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序章
2 雪に沈む
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一方、遡ること数日前。一人の青年が、身動きの取れない状態で深い雪に埋もれていた。
腕は後ろ手で力強く縛られており、両足も自由の利かない状態で拘束されたエインリッヒは、顔の半分を雪に沈ませていた。衣類は、裸体を覆い隠しているだけの襤褸を身に纏ったのみである。当然ながらこれでは寒さを防げるわけがない。辺り一面は猛吹雪、今はまだ意識ははっきりしているものの、じきに限界が来るだろう。
どこからどう見ても、まるで身分の卑しい青年が何かの罪を犯し、拷問を受けているかのような光景である。しかしながらエインリッヒは紛れもなく王宮で生まれ育った「王子」であった。
ただし彼の母国での扱いは、出自や出生時の状況が大きく影響し、他王族に比べて酷なものであった。様々な謀略が重なり合った結果、彼は母国にあっさりと捨てられ簀巻きにされてしまった。ほとんど飲まず食わずで数日間馬車に揺られ、はるばる縁もゆかりもない異国に投げ出されたのである。便宜上は貢物だ。これまで交流を築くことができなかった遥か上の立場の大国と繋がりたいという恥知らずな考えを抱いた王家が、「王子という文句に釣られ気に入ってくれないだろうか。あわよくば繋がりを作れないだろうか」と企んだためである。
煙獅子。それがエインリッヒが貢がれたこの国の名である。国土はほとんどを雪に覆われており、すべてが秘匿されている。その内情は一部の友好国しか知り得ない。圧倒的軍事力に加え、豊富な資源が眠るその国は神秘のベールに包まれていた。内部を探ろうと一歩でも不法に侵入してみれば、国の名前のごとく獅子が煙のようにどこからともなく湧き出て、その身を骨まで食らってしまうらしい。だからこそ、彼の国にはどんな国家でも手出しすることはできない。
エインリッヒの持ち得る煙獅子の知識は、その程度である。大陸で一番の影響力を持つ大国であるにも関わらず、詳細を知らなかった。なぜならば幼少期から王族が受けるべき教育を受けさせて貰えなかったからである。
祖国から彼を連れてきた役人は、二人掛かりでエインリッヒの上半身と下半身を抱えると、まるでゴミのように雪の大地へと放り込んだ。幸い、落とされた痛みを感じなかったのは柔らかい雪の大地のおかげだろう。役人が逃げる様に去ってからしばらくして、エインリッヒは誰かの気配を感じた。顔を覗かれた気もするが、ひどい吹雪に目が慣れず、視界を確保できなかった。そのため、相手を確認する頃には人影はなく、辺り一面雪景色だった。
(きっと国境を警備する者に違いない)
このままではエインリッヒは捕まってしまう。いや、噂通り不法侵入者を見つけ出す屈強な獅子が、この身を砕いてしまうだろうか。それとも、誰からも見向きもされず凍死するのが先だろうか。
それだけは困ると、エインリッヒは残り少ない体力で身をよじった。
彼の人生は、貧乏くじを引かされ続けたものであった。その原因は紛れもなく母国にあり、彼はしいたげられ続けてきたのだ。生まれ故郷は最終的に、彼を貢物という名目で廃棄したのだ。しかし、見方を変えればエインリッヒにとっては一筋の希望の光である。永遠に続くと思われた、呪いのような祖国との縁が途切れ、彼は今真の意味で自由になったのだ。
僅かな気力を振り絞り、息を止め、腕に力を篭め続けていると、みしみしと荒縄が音を立てた。歯を食いしばり両腕を互いに逆方向に引っ張ると、雪に晒された影響か、元から頑丈な縄ではなかったのか、彼を拘束していたものはぶちり、と引きちぎれた。自由を手に入れた両手で足首の紐も続けて解くと、雪の上に掌をつく。冷たさよりも痛烈な痛みが、エインリッヒの体を貫いた。こんなにも弱り切った体では長くはもたない。一刻も早く胃に何かを詰め込み、暖を取り体力を回復しなければ。
過酷な状況、死と隣り合わせな場面。
「……生きて、いける」
それでも、彼は生きることに前向きであった。ここでくたばってやるものかと、足跡ひとつついていない深い雪の中を踏みしめ歩いていく。ほとんど意味をなさない衣類がぐっしょりと濡れ、全身から体温を奪っているのに、彼の足を動かす胸を焦がす思いは湧いたままだ。
吹雪の中では遠くまで見渡すことは不可能だ。白く霞んだ世界の中で、エインリッヒはやがて大木の木陰へと身を預けた。雪を遮ることはできないが、少しでもこの身を休めることはできるだろうか。雪風をしのぐために、彼は大木の抉られたようなへこみ、洞に身をかがめて入ろうと手を伸ばした。
――だが、それは叶わなかった。
差し出した右手はぬるりと、大木の中に引きずり込まれていったのだ。
あっ、と叫ぶ余地もなかった。崩した体勢を元に戻す暇などももちろんなかった。みるみるうちに彼の手のひらのみならず、腕、肩が吸い込まれていき、そしてあっという間にエインリッヒの全身は、洞に飲み込まれてしまった。
腕は後ろ手で力強く縛られており、両足も自由の利かない状態で拘束されたエインリッヒは、顔の半分を雪に沈ませていた。衣類は、裸体を覆い隠しているだけの襤褸を身に纏ったのみである。当然ながらこれでは寒さを防げるわけがない。辺り一面は猛吹雪、今はまだ意識ははっきりしているものの、じきに限界が来るだろう。
どこからどう見ても、まるで身分の卑しい青年が何かの罪を犯し、拷問を受けているかのような光景である。しかしながらエインリッヒは紛れもなく王宮で生まれ育った「王子」であった。
ただし彼の母国での扱いは、出自や出生時の状況が大きく影響し、他王族に比べて酷なものであった。様々な謀略が重なり合った結果、彼は母国にあっさりと捨てられ簀巻きにされてしまった。ほとんど飲まず食わずで数日間馬車に揺られ、はるばる縁もゆかりもない異国に投げ出されたのである。便宜上は貢物だ。これまで交流を築くことができなかった遥か上の立場の大国と繋がりたいという恥知らずな考えを抱いた王家が、「王子という文句に釣られ気に入ってくれないだろうか。あわよくば繋がりを作れないだろうか」と企んだためである。
煙獅子。それがエインリッヒが貢がれたこの国の名である。国土はほとんどを雪に覆われており、すべてが秘匿されている。その内情は一部の友好国しか知り得ない。圧倒的軍事力に加え、豊富な資源が眠るその国は神秘のベールに包まれていた。内部を探ろうと一歩でも不法に侵入してみれば、国の名前のごとく獅子が煙のようにどこからともなく湧き出て、その身を骨まで食らってしまうらしい。だからこそ、彼の国にはどんな国家でも手出しすることはできない。
エインリッヒの持ち得る煙獅子の知識は、その程度である。大陸で一番の影響力を持つ大国であるにも関わらず、詳細を知らなかった。なぜならば幼少期から王族が受けるべき教育を受けさせて貰えなかったからである。
祖国から彼を連れてきた役人は、二人掛かりでエインリッヒの上半身と下半身を抱えると、まるでゴミのように雪の大地へと放り込んだ。幸い、落とされた痛みを感じなかったのは柔らかい雪の大地のおかげだろう。役人が逃げる様に去ってからしばらくして、エインリッヒは誰かの気配を感じた。顔を覗かれた気もするが、ひどい吹雪に目が慣れず、視界を確保できなかった。そのため、相手を確認する頃には人影はなく、辺り一面雪景色だった。
(きっと国境を警備する者に違いない)
このままではエインリッヒは捕まってしまう。いや、噂通り不法侵入者を見つけ出す屈強な獅子が、この身を砕いてしまうだろうか。それとも、誰からも見向きもされず凍死するのが先だろうか。
それだけは困ると、エインリッヒは残り少ない体力で身をよじった。
彼の人生は、貧乏くじを引かされ続けたものであった。その原因は紛れもなく母国にあり、彼はしいたげられ続けてきたのだ。生まれ故郷は最終的に、彼を貢物という名目で廃棄したのだ。しかし、見方を変えればエインリッヒにとっては一筋の希望の光である。永遠に続くと思われた、呪いのような祖国との縁が途切れ、彼は今真の意味で自由になったのだ。
僅かな気力を振り絞り、息を止め、腕に力を篭め続けていると、みしみしと荒縄が音を立てた。歯を食いしばり両腕を互いに逆方向に引っ張ると、雪に晒された影響か、元から頑丈な縄ではなかったのか、彼を拘束していたものはぶちり、と引きちぎれた。自由を手に入れた両手で足首の紐も続けて解くと、雪の上に掌をつく。冷たさよりも痛烈な痛みが、エインリッヒの体を貫いた。こんなにも弱り切った体では長くはもたない。一刻も早く胃に何かを詰め込み、暖を取り体力を回復しなければ。
過酷な状況、死と隣り合わせな場面。
「……生きて、いける」
それでも、彼は生きることに前向きであった。ここでくたばってやるものかと、足跡ひとつついていない深い雪の中を踏みしめ歩いていく。ほとんど意味をなさない衣類がぐっしょりと濡れ、全身から体温を奪っているのに、彼の足を動かす胸を焦がす思いは湧いたままだ。
吹雪の中では遠くまで見渡すことは不可能だ。白く霞んだ世界の中で、エインリッヒはやがて大木の木陰へと身を預けた。雪を遮ることはできないが、少しでもこの身を休めることはできるだろうか。雪風をしのぐために、彼は大木の抉られたようなへこみ、洞に身をかがめて入ろうと手を伸ばした。
――だが、それは叶わなかった。
差し出した右手はぬるりと、大木の中に引きずり込まれていったのだ。
あっ、と叫ぶ余地もなかった。崩した体勢を元に戻す暇などももちろんなかった。みるみるうちに彼の手のひらのみならず、腕、肩が吸い込まれていき、そしてあっという間にエインリッヒの全身は、洞に飲み込まれてしまった。
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