驚いたのは、建物の豪奢なつくりではない。彼が迫害されていた王宮にだって、場所によっては目を見張る細工が施されていた箇所もあった。
 彼が目を疑ったのは、今まで彼が歩んでいた日常とは、かけ離れた世界で構成されていたからだ。
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