相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴

文字の大きさ
12 / 69

11 譲れない境界線

しおりを挟む
 夏の日差しも和らいできた頃、俺は夕陽の差し込む寝室で一人物思いに耽っていた。

 月島のことについてだ。

 差し当たって何か問題があった訳ではない。月島に根負けして協定を結んだあの日から、俺たちは週に一度会っては寝るという関係を続けていた。
 協定というのは、俺が一方的に押し付けた約束事の数々である。一つ、連絡は必要最低限に留めること。二つ、互いの私生活には干渉しないこと。三つ、夜の生活にも口を出さないこと……等々。
 ここぞとばかりにたっぷり注文を付けてやると、月島は不服そうにしていたが、これがセフレになる絶対条件だと断言すると何も言わずに受け入れた。

 それから二ヶ月以上、俺たちは大きな衝突も無く関係を続けている。
 その関係がいかに順調かは、俺の部屋を見渡せば一目瞭然だ。

「アイツ、また荷物増やしたな?」

 部屋のあちこちでは、いつの間にか持ち込まれた月島の私物が我が物顔で鎮座していた。
 寝室の枕も、洗面所の歯ブラシも、食器もいつの間にか増やされており、今もベランダにはサイズの違うシャツが並んで干されている。
 では、何を悩むことがあるのか。

 ……問題が無さ過ぎるのだ。

 月島との関係に満足してしまっている現状が受け入れられなかった。思えば、せっかく相互不干渉としたにも関わらず、ここ最近は月島としか寝ていない。
 それが妙に落ち着かなかった。理由は、分からないのだが。

(何で月島は嫌なんだろう。気持ち良くなれて、都合が良ければ誰でもいいじゃないか)

 今まで、特定の相手と長期間関係を持ち続けたことが無い訳じゃない。長い時には一年くらい同じ相手と寝ていたこともある。
 馬の合いそうな相手を探すのも楽ではないのだ。むしろ、都合が良ければ関係を維持するように動いてきた。その時には、こんな抵抗感など無かったのに。

(やっぱり嫌いな男だからだろうか? それも今更な気がするけど……)

 いくら考えても答えは出そうになかった。それに、うじうじ悩んでいるのは俺らしくない。とりあえず、気分転換がてら月島以外の相手と寝てみることにしよう。
 俺はそう決めると、月島に「今週はパス」とだけメールを送ってパソコンを立ち上げた。

 ——この時、原因不明の焦燥感に苛まれていたことは間違いない。
 その結果、俺は当然のことを失念する。
 昨日も今日も大丈夫だったことが、明日も大丈夫とは限らない、ということを。

 ◆

 私生活では大きな変化のあった俺と月島の関係だが、こと会社においては驚くほど何の変化も無かった。
 セフレにならないかと言われた時には、どんな顔をして会社で会えばいいのかと悩んだものだが、一方の月島は、夜のことなど無かったかのように平然としていた。
 素直に感心してしまうほど凄まじい割り切り方である。前に公私混同しないタイプだと匂わせていただけはあるということか。

 そういう訳で、俺たちは今日も変わらず、ぶつかり合う日々を送っていた。

「君は付き合う相手をきちんと考えた方がいい。その取引先はあまり業績も素行もよろしくない、信用するに足らない会社だと思うが」

「どこの会社も叩けば埃の一つくらい出るだろ。うちとの取引では過去に何も問題を起こしていない上に、最短納期がこの会社なんだ。少し不安要素があるだけで棄てられるか」
「それは拙速と言うのだよ、リスクは避けて着実に進行するべきだ」
「他社に先を越されてもか? すでにライバル会社が動き出しているんだ。慎重と愚鈍は違うぞ」
「迅速と軽率も違うということを知った方がいい。特に君はね」
「はっ、御高説痛み入りますね。ところで忙しいので仕事に戻ってもいいですか?」

 今日も今日とて飽きず懲りず、月島と顔を付き合わせて睨み合う。
 やはりコイツとは根本的に考え方が合わなかった。

「私だって忙しいのだ、これだけ説明しているのだからそろそろ理解してくれると助かる」
「俺の反論もそろそろ聞いてくれると嬉しいね、その耳が飾りじゃないならば」
「……君に道理を説くのは酷く骨が折れるね、ここは上司の判断を仰ぐべきかと思うが」
「それには俺も賛成だ、石頭にも染みる言葉を探すのは難しいからな。これ以上は時間の無駄だ」
「課長」
「課長」

 月島と口を揃えて振り返れば、非常に嫌そうな顔をした課長と目が合った。俺に振るなと言わんばかりの表情だが、そんな主張は俺も月島も揃って黙殺する。

 やがて課長はうんうん唸って悩んだ結果、ゆっくりと俺の方を指差した。
 俺はそれに満面の笑みで応え、月島へと向き直る。

「……だ、そうだ。分かったら席に戻ってくれ」
「ふむ、今回はスピード感を重視されているようだね。ならばもう何も言うまい、君の浅慮な判断でプロジェクトに懸念が生じるのは心苦しいところだが、そのリスクを理解させるだけの説明が私には出来ないようだ。己の力不足を恨むばかりだよ」

 何が「何も言うまい」だ。充分過ぎるほど喋っているではないか。
 もう一発ほど返してから仕事に戻ろうと考えたところで、ずっと黙って俺たちのやり取りを聞いていた神原が辟易した様子で口を開いた。

「お二人とも嫌味抜きで話し合えないんですか……」

 溜息交じりに呟く神原はうんざりとした表情を浮かべている。そりゃ自分が仕事をしている隣で言い争われたらさぞ迷惑だろう。だが、乗っからせてもらう。

「おっと神原、お前もなかなか言うな。流石の俺も月島に死ねとまでは言わないぞ」
「はい?」
「コイツにとって嫌味は呼吸と変わらないからな。もし嫌味が言えなくなったら窒息死するぞ」
「ほう、その理屈が通じるなら悲しいね。君の方が早死にしそうだ」
「あぁもう、僕までダシにしないでくださいよ……」

 神原は諦めた表情で机に突っ伏した。流石に可哀想になってきたので、この辺でお開きにしておくとしよう。
 会話を断ち切るために受話器を取ると、向こうも肩をすくめて自席に戻って行った。
 変わらなさ過ぎる、嫌な日常である。

 わだかまった気持ちはすぐに晴れそうになかったが、件の取引先と今後の道筋を付け終わった頃には少し頭も冷えてきていた。

「巻き込んで悪かったな」

 一言詫びて、神原に菓子を差し出す。
 神原はまだむくれていたが、菓子を受け取るとすぐに口へと放り込んだ。

「まあ、いい加減お二人の言い争いにも慣れてきましたけどね。ところで一つ気になったことがあるんですけど」
「なんだ?」
「月島さんとの距離、近過ぎませんか。その、物理的に」
「……まじ?」

 指摘されるまで気が付かなかったが、確かに思い返せば睫毛が数えられそうなほど顔が近かったような気もする。
 いまいち認めきれない俺に、神原は重々しく頷いた。

「まじです」
「あー……気にするな」

 どうやら何も変わらないと思っていたのは当人だけだったようだ。
 また疑惑が再燃しても堪らない。せいぜいぼろを出さないように気を付けるとしよう。


 ——なんて決意をした日の夕方のことだ。


 俺が何か決断をした時、もれなく邪魔をして来るのが月島亮介という男だった。
 もはやエスパーの如く。俺は自分の思考が読まれているのではないかと気になって仕方がない。
 そんな益体の無いことを、俺は月島に肩を抱かれながら考えていた。

「……」

 隣には月島。目の前には久しぶりに会った同期。
 どうしてこんなことになったのか。時は十分前に遡る。

「そこにいるのは篠崎か? 久しぶりだな!」
「ん? ……保坂じゃないか、戻ってきてたのか!」

 俺は休憩がてら、ラウンジで紅茶を飲んでいるところだった。
 そこに懐かしい顔がやってきたのである。同期の保坂だ。

 保坂とは新人研修で同じチームになった縁もあり、入社当初から良い関係を築いていた。三年前に保坂が子会社へ出向してからというものの、少し疎遠になっていたが、元気にしていたようである。

「今年からまた本社でやることになってな。広報担当になったからあんまり関わりはないかもしれないが、よろしく頼むよ」
「へえ、広報か。面白そうな話があったら教えてくれよ。あと使えそうなヤツとかもな」
「そういうところ、変わってないな」

 冗談交じりに述べれば、保坂は苦笑いを浮かべた。
 話を聞いた中では、子会社でも同じノリで周囲に溶け込んで仲良くやっていたようだ。人材交流を終えて本社に帰ることが決まった際には、連日送別会に呼ばれて嬉しい苦労をしたという。

「たった三年とはいえ、本社も様変わりして見えてなぁ。気分は浦島太郎だよ」
「なんだ、心細いのか?」
「それはもう、構ってくれなきゃ寂しくて死ぬぞ?」
「お前が言っても可愛くないからやめろ。この三年間は色々あったな。例えば……」

 誰が結婚しただの、どこの部署に誰がいるだの、ここ最近の情報交換をしていたら時間が経つのはあっという間だった。
 まだまだ話し足りない思いはあったが、もうすぐ猫宮との約束がある。俺は名残を惜しみつつも、話を切り上げることにした。

「悪い、俺そろそろ行かなきゃならないんだ」
「そうか、また近いうちに飲みにでも行こうぜ」

 断りを入れて立ち上がった俺の背中を、保坂が親しげに叩く。
 異変が起きたのはその時だった。

「!」

 不意に、何者かに強く引き寄せられる。
 ぐっと肩を握り込まれる感覚に驚いて振り返れば、月島が恐ろしい形相で保坂を睨みつけていた。
 月島は、あまり感情を見せない男だ。
 これほどあからさまに激情を浮かべている姿は、散々月島を怒らせてきた俺ですら見たことがない。

「……っ」

 誰も二の句が告げずにいると、月島は一度表情を失い、そしてゆっくりと目を見開いて俺を見た。その口は、無意味に開いては閉じてを繰り返している。
 にわかには信じ難いが、衝動的な行動の結果、始末に困っている様子だった。コイツが我を忘れるとは、明日は雨に違いない。

「つき、しま?」

 静寂を破ったのは、怯えの滲む保坂の声だった。

 ……さて、この気まずい空気をどうしてくれようか。
 不本意ながら月島に対しては借りがある。神原への返答に詰まった際に口添えを受けた件だ。ここは一つ、それを返してやるとしよう。

「悪いな、ちょっと立ちくらみを起こしたみたいだ。支えてもらって助かった」
「……あ、ああ。気を付けてくれ」

 適当に理由を付けて身を離せば、向こうも察して話を合わせてくる。

「じゃあな、保坂。また今度」

 俺はまだ戸惑っている保坂から逃げるように猫宮の下へと向かった。その足取りはいつもより早い。 妙な高揚感と動悸が不愉快で、許されるなら走り出したい気分だった。
 激情を剥き出しにした月島の顔が、脳裏にこびりついて離れない。


「よう、篠崎。時間ピッタリだな……って、どうしたんだ?」

 猫宮は俺の顔を見るなり目を丸くする。
 その声に引き寄せられた周囲の人間も、同じように驚きを滲ませていた。

「な、何がですか」
「自覚ないのか? 顔、真っ赤だぞ」

 猫宮に指摘されて頬に手を当てる。熱い。
 絶句した。

 違う。絶対に違う。

 これは急いで来たからであって、月島とはなんら関係のない現象だ。俺と月島は『天敵』同士、身体だけの関係なのだから。
 そう。特別な人間は、二度と作らないと決めたのだ。


「——実は遅刻しそうになって、そこまで走ってきたんです」
「おいおい、お前でもそういうことがあるんだな」

 猫宮はさして疑わず俺の言葉を信じ、呆れたように笑った。
 俺も同調して曖昧な笑みを返す。そして大きく深呼吸をしてから、猫宮の後に続いてその場を離れた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)

優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。 本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます

猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」 「いや、するわけないだろ!」 相川優也(25) 主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。 碧スバル(21) 指名ナンバーワンの美形ホスト。自称博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。 「絶対に僕の方が美形なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ!」 「スバル、お前なにいってんの……?」 冗談?本気?二人の結末は? 美形病みホス×平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。 ※現在、続編連載再開に向けて、超大幅加筆修正中です。読んでくださっていた皆様にはご迷惑をおかけします。追加シーンがたくさんあるので、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

女子にモテる極上のイケメンな幼馴染(男)は、ずっと俺に片思いしてたらしいです。

山法師
BL
 南野奏夜(みなみの そうや)、総合大学の一年生。彼には同じ大学に通う同い年の幼馴染がいる。橘圭介(たちばな けいすけ)というイケメンの権化のような幼馴染は、イケメンの権化ゆえに女子にモテ、いつも彼女がいる……が、なぜか彼女と長続きしない男だった。  彼女ができて、付き合って、数ヶ月しないで彼女と別れて泣く圭介を、奏夜が慰める。そして、モテる幼馴染である圭介なので、彼にはまた彼女ができる。  そんな日々の中で、今日もまた「別れた」と連絡を寄越してきた圭介に会いに行くと、こう言われた。 「そーちゃん、キスさせて」  その日を境に、奏夜と圭介の関係は変化していく。

ヤンデレ執着系イケメンのターゲットな訳ですが

街の頑張り屋さん
BL
執着系イケメンのターゲットな僕がなんとか逃げようとするも逃げられない そんなお話です

親友が虎視眈々と僕を囲い込む準備をしていた

こたま
BL
西井朔空(さく)は24歳。IT企業で社会人生活を送っていた。朔空には、高校時代の親友で今も交流のある鹿島絢斗(あやと)がいる。大学時代に起業して財を成したイケメンである。賃貸マンションの配管故障のため部屋が水浸しになり使えなくなった日、絢斗に助けを求めると…美形×平凡と思っている美人の社会人ハッピーエンドBLです。

ワンナイトした男がハイスペ弁護士だったので付き合ってみることにした

おもちDX
BL
弁護士なのに未成年とシちゃった……!?と焦りつつ好きになったので突き進む攻めと、嘘をついて付き合ってみたら本気になっちゃってこじれる受けのお話。 初めてワンナイトした相手に即落ちした純情男 × 誰とも深い関係にならない遊び人の大学生

処理中です...