きもちいいあな

松田カエン

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王国崩壊編

160.私の狼。

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 皆の視線がその降り立ってきた相手に集中する。見慣れた黒髪が失せて艶めく金糸に変わったのはあの時見ていた。
 だが今はどうだろう。
 側頭部から生える捻じれた角と青白い肌、そして背には広げられた青みがかったコウモリ羽。金髪と蒼眼なのは変わらないが、異形ともいえるその容姿から、私たちは目が離せなかった。

 衣服は飛び出していった時と違い、奴隷服ではない。簡素だがしっかりとした仕立ての詰襟の黒衣に代わっていた。群青騎士の騎士服にも似ているようにも思える。
 フードのあるマントのようなものを羽織っていたが、その異形な姿を隠そうともしていなかった。

「マインラート、その姿は……」
 ディー先輩も驚愕に言葉を失くしていた。

 そんな私たちの反応を他所に、カインザートは音もなくマリアベリルの隣へと降り立った。苦しげに肩を震わせ、胸元を押さえこんで丸まっている彼女の背に、ほっそりとした手を乗せる。

『止まれ』

 魔力を伴なった声色に、びくんと大きくマリアベリルが身を震わせた。喘ぐように乱していた呼吸が収まり、暴走していた魔力が徐々に収まっていく。
 彼女は鋭い視線を背後に投げかけると、背に添えられていた手を払った。

「邪魔しないでカイン!」
「僕より魔力も憎しみも足りない姉上では、命を無駄にするだけだ。レティーナ様には、姉上は人であれと言われたでしょう。感情に任せてすべてを台無しにするのは、無能にもほどがある」
「貴方ばかりにやらせておく理由はないわっ……!」
「はぁー……くだらない。僕への同情ですか?それとも嫉妬?虫唾が走る」

 カインザートから心底冷えた眼差しを向けられたマリアベリルが唇を戦慄わななかせる。改めて見てみると、その顔立ちは確かに姉弟と言えるほど似通っていた。
 それよりも。

「貴様、魔族だったのか!」

 角とその肌色、そして自由に動く羽。
 魔族は殺さなければだめだ。魔力を込めて、道連れにしても吹き飛ばして……!
 ぐわりと身体の中に沸き起こった激動のまま、魔力を練り始める。だがカインザートは私を興味なさそうに一瞥しただけだった。

「クンツ、止めろ」
「離れろ、ユストゥス。お前まで巻き込んでしま……?」

 ユストゥスが私の腕を掴んでくるのを払って、身体の中に幼いころから押し込まれていたリンデンベルガーの自爆術式を起動させようとする。が、かすっとした手ごたえのなさしか感じない。まるで回路を途中で千切られたかのようだ。

「なんだ?」
 胸元に手を押し当てて首を傾げる。そんな私に、ユストゥスがどこか痛ましい表情を向けた。

「クンツ。……クウ、カインザートが魔族なら、ヒュギルはなんだ?」
「何を急に。目の前に魔族がいるのだぞ!殺さなければ!」

 そうだ、自爆できないのなら刺し違えてでも!

 私が大剣を構えようとすると、その剣先をユストゥスが踏みつけた。ユストゥスを弾かんと持ち上げようとするが、軽く押さえているように見えるのに、少しも持ち上がらない。

「ヒュギルも魔族だが、会ったら殺すのか?いや俺としては殺してもいいんだけど、如何せん殺せる気がしねえっていうか……」
「何を言って……」
「クウ。お前がリンデンベルガーの騎士であることは俺もよぉっく知ってる。産まれたときから生きてきたのも、それが普通だって思い込まされてきたのも」
「ユストゥス……?」

 どうしよう。ユストゥスが何を言いたいかわからん。
 というか、今そんなのんびり話をできる状況だと思っているのか。

 土魔法でユストゥスの足元を崩すなりなんなりして、剣先から足をどかすことはできる。いや、するべきだ。
 そう思っているのに、視線が私の奴隷から他所に向かわない。
 視線の端では別館から私の兄弟ではない近衛騎士が出てきて、マリアベリルを抱き起こす仕草をし……あ!あいつ、カインザートなどに頭を下げたぞ!なんなのだ!?

「クウ、気を散らすな。俺を見ろ」
「あっ」

 気付いた時には近づいてきていたユストゥスに鎧ごと抱きしめられていた。どこか人工物めいた青金の瞳が、私の奥底まで見透かすように見つめてくる。
 落ち着かない。リンデンベルガーの騎士ならば魔族の前でこんな隙を見せるわけがないのに、私はどうしてしまったのだろう。

 これでは使命より、この男を気にかけているようではないか。

「まぞ、まぞくはころさないと」
「クンツ」

 馬鹿の一つ覚えのように言葉を繰り返す私の頬を、男のざらついた手が撫でる。足から力が抜けて、かくんとその場に膝を着いた。頬を撫でる手が心地よい。
 じわっと私の目に涙が浮かぶ。

「り、りんでんべるがーとして、わた、わたしは……っ」
「そうだな、お前はずっとリンデンベルガーの騎士として生きてきた。お前が……お前の望みは俺が全部叶えてやりたいよ。あいつを殺して、王都に戻って王族を守る。それがお前のしたいことか?」
「それがわたしのするべきことだ」
「違う。俺はクウがしたいことを聞いてる。なにがしたい?」
「なにが……?」

 私にしたいことなどありはしない。命を懸けて王族を守り、国を守るのが私たちの役目だ。使命だ。私個人の意思などあってないようなものだ。
 背筋がぞくりと震えた。考えてはいけない。想ってはいけない。そう思うのに、いつもなら危機感を伴なう頭痛に思考を邪魔されるのに、やけに頭が澄んでいた。

 私がしたいことなど、なにも、なにも……。

 ゆすといっしょにいたい。

 違う。それでは任務が遂行できない。

 いやだいやだいやだ、いっしょいる。ゆすとぅすがだいすきだから、いっしょにいるのだ。

 違う!そんなこと考えたらだめだ。また忘れてしまう。

 わすれてもだいじょうぶだ。ゆすとぅすがぜんぶもっていてくれている。

 全部?

 そうぜんぶ、ゆすとぅすがもっている。わたしのぶんまで、おぼえていてくれている。なにもこわくはない。

 はっはっと呼吸が乱れているのがわかった。冷や汗が出る。身体の震えが止まらない。
 ゆすとぅすにまかせておけば、なにももんだいはないのだ!ふはははは!と能天気に笑う私の姿が、脳裏に浮かんだ。

 チェック柄のスカートのようなものを履き、ふりふりのドレスシャツを身に着け、首元にはリボンで彩られて、頭にまあるい耳を乗せた私が、狼ぬいのジュストを抱き締めながら笑っている。
 滑稽な姿で、でもどこか着慣れている。そんな私を不意に誰かが抱き上げた。記憶にない大きな熊獣人だ。ひげもじゃ顔で私を慈しむような眼差しを向けている。頬を擦り寄せられてまた私が笑っている。
 ベッカーのおじさまではない。違う人。知らない人。……知らない人?本当に、私は知らないのだろうか。あんなに親密に寄り添っているというのに。

 その足もとでケンッと上がった鳴き声に二人で顔を見合わせ破顔する。降ろされるとすぐに誰かが私に抱き着いた。
 ふさふさの立派で大きな赤金の尾を持つ狐獣人に抱きしめられ、うっかり胸を揉まれる。それを見咎めた熊獣人が怒って、狐が耳を後ろに倒して。

 お兄様。と私が知らない狐の腕を引く。ユス、と甘えた声を上げて微笑む。そうして近づいてくるのはブラシで丁寧に整えられた立派でふわふわな尾を持つ灰色狼獣人で、嬉しくなってお父様、と呼んでは熊獣人に抱き着く。

 違う違う。
 私の父は、父は……やせ細って小さくなった、身体に合わないぶかぶかな鎧を身に着けていた。自分自身も冷え切った手で、私の頭を優しく撫でてくれていた。
 あのとき……そう。あの時まで、そんな触れ合いなど一度もしたことがなかった。母の胸に抱かれた記憶もない。

 でもそんなのリンデンベルガーなら当たり前のことだ。私たちは戦うための存在だ。戦えなくなれば処分される。廃却される。
 いらぬ感情は持たない。芽生えさせてもいけない。考えてはいけない。想ってはいけない。

 本当に?

 違う、そんな疑問も持った時点で私の記憶は消し飛ぶ。私は何人も見てきたはずだ。
 戦場に行き身体が欠けていく兄弟たち。五体満足に帰ってきても、なぜか呆けて使い物にならなくなった兄弟たち。幾人もいた。

 ああ、どうして……私だけ。

 無意識のうちに呼吸を止めていたのか、息苦しくなってひゅっと息を吸い込む。頭がぐわんぐわんと揺れている気がした。一気に流し込まれた情景に、脳が軋む。

「さあクウ、お前のしたいことを俺に教えてくれ」
「……、……」

 私が思考に沈んでいたのは、思ったより短い時間のようだった。
 実姉の近くに立ちながら、少しばかり周辺を気にし始めたカインザート。本邸から抜け出してきたらしいイェオリがディー先輩に駆け寄ってくる。

 目の前にいるのは人族の男だ。青光りする黒髪に青と金の不思議な色合いの瞳。身体も私が覚えていたより一回りも小さく細い。顔立ちも獣人だった頃とは少し違うように思える。
 でも、この男がユストゥスだということはわかる。知ってる。外見が変わろうとも、その優しさも愛も、変わらない。

 私の狼だ。

「お前、あれだけ大事にしていた耳と尻尾を、一体どこに落としてきたのだ?」
「…………………………はぁっ!?」
「うるさ」

 耳元で大声を出されて、私は思わず顔を顰めた。なぜだかユストゥスがわなわなと震えている。信じられないものを見るような視線を向けられた。
 何だその顔は。
 私は幾分すっきりとした頭で、したいことをひねり出す。といっても所詮私だ。大した考えなどない。心のままに思ったことを口にする。

「ふむ。私がしたいことだったな。まずな、私はリンデンベルガーの騎士として、群青騎士として、国と国民を守りたい。それからお前とずっと一緒にいるし、お前とおまんこしたい。あと、お父様にもお兄様にもまた会いに行きたいな!あとな、それとな!兄弟たちも、私のように覚えていられるようにしたい。……やはり覚悟していても、のは嫌なことだから」
「クウ、クンツ、おまえ……」
「お前に任せておけば、何も問題ないのだろう?実現してくれるよな、私の愛しい旦那様」

 ちゅっと鼻の頭に口づけを落としてやる。ユストゥスは目を見開いて、どこか間抜け面を晒していた。

「さてそういうことで。私の邪魔をするようなら、切って捨てるぞカインザート!」
「……お前はどこまで話知ってるの?」

 改めて大剣を構えると、カインザートは肩を竦めて尋ねてきた。不思議だ。さっきまで魔族は殺さなくてはと思っていたのに、今はそこまでの殺意も感じない。だから私はふんっと鼻を鳴らした。

「何も知らん!ユストゥスに聞け」
「待ってお嫁様、おれ、いま許容いっぱいいっぱいなんだけど」
 死にそうな声を出された。ええいだらしがない!
「知らん!切っていいか?」
「と、とりあえずだめ」
「うむ、そうか。じゃあやめておく。命拾いしたなカインザート!」

 ユストゥスがそういうのならそうなのだろう。

 構えていた剣を地面に刺して固定する。ドヤ顔で腕を組んで立っていると、何故だかカインザートが私を見て力なく笑った。少し寂しげに、自嘲気味な笑みだ。

「お前のそういうところ、嫌いじゃなかった。僕にはないところだから。……エリーがクンツを欲しがるのも、よくわかる」
「うん?エリーとは誰のことだ?私のわからない話はするな」

 私の啖呵に軽く瞬きを繰り返し、カインザートは息を吸って少しだけ止めた。

「待て待てなんなんだ、全部思い出したんじゃねえのかよ!あああ……ああああもう!」

 ユストゥスがなぜだかごろごろと転がっている。情緒不安定だ。本当に任せて大丈夫かこいつ。
 だいじょうぶにきまっている。わたしのだんなさまはつよくてかっこよくて、ゆうしゅうなのだからな!
 私の心に浮かんだ不安を消し飛ばしたのは、そう信用しきった顔で笑う、過去の私だった。



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