相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴

文字の大きさ
26 / 69

24 非合理な感情

しおりを挟む
 月島は肩をすくめると、俺の荷物をかっさらって部屋の中へと入っていった。
 ちょっと引いた気持ちのまま、俺も後に続く。

 アロマでも炊いているのか、広々とした室内にはふわりと柑橘系の香りが漂っていた。
 海に面した大きな窓からは港が一望できる。
 夕暮れに差し掛かり、オレンジ色に染まり始めた海は息を飲むほど美しかった。吸い込まれるようにテラスに出れば、水平線の向こうにはいくつか島が見える。

 絶好の眺めだ。流石スイートルームと言ったところか。

 当然だが、こんなところに泊まるのは初めてだ。興味を惹かれ、荷解きをしている月島を放って更に室内を見て回る。
 照明一つ取っても凝った作りの室内は、セピア調の家具で統一されていた。何気なくソファに手を突いたところ、想像以上に沈み込んでたたらを踏む。それでも、床一面に敷かれた絨毯のおかげで足音も立たなかった。

「凄いな……」

 俺の部屋にある物よりも遥かに大きいテレビを尻目にリビングを後にして、手当たり次第に扉の先を確認していく。
 そこで暮らせそうなほど広いクローゼットと、五、六人は一緒に入れそうなバスルームを冷やかし、続いて寝室へ続く扉を開いた瞬間に俺はそのまま固まった。


 ベッドがツインではなくダブルだ……!


 いや、大きさから察するに正しくはキングだろう。そんなこと今はどうでもいいのだが。
 男二人でスイートルームというのも充分にアレだが、更にキングベッドというのはもはや確定的だ。言い逃れのしようがない。

 もう、ホテルの従業員の顔をまともに見られる気がしなかった。一体エントランスで待っている時にはどんな目で見られていたのだろうか。今更ながらに恥ずかしい。

「気に入ってくれたかね?」
「お前……やりすぎだ」

 いつの間にか背後に立っていた月島を、恨みがましく見やる。月島はそんな俺の視線を受けて、心底嬉しそうに笑った。

「喜んでくれたようで嬉しいよ」
「頼むから自重してくれよ……」
「検討する」

 一応諫めてはみたものの、言った俺ですらその願いが聞き届けられるとは微塵も思っていなかった。欠片も悪びれもしない月島を見て溜息が漏れる。この男の辞書には恥や外聞と言った単語が無いようだ。

「お前、俺に構い始めてからどんどん馬鹿になっていないか?」
「私は愛情を目に見える形にしているだけだよ。君を不安がらせたくはないのでね」
「……」

 歯の根が浮くようなセリフをさらりと吐かれて何も言えなくなる。これ以上甘ったるい空気に包まれていることが耐えられなくなり、話題を逸らした。

「あー……あまりのんびりしてる時間も無いんだよな。そろそろ風呂に行こうぜ」

 月島を押しのけてリビングに戻り、浴衣や着替えを適当に袋に放り込んでいく。ひとしきり準備を終えて立ち上がったところで、また月島がにやりと笑った。

 嫌な予感しかしない。

「無論、貸切風呂を手配してある」
「…………」

 その言葉を無視して歩き出す。
 慌てて月島が駆け寄ってきた。

「待て待て、まさか君、大浴場に向かう気ではないだろうな」
「その通りだよ。お前と貸切風呂なんて、宴会に遅刻する予感しかしない。後でゆっくり入ろうぜ」

 俺の言葉を聞いた月島は、信じられないものを見る目をした。君は正気か、とその顔に書いてある。

「君の身体を衆目に晒すなんてどうかしている」
「お前こそどうかしてるわ! そんな目で見てるのはお前くらいだよ」

 月島は俺の身体を上から下まで眺め、首を横に振った。そしてぼそりと呟く。

「嫌だ」
「嫌だ、じゃねぇよ。何だよそのキャラ。妙に開き直りやがって……」
「君の身体を誰にも見せたくない」

 真摯な声音でそう囁く月島に心の底から思う。

 面倒臭い……と。

「もう頼むから温泉くらい普通に入らせてくれよ、勘弁してくれ」
「君に聞く気が無いと言うのなら、実力行使も辞さない」

 低くなった声に焦りを覚えて振り向けば、座った目をした月島が俺の肩に手をかけるところだった。
 思わず後ずさるが追い縋られ、壁際まで追いつめられる。

「は? いや、待て待て寄るな、何するつもりだ」
「大人しくしていたまえ」

 そう言うと月島は大きく口を開け――
「痛ってぇぇ!」


 ◆ 


「……」

 広い湯船に、一人。悠々と足を伸ばして、貸切風呂を堪能する。

 水の流れる音に交じって、時折潮風に揺れる葉の音が耳に心地よい。太陽は水平線の向こうに沈み始めており、辺りはすっかりオレンジ色に染め上げられていた。反対側には夜が迫っており、天頂には夏の大三角が控えめに輝いている。

 文句なしの風情だ。
 この、左肩の痛みさえなければ。

「あの野郎……思い切り噛みつきやがって」

 自分では見えない位置につけられた噛み傷を抑えて呻く。俺の恨み言を聞くべき人間は、ここには居なかった。
 押し問答の結果、アイツは俺を貸切風呂に押し込み、自分は大浴場へと去って行ったからである。


「一緒に入ると歯止めが利かない恐れがあるという点には私も同意しよう。けれども、それは君が大浴場を使うべき理由にはならない。君が一人で貸切風呂を使って、私が大浴場へ向かえばいい。どうかね?」
「どうも何も、こんな痕つけられたらそうするしかないだろうが!」


 ここへ来る直前のやり取りを思い出して眉間を押さえる。まさかここまで強引な手段を使われるとは思わなかった。
 開き直った月島は恐ろしい。昔から食えない男だったが、今の方がよっぽど手玉に取られている気がする。
 一番怖いのが、それが嫌ではないことだ。何だかんだ言いつつも最後は許してしまう。

 あの男は許されると増長していくタイプだと思うのだがどうだろう。
 まあ、それが分かったところで何の対策も取れないのだが。

「……そろそろ上がるか」

 まだ温泉を堪能していたい気分だったが、宴会まで時間が無いことを思い出して後ろ髪を引かれる思いで湯を上がった。
 タオルで適当に髪を乾かし、下着の上に濃紺の浴衣だけを身に着ける。
 鏡の前で入念に襟首を眺め、歯形が隠れていることを確認して宴会場へと歩を進めた。廊下を曲がったところで、遠くに何人か見知った顔が歩いていることに気が付く。

 同じく湯上りの同僚たちが、口々に何事か囃し立てている声が聞こえてきた。
 やれ男の勲章だとか、お盛んだなとか……

「……ッ!」

 そんな風に夜の営みを揶揄われているらしい人物の顔を見た瞬間、叫び出さなかった俺の胆力を誰か褒めて欲しい。

「だから猫だと言っているだろう。人の背中で爪を研ぐのだ」

 同僚たちの冷やかしを面倒臭そうにあしらう月島の声がここまで届いてくる。話している内容は適当もいい所な上に、微妙に誤魔化しになっていない。

 お前はもう少しやる気を出せ、いつもの弁舌は何処に行った!

 ……ところであの同僚たちは、爪痕の主についてはどう考えているのだろうか。
 もし俺と月島が良い仲だという噂を信じているヤツがいるとすれば、俺が月島の背に傷を付けるようなコトをしたと思われていてもおかしくはない。
 いや、それが正解なんだけれども。

 兎にも角にも、今は関わらないのが一番だ。俺は息を潜めて来た道を戻り、廊下の角に身を潜めた。
 喧噪が遠のいたところで、改めて角から顔を覗かせる。すっかり油断していた俺は、出会い頭に現れた月島の姿に今度こそ叫び声を上げた。

「うわッ!」
「おっと」

 バランスを崩したところを、月島に支えられて何とか立て直す。
 お陰で倒れることは避けられたが、浴衣が乱れて膝の上まで露になっていた。

「悪いな、驚いちまった」
「ああいや、私も不注意だった。君がなかなか来ないと心配になってな……」

 話しながら、月島の視線は徐々に下がっていく。
 穴が開きそうなほどじっと脚を見つめられ、俺はすぐさま浴衣を整えた。
 そのまま何事もなかったかのように宴会場へ向かおうとするが、月島が腕を掴んだまま動かない。振り返れば、真剣な顔をした月島が苦々しく呟いた。

「やはり君の浴衣は目に毒過ぎる」
「だからお前だけだよ、そんな目で見ているのは」

 完全にデジャブである。
 また噛みつかれては堪らないので、今度は早々に腕を振り払って逃げ出した。

「あ。待ちたまえ!」
「早くしないと宴会に遅れるだろ」

 納得していない様子の月島を尻目に、浴衣の裾を蹴散らしながら早足で歩く。
 人気のあるところへ出て胸を撫で下ろしたのも束の間、今度は月島の悪い癖に悩まされる羽目になる。

「こんな破廉恥な装いで人前に出るなんて……」
「人聞きが悪い言い方をするな! 言っておくが、お前も同じ浴衣姿だからな?」
「君は本当に自分には無頓着だな。一度しっかりと鏡を見た方がいい」
「その言葉、そのままそっくりお前に返すぞ……」

 月島は落ち着きなく周りを見渡しながら、時折牽制するような視線を周囲へ向けていた。
 その効果は薄く、視線を向けられた方はむしろ嬉しそうに黄色い悲鳴を上げていたが。これではただのファンサービスである。
 恥ずかしいやら腹立たしいやらで我慢ならず、俺は月島の浴衣の袖を掴んで強引に引き寄せた。

「手当たり次第にガン飛ばしながら歩くな」
「む…………余所見ばかりして悪かった」

 何を勘違いしたのか、月島がはっとした顔をして頬を掻く。
 敢えて追及はしないまま、先ほどとは打って変わって大人しくなった姿に満足して歩を進めた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)

優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。 本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます

猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」 「いや、するわけないだろ!」 相川優也(25) 主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。 碧スバル(21) 指名ナンバーワンの美形ホスト。自称博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。 「絶対に僕の方が美形なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ!」 「スバル、お前なにいってんの……?」 冗談?本気?二人の結末は? 美形病みホス×平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。 ※現在、続編連載再開に向けて、超大幅加筆修正中です。読んでくださっていた皆様にはご迷惑をおかけします。追加シーンがたくさんあるので、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

女子にモテる極上のイケメンな幼馴染(男)は、ずっと俺に片思いしてたらしいです。

山法師
BL
 南野奏夜(みなみの そうや)、総合大学の一年生。彼には同じ大学に通う同い年の幼馴染がいる。橘圭介(たちばな けいすけ)というイケメンの権化のような幼馴染は、イケメンの権化ゆえに女子にモテ、いつも彼女がいる……が、なぜか彼女と長続きしない男だった。  彼女ができて、付き合って、数ヶ月しないで彼女と別れて泣く圭介を、奏夜が慰める。そして、モテる幼馴染である圭介なので、彼にはまた彼女ができる。  そんな日々の中で、今日もまた「別れた」と連絡を寄越してきた圭介に会いに行くと、こう言われた。 「そーちゃん、キスさせて」  その日を境に、奏夜と圭介の関係は変化していく。

ヤンデレ執着系イケメンのターゲットな訳ですが

街の頑張り屋さん
BL
執着系イケメンのターゲットな僕がなんとか逃げようとするも逃げられない そんなお話です

親友が虎視眈々と僕を囲い込む準備をしていた

こたま
BL
西井朔空(さく)は24歳。IT企業で社会人生活を送っていた。朔空には、高校時代の親友で今も交流のある鹿島絢斗(あやと)がいる。大学時代に起業して財を成したイケメンである。賃貸マンションの配管故障のため部屋が水浸しになり使えなくなった日、絢斗に助けを求めると…美形×平凡と思っている美人の社会人ハッピーエンドBLです。

ワンナイトした男がハイスペ弁護士だったので付き合ってみることにした

おもちDX
BL
弁護士なのに未成年とシちゃった……!?と焦りつつ好きになったので突き進む攻めと、嘘をついて付き合ってみたら本気になっちゃってこじれる受けのお話。 初めてワンナイトした相手に即落ちした純情男 × 誰とも深い関係にならない遊び人の大学生

処理中です...