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第16話
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「カミーユ……」
低く、絞り出すような声。
「夜な夜な、行き先も告げずに出かけていたのは。子供たちのことすら放り出して、上の空だったのは……こういうことだったのか!」
ヒューゴ様の脳裏にも、たぶん、過ぎ去った幸せな時間を思い出していたのだと思う。私が見てきた、あの理想の夫婦の姿が。
二人の結婚式の日。普段は冷静沈着なヒューゴ様が、珍しくガチガチに緊張していた。そんな彼の手を、純白のドレスに身を包んだ姉様がそっと握った。
『大丈夫よ、あなた。私がついてるわ』
そう言って笑った姉様の顔は、太陽そのものだった。その笑顔に、ヒューゴ様もつられて、はにかむように笑っていた。あの光景は、一枚の絵画のように美しかった。
長男のレオンが生まれた日。私はお見舞いに行った。見るからに疲れきって横たわる姉様の隣で、ヒューゴ様が、生まれたばかりの赤ん坊を、壊れ物を扱うように、それはもうぎこちなく抱き上げていた。
『……俺に、似てないな』
『あら、あなたのその不器用なところは、そっくりよ』
そう言って、二人が顔を見合わせて笑い合った時の、あの満ち足りた空気。部屋中が、幸せな色に染まっていた。
庭で、幼い子供たちと一緒になって追いかけっこをする姉様。泥だらけになって笑うその姿を、書斎の窓から見守るヒューゴ様の、慈愛に満ちた、とろけるように甘い眼差し。
そのすべてが、偽りだったとでも言うのか。
「ヒューゴ、違うの……! 私は、あなたを愛して――」
姉様が、必死に弁解しようとする。だが、その言葉は最後まで紡がれなかった。
「違わないだろう」
低く、唇を震わせるような重たい声で、ヒューゴ様が言い放つ。彼は、投影されていた空間――今はもう何もない虚空を、指さした。
「あれが、真実だ」
その言葉が、無慈悲なとどめの一撃だった。
「あ……」
姉様は、か細い声を漏らし、糸が切れた人形のように、がくりと力が抜け、その場に座り込んでしまった。完璧に結い上げられていた金色の髪が乱れ、何着もあつらえた高価なシルクのドレスが、みじめにも床に倒れ、細かな汚れがまとわりついていた。
彼女の美しさの象徴だったプライドが、ガラガラと音を立てて砕け散った瞬間だった。
私は、もうその二人を振り返らなかった。
腰が抜けたようにへたり込むフレッド様も、ひたすら謝罪を繰り返すその両親も、なすすべなく立ち尽くす神殿の重鎮たちも、どうでもよかった。
「大神官フレッド殿、および、そのご実家であるサザーランド侯爵家との縁談は、これをもって白紙とする! 我がアルンハイム家への、そして、私の娘マリアへのこの度の侮辱、決して許されるものではないと知れ!」
父、アルンハイム伯爵は、心の中では迷いがあったが、声にはしっかりとした力がこもっていた。
その言葉が、この茶番劇の終わりを告げた。
剥がれた仮面。壊れた信頼。砕け散った未来。
もう、何も元には戻らない。
でも――不思議だった。
今、ようやく、ちゃんと息ができる気がした。
胸に引っかかっていた重苦しい思いが消えていき、体が少し軽くなったように感じた。
低く、絞り出すような声。
「夜な夜な、行き先も告げずに出かけていたのは。子供たちのことすら放り出して、上の空だったのは……こういうことだったのか!」
ヒューゴ様の脳裏にも、たぶん、過ぎ去った幸せな時間を思い出していたのだと思う。私が見てきた、あの理想の夫婦の姿が。
二人の結婚式の日。普段は冷静沈着なヒューゴ様が、珍しくガチガチに緊張していた。そんな彼の手を、純白のドレスに身を包んだ姉様がそっと握った。
『大丈夫よ、あなた。私がついてるわ』
そう言って笑った姉様の顔は、太陽そのものだった。その笑顔に、ヒューゴ様もつられて、はにかむように笑っていた。あの光景は、一枚の絵画のように美しかった。
長男のレオンが生まれた日。私はお見舞いに行った。見るからに疲れきって横たわる姉様の隣で、ヒューゴ様が、生まれたばかりの赤ん坊を、壊れ物を扱うように、それはもうぎこちなく抱き上げていた。
『……俺に、似てないな』
『あら、あなたのその不器用なところは、そっくりよ』
そう言って、二人が顔を見合わせて笑い合った時の、あの満ち足りた空気。部屋中が、幸せな色に染まっていた。
庭で、幼い子供たちと一緒になって追いかけっこをする姉様。泥だらけになって笑うその姿を、書斎の窓から見守るヒューゴ様の、慈愛に満ちた、とろけるように甘い眼差し。
そのすべてが、偽りだったとでも言うのか。
「ヒューゴ、違うの……! 私は、あなたを愛して――」
姉様が、必死に弁解しようとする。だが、その言葉は最後まで紡がれなかった。
「違わないだろう」
低く、唇を震わせるような重たい声で、ヒューゴ様が言い放つ。彼は、投影されていた空間――今はもう何もない虚空を、指さした。
「あれが、真実だ」
その言葉が、無慈悲なとどめの一撃だった。
「あ……」
姉様は、か細い声を漏らし、糸が切れた人形のように、がくりと力が抜け、その場に座り込んでしまった。完璧に結い上げられていた金色の髪が乱れ、何着もあつらえた高価なシルクのドレスが、みじめにも床に倒れ、細かな汚れがまとわりついていた。
彼女の美しさの象徴だったプライドが、ガラガラと音を立てて砕け散った瞬間だった。
私は、もうその二人を振り返らなかった。
腰が抜けたようにへたり込むフレッド様も、ひたすら謝罪を繰り返すその両親も、なすすべなく立ち尽くす神殿の重鎮たちも、どうでもよかった。
「大神官フレッド殿、および、そのご実家であるサザーランド侯爵家との縁談は、これをもって白紙とする! 我がアルンハイム家への、そして、私の娘マリアへのこの度の侮辱、決して許されるものではないと知れ!」
父、アルンハイム伯爵は、心の中では迷いがあったが、声にはしっかりとした力がこもっていた。
その言葉が、この茶番劇の終わりを告げた。
剥がれた仮面。壊れた信頼。砕け散った未来。
もう、何も元には戻らない。
でも――不思議だった。
今、ようやく、ちゃんと息ができる気がした。
胸に引っかかっていた重苦しい思いが消えていき、体が少し軽くなったように感じた。
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