辺境の酒場で育った少年が、美貌の伯爵にとろけるほど愛されるまで

月ノ江リオ

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第一章:辺境の町 編

08:思いがけない従者の訪問

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深夜の気配が町を覆い始め、石畳の通りには人影一つ見当たらなかった。

空気はしんと冷え、湿り気を帯びた風が通りを撫でていく。
酒場グランツの扉には"休業中"の札が下がっている。
札は夜の風によってわずかに揺れ、この酒場の中に流れる空気の重さを物語っているかのようだった。
奥のカウンターでは、ジェントが静かに腰を下ろしている。
手元には木製の酒器があるが、酒は一滴も注がれていない。
ただ両手を組み、無言でその底を見る。

「親父、もう寝たらどうだ」

アランは、父であるジェントに少し離れた場所から声をかけた。
壁に背をもたれさせ腕を組んだ姿勢からは強がりと不安が同時に伝わる。
二階の一室ではアンジェラが息子の無事な帰還を祈りながら、ベッドの端に座り膝の上で両手をきつく握りしめていた。
重く沈黙した時間が流れる中、突然、木の扉が二度軽く叩かれる。
その音に、ジェントの指先がわずかに震えた。

「開いている!」

短く低い声で応じると、小さな鈴の音と共に扉が静かにゆっくりと開いていく。
入ってきたのは、黒の上衣をきっちりと着た青年だった。
その佇まいは冷たく、空気を切り裂くような硬さをまとっている。
間違いなくその青年は、昨夜、主であるユリウスと共にこの酒場を訪れていた従者だった。
従者の黒髪は歩みを進める度に少し揺れ、青色の目が覗く。

「夜分遅くに失礼いたします。私の主であるユリウス様より、伝言があります」

その一言で、場の空気は凍りついた。
冷たい緊張が酒場の隅々まで染み渡り、ジェントの眼差しに静かな怒りが宿る。
アランも身を起こし、壁から離れて一歩前に踏み出した。
しばし沈黙が落ちる中、ジェントが静かに立ち上がり重い足取りで従者に向かって歩み寄る。
足元の板張りがきしみ、その音が異様な静けさの中で際立った。

「息子のことですか?」

ジェントの問いに従者はわずかに頷いた。

「伝言ってのは、なんだ?」

アランが従者に向かって声を上げる。
その声には、明確な警戒と怒りがあった。

「ユリウス様は、ノア様と七日間共に過ごすことにしたということのご連絡です。七日間経った翌日の朝方、その身をお戻し致します」
 
「何だと?」

アランの足が自然と前へ出る。

「最初は、一日だけって言ってた筈だろ。それが何でそこまで増えているんだ?」

声は低く抑えられているが、手の甲には青筋が浮かび指先がわずかに震えていた。

「ご安心を。そのお身体にはなるべくご負担のないよう、丁重に接しております」

その言葉を聞いた瞬間、アランの眉がぴくりと跳ねる。

「ふざけるなよ」

アランの声がついに怒りを隠さずに響く。
低く鋭く、射抜くような声音。
酒場の空気が凍りついた。

「あの男は結局、最初から弟のことを長く囲うつもりだったんだろ?」

従者は表情を変えず、何も言わなかった。

「黙るってことは、図星ってわけだな」

空気は今にも火花が散るような緊張に包まれる。
貴族の従者にこれほど敵意を剥き出しにすることは、通常ならば許されないことではない。

「昼過ぎにはユリウス様とノア様の関係は、既に“一線を越えた”と報告を受けております。夜の逢瀬では、ノア様から、積極的に求めていたとのことです」

その言葉は、ジェントの顔から血の気を奪った。
時が止まったかのように、その動きが凍りつく。

「ノアが、自分から?」

思わず呆然とした声が出る。
にわかには信じられない、いや、信じたくなかった。

「ユリウス様の身体を、自ら欲されたと聞いております」

ジェントは頭の中で、いつものノアを何度も思い返してしまう。
快活に笑い、バタつく店内で『父さん、あっちの皿も下げてくるから』と言っていたあの姿。  

「ユリウス様から、そのことも伝えよとのことでしたので……」
「……っ…お前の主は、最低だな」

アランの声は、かすれながら怒りに満ちていた。
従者は、その言葉にも動じることなく一礼をして口を開く。

「お言葉を承りました。それでは、これにて失礼いたします」

そう言い残すと従者は優雅に身を翻す。
扉が再び閉まり、来訪者の足音は夜の闇に吸い込まれていった。
ジェントはその場に立ち尽くしたまま、ただ虚空を見つめる。
重みのある沈黙が酒場全体を包み込む。
騒ぎを聞きつけて現れたアンジェラは、カウンター脇に立つジェントの傍に駆け寄ると、事のあらましを告げられた。
その内容が意味するものを理解した瞬間、アンジェラはわずかに息を呑み震える指先で口元を覆う。

「あの子は、どうなるの?」

掠れるような声で発される問いが空気を裂く。
その問いに答える言葉は、見つからなかった。
ノアが再びこの扉をくぐるのは、数日後の朝方である。

「……っ、あの野郎!」

アランの鋭い声がしんとした店内に響く。
振り上げられた拳はドンッと年季の入ったテーブルを叩く。

「あの子が、帰ってくるのは……まだ先なのね」

それは、今は余りにも遠く感じる時間だった。

「ノア」

ジェントの呟きは、かつてないほど弱々しく震えている。
その声は遠くにいる息子には届かない。

夜の静寂に沈む酒場の奥へ、掠れた声は吸い込まれるように消えていった。



    
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