きもちいいあな

松田カエン

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王国崩壊編

161.乱入者。

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 しばらく転げまわっていた私の奴隷は、どこか据わった目をして起き上がると私の腕を掴んだ。抵抗するつもりは少しもなくて、私がされるがままになっていると、私を抱き寄せたユストゥスは耳元あたりに顔を寄せすんすんと匂いを嗅いでいる。
 最後に深く息を吸い込むと、みるみるうちに緊張で強張っていた身体から力が抜けるのがわかった。その割にはしっかりと私の腕を掴んだままだ。視線は乱入者に向けられている。引き攣るような、それでいて獰猛な笑みを向けた。

「マイン……いやカインザート、俺はクンツとゆっくり話したいから、お前帰れ」
 ユストゥスの言葉に、カインザートは睥睨したまま鼻を鳴らす。
「言われずとも帰るよ。情けない元同僚の顔を見に来たわけじゃない。姉上、革命を進めよう」
「……ええ」

 そっけなく肩をすくめると、カインザートはマリアベリルに手を差し出した。その手を握ったマリアベリルは、まだ顔色が悪く足元が覚束ない。
 こちらに向ける眼差しはどろりと濁っていた。先ほど走り寄った近衛騎士は背後で膝をつき、なんとも言えない表情をマリアベリルに向けている。
 姿が変わった弟は、そんな姉に冷ややかな視線を向けていた。

「待て!私は行っていいとは言ってないぞ!」
「クンツ、頼むからそっちに構うな。俺と話しして記憶の齟齬を確かめ……ん??」
「む」
「あ」

 ユストゥスがスンっと鼻を鳴らして訝しそうな表情となる。それとほぼ同時に私と少し離れたところにいたディー先輩が空を見上げた。
 この場に更に魔力が一つ増えた。転移魔法だろう、私たちはその魔力を感じ取ったのだ。

「……最悪」
「きゃっ!?」

 貴族然としていたカインザートが大きく悪態をついてフードを深く被ったと同時に、光り輝く網がカインザートとマリアベリルの頭上から動きを絡め取るように覆い被さってくる。明らかに二人を捉えるための束縛魔法だ。強く込められた魔力で肌がビリビリする。
 警戒を露わにする私とは違い、ユストゥスもディー先輩もどこか困惑している様子だった。

「『散れ』……ッ!?」
 風魔法だろうか、被さってくる光に対してカインザートが唱えた途端、ふっと光が消えた。ただし網自体はそのままだ。
「何よこれっ」
 マリアベリルが悲鳴を上げる。

 払おうとした網には粘着物が付いているようで、自らの髪やドレスにへばりつく縄に悪戦苦闘しているようである。対して同じく絡め取られたカインザートは、身動きせずにフードで顔が伺えない中、小さく舌打ちをした。

「………はぁ……もう姉上なんて放っておけばよかっ「ああ……やっと捕まえた!」」

 多少頬が痩けて薄汚れ、傭兵が良く装備するような年季の入った鎧を身に付けた金髪の男が、こともあろうにカインザートを背後から抱きしめた。
 短く切られた金髪に美しい碧眼、そしてその整った目鼻立ちは明らかに貴族のようではある。なんとなく目が離せない。きゅうっと胸が痛くなる。
 見知らぬその美丈夫は、ぱあっとまばゆいばかりの笑顔を浮かべた。
 が、その男は網から腕を外そうとしているカインザートをモノともせずに、すぐさまフードごと服を脱がそうとしているのが見えた。途端にカインザートが暴れ出す。

「っの馬鹿!離せ!」
「もう二度と離しません。貴方は、自由にさせていた方が危ないということを実感しました」
 安堵と切なさが篭った声色で、見知らぬ男が告げる。
「は……今更、もうおそ……っ、?!」

 カインザートが息を飲んだ。その光景を見せつけられてる私たちも言葉がない。背後から抱き締めた男が、急にカインザートのベルトを緩めると、ずぼっと遠慮なくその中に手を突っ込んだのだ。
 バチバチと魔力がぶつかり合う音も聞こえた。それの下で聞き慣れた濡れた水音も。

 へ、変態だーー!? 変態がいるぞ!?

 流石のユストゥスも、無関係者の前で私にこう言った触れ合いをしたことはない。……いや、したことはあったかもしれない。しかしこうも戦闘中にはしたことはなかった、はず……。
 上には上がいるし、変態はどこにでもいっぱいいるな……。

「え、エリーアス……?」
 その変態を見て、べたべたな網が絡みついた状態でしゃがみ込んでいたマリアベリルが呆然と呟いた。金髪の男はカインザートの股間のナニカを扱く仕草を繰り返しながら、彼女に親しげな笑みを向ける。
 マリアベリルの背後で網の範囲から外れていたらしい近衛騎士があたふたしていたが、完全に風景と化していた。

「お久しゅうございますマリアベリル様。御身の前で礼を欠いて申し訳ありませんが、ご容赦ください。我が主を捕まえることが最優先なので」
「くそが」

 ぼそりと呟いたカインザートが変態の腕の中から消えた。正確には、粘着している綱がべっとりと付いたフード付きマントを残して消えた。またもや転移魔法だ。
 魔法陣も描かず、詠唱もなしによく飛べるものだと思った途端、私とユストゥスの前でべしゃりとカインザートが倒れ込んだ。すぐに上半身を起こすが、その首には光る首輪が掛かり、細い糸のようなものが変態の手元にまで伸びている。
 カインザートはいつの間にか下がっていたズボンを片手で引き上げていて、こう言ってはなんだか緊張感のない光景だった。

「クンツ、離れろ!」
「わっ」

 ぽかんと見守っていると、急にユストゥスが私の腕を引いてカインザートから距離を取った。カインザートの周囲に濃密な魔力の渦が生まれている。
 カインザートは頭に手を伸ばす仕草をし、羽根を小さく畳んだ。少し苦しげな表情を浮かべたが、一度目を閉じた後はバサリとその存在を見せつけるように大きく羽根を広げた。

「エリー、邪魔しないで」
「……そのお姿に魔力。僕程度が御心を推し量るべきではないのは重々存じていますが……まあ後でじっくりゆっくりと二人きりで身体にお伺いいたしましょうか」

 何かの液体を自分の手元とマリアベリルにかけた変態麗人は、あれだけ纏わりついていた縄の粘着力をその液体で弱めたらしく、どろどろになったカインザートのフードを投げ捨てると、そのまままっすぐカインザートに歩み寄ってきた。
 カインザートが魔力を形にしようとすると首輪が輝き、霧散させているのが見える。どうやら相手の魔力の整形を阻害する魔具のようだ。
 何度か込めようとした魔力が散ったのを見たカインザートの顔が歪んだ。

「この……愚か者!」
「ぐッ」

 カインザートが叫ぶと同時に首輪と光が弾けた。魔具より上回る魔力を込めればそれはもちろん壊れる。
 簡単とまではいかないまでも、多少力を込めただけでカインザートはあっさりとその魔具を吹き飛ばしたのだ。そしてその魔力の波動はカインザートを中心に放射状に広がる。

「わ、わあ!『かべっ』」
「クンツ!」

 咄嗟に私は自分の前に土魔法で壁を作るが、イメージがあやふやでできたものはすぐさま吹き飛んでしまった。大剣は吹き飛ばされ、私自身転がりかけたところでユストゥスの指輪が光った。取り巻く風魔法がカインザートの魔力の放出を阻む。
 風は止まることなく渦を描き始めて、よくわからん男とカインザートを閉じ込め始めた。揺らめきながらそれは風の柱となる。竜巻だ。

「……!…………!!」
「…………」

 中からは二人の怒鳴り合う声が聞こえるが、なにを言っているかはくぐもって聞こえない。風が遮断しているのだろう。
 だがその割には、不思議なことに吹き荒れた風は外側にいる私たちには、そよ風程度にしか感じられなかった。

「マリアベリル様、今のうちに参りましょう」
「カインとフィンを置いていけと?」
「はい。カインザート様があれでは、私たちは下手に手を出さない方がいいでしょう」
「はあ……そうね、これは私でもこなせることだもの。先に進めておきましょう。フィンは……エリーなら、悪いようにはしないでしょう」

 ユストゥスの使う風魔法は、声の阻害をしないらしい。竜巻の向こう側に見え隠れしているマリアベリルと近衛騎士の声が届いていた。騎士が懐から折りたたまれた紙を取り出してその場に広げる。そしてその紙の上にはすでに描かれた魔法陣が見えた。
 それが一度しか使えない簡易転移魔法だと気付いたのは、二人がその紙の上に立って魔力を込め始めたからだ。

「あ!おい!」
「クンツ、行かせとけ」
「だが」
「行く場所はわかってる。後からも追い付ける。それよりもだな」
「あああ!」

 私の肩を掴んで、自分の方に向けさせようとするユストゥスを押しやって飛び出ようとしたところで、二人の姿を薄く消えていった。紙は四方の端から燃え上がり、どこに転移したのか座標すら不明になってしまう。
 肩を落とす私の背後でユストゥスが大きく息を吐いている。邪魔された私はじとりとユストゥスを睨んだ。
 それにしてもこいつ……いつの間に魔法を使えるようになったのだ?私の奴隷のくせに……許せん。
 私の視線を受けても物ともせずに、ユストゥスはぐしぐしと私の頭を撫でてくる。少し乱雑な撫で方だったが、それが心地よい。
 むすっとしてるとディー先輩とイェオリが近づいてきた。

「ユストゥス。ちゃんと説明して」
「イェオリに聞け。俺は一刻も早くお嫁様と肉体言語で話し合う必要が……いて!」

 ディー先輩がユストゥスの背を殴った。鈍い音が結構な力を込めて殴ったことを示している。
 速度がディー先輩の売りだが、ユストゥスが痛がるほどに力を取り戻していることに少しだけ感慨深い気持ちになった。

「ユストゥス?」
「わ、わかったって……んー……イェオリ、お前も舌切るか?この指輪なら解呪も合わせて治せるぞ」
「え……」
<それはありがたい。頼むよユストゥス>

 固まったディー先輩の背後で眉尻を下げたイェオリが微笑む。彼が振り返った瞬間と、イェオリが短剣で引っ張り出した自分の舌を切り落としたのは、ほぼ同時刻だった。

「っ!」
「あいよ」
 ディー先輩が声を上げる暇もなく、ユストゥスの指輪が光り、その光と同じ光がイェオリの口元に飛ぶ。
「イェオリ!」

 ディー先輩が悲痛な声で自らの奴隷を呼びながら飛びついた。が、次の瞬間目を見開く。しっかりとディー先輩の両肩を抱いたイェオリが口を開いて、紛れもなくその喉から声が出たからだ。

「ん、んんっ……あー……っはは、久方振りに喋ると、声の出し方も忘れるねえ」
「奴隷になる前にしか聞けねえから忘れてたけど、そういやそんな声してたな、あんた」

 ユストゥスは軽く頷きながらそんなことを口にする。ディー先輩は元々大きな瞳を目いっぱいに広げて、唖然としたままイェオリを見つめていた。言葉もない様子だ。私も予想外の声色に感嘆が漏れる。
 重低音の強い特徴的で美しい声色。

「ユストゥス、あれは美声というやつでは……?」
「まあ元の職業柄、外見と合わせていくらでも変えられんだろうけどよ、平凡な見た目の割には地声がエロボイスなんだよな」
「……お前の声もか、か、かっこいいぞ?」
「お、おお。ありがとな」

 私が褒めるとユストゥスは少し面食らった表情を浮かべ、照れ臭そうに頭を掻いた。まんざらでもない表情を見て、私も何となく満足してむふーっと腕を組んでうんうんと頷く。
 ディー先輩は首筋やら耳やらを真っ赤になりつつ後ずさっていた。突っぱねるように伸ばした腕はイェオリの胸板に添えられるばかりで、頭を振りながら言葉もない様子である。
 人の良さそうな笑みにどこか強い情欲を滲ませたイェオリは、ぼそぼそと逃げるディー先輩の耳元に何かを囁きながら追い詰めていくのが見えた。
 先ほどまで事情を話せとユストゥスに迫っていたディー先輩の雄姿は跡形もない。イェオリが一度だけこちらを見て、何やら複雑な手の動きをしてみせたのを見て、ユストゥスが軽く頷いた。

「クンツ、俺達も行くぞ」
「どこに行くというのだ?」
「二人きりになれるとこに行くんだよ。……抱きたい」
 掠れたその声は、ユストゥスの余裕のなさを現しているようだった。
「う、む……しかし、あの竜巻はこのままにするのか?声も聞こえなくなってきたが……中がどうなってるのかお前にはわかるのか?」

 天と地を繋ぐような竜巻の柱がずっと同じ場所にあれば注目を集めるだろう。中にいる金髪変態とカインザートの魔力は小康状態を保っているのがわかる。
 だが私が問いかけたところで、急激に片方の魔力が弱まった。
「エリーアスッ!?」

 ユストゥスが叫んだ。手をで空を払うような仕草をすると、巻き起こっていた竜巻が跡形もなく消える。
 露わになったのは剣で身体を貫かれた金髪の男と、男に剣を突き立てて睨みつけているカインザートだった。

「かいん、ざー……」

 臓物を傷つけたのか男が血を吐く。それでも艶やかな笑みを浮かべ、自分の身体に刃物が刺さっていることすら構わずに足を進める。
 相対したカインザートは睨みつけたまま……いや、強張った表情のまま男を見つめていた。少し離れている私の目にもわかるほど、剣を手にした手が震えている。
 刺さっているままのせいか、血はそれほど出てはいない。だがその傷は明らかに致命傷に近かった。
 金髪の男は、手を伸ばしてカインザートの両頬を手で掴んだ。そして自らに引き寄せる。それがより深く剣を突き刺していくことに初めて気づいたかのように、カインザートが剣から手を離した。
 金髪の男はそれすら気に留めず、身を乗り出してカインザートの唇に口付けた。少しだけの触れ合いで離れたところで自らの吐いた血で、カインザートの唇が赤く染まったことに気付くと、指の腹でそれを拭う。
 それからゆっくりと背後に倒れていった。

「しっかりしろエリーアス!おいおいおい、こんなんで死ぬんじゃねえぞ馬鹿!」

 私と二人、呆然と見守っていたユストゥスが弾かれたように飛び出し、金髪の男を抱き上げた。手が緑の光に包まれている。剣が刺さったままの胸にその手を伸ばしていた。私の狼が蒼白な顔で男を励ましている。
 私も思わず数歩足を踏み出した。後ずさったカインザートが背を丸め、開いたままの両手を見つめて身体を震わせている。
 その後、ぐっと手を握ったカインザートは、まっすぐ背筋を伸ばすと大股で私に歩み寄ってきた。

「お、おおお、なんだやるのか?」

 大剣を取ろうといつもの癖で背に伸ばした手が、すかっと空を掻いた。
 アッ、しまった!私の剣はさっき転んだときに転がしたままだった。
 慌ててどこにやってしまったのかと周囲を見た瞬間、目の前まで来たカインザートがぐっと私の腹に何かを押し付けてきた。鎧に当たった瓶がカツンと軽い音を立てる。

「あいつに、エリーにやってくれ」
「えっ?はッ?なぜ私……」
「いいから行け!」

 ポーションを無理やり押し付けられた私は、こともあろうに背を強く蹴られた。むかぁっと怒りにすぐさま振り返るが、カインザートの姿はそこにはない。
 私が感知できる範囲にはもうカインザートがいないことがわかった。まあ私が感知できる範囲は狭いからすぐ外にはいるかもしれないが、何となくカインザートはそんなすぐに追い付ける距離にはいないだろうというのは理解できた。

「なん……理不尽ではないか……」
 怒鳴られたし蹴られた。言い返す相手もおらず、消化不良で私もユストゥスの元に向かう。

「くそっ、ヒュギルの魔法でも治りきらねえとか……!」
 ユストゥスは突き立てられた剣を引き抜いて治療をしていたが、周囲に溢れた血は尋常ではない量だ。治癒魔法は傷も塞ぐことはできるが、大量に血を失えば間に合わないこともある。

「ユ、ユストゥス。カインザートがこれを私に押し付けて来てだな……」
「スーパラティブポーション……!よし、エリーアスに飲ませろ!俺はこっから手が離せねえ」
「あ、ああ」

 私が押し付けられたのはハイポーションのさらに上のポーションらしい。そんなもの私は見たことがなかったが、私の奴隷はすぐに分かったらしい。すごいな!
 しかし自分で刺しておきながら私にポーションを押し付けるとは……。
 カインザートが何をしたいのか私にはまったくわからなかった。だがリンデンベルガーの騎士として、こんな変態でも国民なら助けるのは私の使命である。
 真っ青で目を閉じたままの男の顎を持ち上げ、口を指で開かせて飲ませようとするが、男は飲み込む様子がない。口の端から溢れてしまう。

「ああもう!最悪だ!……クンツ、口移しで飲ませろ、後で俺が消毒してやるから!」
「わ、かった」

 顔立ちは整っていて動かない今は人形のようにも見える男だった。だがさっき飛び込んできて変態行為を働こうとし、それに失敗して刺されたと思うとドン引きである。
 だが私の狼が必死で助けようとしているのと、どう考えても変態なのにも関わらず、私の中に嫌悪感が微塵もない。
 不思議に思いながら、私はポーションを口に含むと男の唇を塞いで流し込んだ。


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