相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴

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12 天邪鬼の逃避行

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 週末の夜。

 俺は会社を後にして、家とは逆方向の電車に揺られていた。
 乗車前に駅前のカプセルホテルでシャワーを浴びて来たので、車内の少し強めの空調が心地よい。
 火照った身体を冷ますため、ネクタイを引き抜いてシャツの首元をくつろげる。篭っていた熱気が抜けていく清涼感に、思わず溜息が漏れた。

『まもなく駅に到着します。降車される方は——』

 目的の駅に降り立つと、アスファルトと人混みの熱が全身にまとわりついてきた。
 相手からの連絡はまだ来ていないが、この熱気の中で待つのも気が滅入る。

「……先に行って待ってるか」

 駅を出て、スマホを頼りに最寄りの公園へ向かう。
 木々が生い茂り月明かりも届かないこの公園は、外灯もまばらで、一人で歩くのは心許ない。しかし、秘密の待ち合わせにはうってつけだった。

 暗がりの中、ポツンと照らされたベンチに腰掛けて連絡を待つ。

「七時半まで……あと十分か」

 手持ち無沙汰にスマホを眺めていると、どうしてもあの男のことを考えてしまう。

 月島は今頃、どうしているのだろうか。
 ここ最近、毎週末は月島と過ごすのが日常となっていた。
 今日も本当なら月島と会って、一緒に食事でもしていた筈である。すっかり、晩ご飯を一緒に食べる習慣までついてしまっていた。
 月島は料理が苦手だと言っていたが、今日は一人、自宅で出来合いの弁当でも食べているのだろうか。

「……」

 浮かんでしまった想像を振り払うように、乱暴に汗を拭う。
 俺は何も悪いことをしていない。月島とは付き合ってもいないし、事前に私生活には相互不干渉だと釘も刺してある。それを向こうも了承したのだ。
 だが、どうにも後ろめたい気分は拭えなかった。

 何故か。
 月島の方は、ただのセフレだと割り切っていないことを薄々察しているからだ。

 本人は隠しているつもりらしいが、あれほど熱烈に抱かれていれば嫌でも気付く。視線一つ取っても、俺に好意を抱いているであろうことは容易に把握できた。
 分かった上で、ここに居るのだ。月島から逃げるように。 
 それでも、本当に悪いことをしていないと言えるのだろうか。

「……っ!」

 不意にスマホの通知が鳴り、意識を引き戻される。
 相手が公園に着いたようだ。
 今更、約束を取り止める訳にもいかない。浮かびかけた疑念に蓋をして、相手にメールを送り返すと、一人の男が近づいてきた。

「遅くなりました、『とーる』さんで間違いないっすよね?」
「ええ。今日はよろしくお願いします、『アズマ』さん」

 やってきた男は、ラフな出で立ちにリュックを背負った軽薄そうな男だった。髪を明るい茶色に染めて、耳にはピアスを開けている。年齢は俺と同じか少し下だろうか。
 いつもと違うタイプの男を選んでみたが、これは少し思い切り過ぎたかもしれない。

 ただ、月島のことは思い出さずに済みそうだった。

「こちらこそ、どーぞよろしく」
「……」

 躊躇いを押し隠し、差し出された手を握り返す。
 どうせ一晩の付き合いなのだ。せいぜい楽しむことにしよう。

 ◆

 予約したビジネスホテルは、町外れにひっそりと佇んでいた。
 チェックインを済ませた後、宿帳に記帳して部屋へと向かう。

「それにしても暑いっすね、夏も終わりだっていうのに」
「来週には涼しくなるらしいですけど、参りますよね」

 取り留めのない会話をしながら部屋に入り、上着や鞄をソファの上に放る。
 そのままシャツも脱ぎ掛けたところで、アズマが制止の声をかけてきた。

「すいませんけど、ちょっと一休みしていいっすか? 喉乾いちゃって」
「ああ、大丈夫ですよ」

 この熱帯夜では無理もない話だった。俺が了承を返すと、アズマは備え付けのコップをニつ並べて向かいのソファへと腰かけた。
 おもむろにリュックを漁り、ペットボトルの緑茶を開けてコップに注いでいく。そして片方を俺に差し出すと、自分の分を半分ほど飲み干して一息吐いた。

 そこまで喉は乾いていなかったが、受け取ってしまった以上、飲まないのも悪くて口を付ける。いつも紅茶ばかり飲んでいたため、久しぶりに飲んだ緑茶はやけに苦く感じられた。

「とーるさん、シャワー浴びます?」
「いや、私は済ませてきましたので」
「そうしたら俺、少し汗を流してきます。せっかく準備してきたのにもう汗だくで。すぐ出てきますから」
「ええ、お構いなく」

 そして、アズマは風呂に続く扉の先へと消えていった。
 残された俺は、手持ち無沙汰にスマホを取り出す。画面には月島からの着信履歴が表示されていた。
 恐らく、今晩の予定について再確認するために電話をかけてきたのだろう。返信しておくか悩んだが、結局何もしないうちにアズマが戻ってきてしまった。

「お待たせっす」

 首にタオルを巻き、下着を身に付けただけの姿だ。少々だらしないが、これからすることを思えば不思議は無い。
 俺もソファから立ち上がり、シャツのボタンを外していく。ベッドの端に腰掛ければ、熱っぽい目をしたアズマに押し倒された。
 誘うようにその背に手を回そうとしたその時、不意に薬品の臭いが鼻腔を掠める。

「——ッ!」

 それを不審に思う間も無く、アズマが自分のタオルを俺の口元へと押し付けてきた。
 じっとりと濡れたタオルの感触と、濃厚な薬品の臭いに身の危険を感じて息を止める。間髪入れずに跳ね起きようとしたが、体勢が苦しくて力が入らなかった。
 腕を引き剥がそうにも、体重をかけられている今の状況では身動きもままならない。
 いよいよもって危うい状況に、嫌な汗がどっと吹き出した。

(まずい、やばい……っ! いや、落ち着け!)

 パニックに陥りかけている頭を理性で無理矢理抑え付け、一度冷静に相手を観察する。
 アズマは俺の反撃を警戒して身体を密着させていたが、自分まで薬品を吸い込んでしまわないように顔だけは離していた。
 狙うべきは顎だ。迷わず全力で拳を突き上げる。

「ぐあっ!」
「ど、けよ!」

 相手の体勢が崩れたところでタオルを毟り取り、勢いのままベッドの下へ蹴り落とす。身体の自由は取り戻したが、まだ窮地を脱したとは言えない。
 拳の当たりが浅くて気絶させられなかった上に、何を吸わされたのか知らないが、頭に靄がかかるような感覚がしていた。

「よくも殴ってくれたな、この野郎……!」
「自業自得だ、犯罪者」

 逆上したアズマが雰囲気を一変させて掴みかかってくる。しかし、その動きは素人だ。これなら何とかなる。……そう思ったところで、洗面所から別の男が顔を出した。

「何しくじってんだよ!」

 アズマの仲間らしき男は、俺を羽交い締めにしようと加勢してきた。しかも仲間は一人ではないらしい。
 一人目を殴り、二人目を蹴り飛ばし、三人目が出てきたところですぐさま踵を返した。
 二人ならどうにかできる自信があるが、三人相手にした場合の勝率は微妙なところだ。

「クソ野郎ども……!」

 俺は上着と鞄を引っ掴んで近くの窓に取り付くと、迷わず外へと身を躍らせた。
 幸いにもここは二階。それでも常人なら身の竦む高さだが、この程度の高さなら何度も飛び降りたことが——、

「……ッ」

 ある、のだが。
 身動きの取りづらい服装だったことが災いして着地が乱れる。咄嗟に転がったが、それでも衝撃を逃がし切れず右足首に嫌な感触がした。
 社会人になってから喧嘩もしなくなって久しい。随分と勘が鈍っているようである。

 しかし、己の運動不足を嘆いている暇はない。
 すでに背後では騒がしく追いかけて来ている気配がしていた。二階程度を飛び降りたところで、非常階段でも使われればすぐにでも追いつかれてしまう。
 その上、痛めた足と薬の効いた身体では、何処まで逃げられるか疑問だった。

「ああ畜生、最悪だ。出ろよ、出てくれよ」

 人気のない道を走りながら電話をかける。相手は……月島だ。
 事が事だけに他に頼れる選択肢は無く、なりふり構っていられる余裕も無かった。己の人脈の狭さを嘆きたくなってくるがそんな暇もない。

 必死の祈りが通じたのか、三コール目で電話が繋がる。

「篠崎君? 今日は、」
「月島、悪い。助けてくれ!」

 切羽詰まった声で叫んだ瞬間、電話の向こうで息を飲む音がした。

「何があった?」
「色々あって追われてる、すまないが迎えに来てくれないか」
「……場所は?」

 通り過ぎざまに目に入った住所を片っ端から伝えていく。
 三つ、四つほど伝えれば、月島も概ねの場所と進行方向を掴んだらしい。

「そのまま真っ直ぐ進んで、突き当たりは右に曲がれ。十分で着く。銀のセダンだ」

 月島は必要な情報だけ手早く伝えると、電話を切った。

(十分、か……)

 思っていたより早い到着だが、焦りは増す一方だった。
 先ほどから嫌な感覚がしているのだ。走ったせいか薬の回りが早く、何度目をこすっても視界が晴れない。
 それでも走り続け、月島の指示通りに突き当たりを右に曲がる。

「はっ……畜生」


 まだ距離はあるが、背後から車のエンジン音が聞こえていた。
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