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第一話
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聖女クローディアの一日は聖なる泉での沐浴で始まる。
泉はその強すぎる神気のせいか、身を浸すだけでびりびりと肌が痛むので、はっきり言って苦行である。
しかし大神官に「痛いのでちょっと減らしてもいいですか?」と問うと、いかにこの沐浴が大切かを、泉の由来をまじえながらこんこんと説教されたので、結局根負けしてしまった。
今日も決められた時間いっぱいひたすら苦痛に耐えてから、女官に手伝ってもらって聖女の正装である純白のローブと装身具――首飾りと額飾りと腕飾り――を身に着ける。
装身具は聖銀に宝石がちりばめられた豪華なもので、華やかな美女が付ければさぞかし神々しく見えるのだろうが、冴えない茶色の髪に地味な顔立ちのクローディアがつけると、田舎娘が無理して飾り立てているようで、痛々しいことこのうえない。
重くて肩がこるし、頭痛もするし、なによりまったく似合わないので、大神官に「式典以外は外しちゃったら駄目ですか?」と尋ねてみると、聖なる装身具の重要性について小半とき熱弁を振るわれたので、やはり根負けしてしまった。
その後は朝食代わりに聖なる果物とされるオレンジを食べてから(クローディアは子供のころからオレンジがあまり好きではない)、昼まで光の神殿でひたすらお祈りタイムである。
ひざまずいて祈るだけなので、やること自体は楽なはずだが、終わるころには「なにか」を吸い取られたように、どっと消耗してしまう。
そのことを大神官に伝えると、「それこそまさに聖女さまがあまねく加護を与えている証です」と涙を流されたので、そういうものかと納得した。
つまりはこの吸い取られた「なにか」こそが聖女の力なのだろう、たぶん。
その後は野菜中心で薄味の昼食を取り(鳥の丸焼きや厚切りベーコンを今でもときどき夢に見る)、お茶の時間まで再びお祈りタイム。そして――
「やあ、今日も頑張ってるね、僕の聖女さま」
「い、いらしてたんですか、フィリップさま」
柱の陰からひょいと顔をのぞかせた青年に、クローディアはあわてて礼を取った。
「申し訳ございません、先ぶれを出していただければ出迎えに参りましたのに」
「相変わらずだなぁディアは。僕は王子と言ってもしがない三男坊だし、聖女さまの方がずっと立場は上なんだから、かしこまることないって言ってるのにさ」
フィリップはその端正な顔に苦笑を浮かべた。
「それに僕らは婚約者なんだから、もうちょっと打ち解けてくれてもいいと思うな」
「申し訳ございません、その、善処します」
「まあそんなところも可愛いんだけどね」
いたずらっぽくささやかれると、思わずほおが熱くなる。
クローディアにとってフィリップはどこまでいっても雲の上の存在だ。
身分的なことは別にしても、彼のような華やかな人種は、どうしても別世界の住人に思えてならないのである。自分みたいな地味で陰気な人間が彼の婚約者だなんて、おそれ多いやら申し訳ないやらで、どうしても気後れしてしまう。
しかし彼との婚約が嫌かと言えばけしてそんなことはなく、むしろ辛いことばかりの日々の中で唯一の救いと言っても良かった。
平凡な村娘が神託を受け、聖女になって三年間。
フィリップの存在がなかったなら、とうの昔に逃げ出していたに違いない。
いつものように二人分のお茶を淹れ、テーブルを挟んで腰かける。ここからは婚約者同士の楽しい歓談タイムである。といっても話すのはもっぱらフィリップで、クローディアは彼の語るさまざまな話に耳を傾けるだけなのだが。
フィリップが身振り手振りをまじえつつ、仲間の面白エピソードを披露していると、クローディアがふいに悲鳴のような声をあげた。
「フィリップさま! そのお手はいったいどうされたのですか?」
「え? ああ、これか。昨日近くの村に魔獣が出たから、聖騎士団の連中と一緒に退治に行ったんだけど、ちょっと失敗しちゃってね」
フィリップはなんでもないことのように、禍禍しい傷跡の残る右手をひらひらと振った。
魔獣は普通の獣とは違い、爪がわずかにかすっただけでもただれたようになってしまう上、その傷跡はたいそう治りにくいと言われている。
「あの、貸してください」
「え?」
クローディアはフィリップの手を取ると、自らの額に押し付けた。
そして目を閉じて一心不乱に祈りを捧げた。
(光の神さまお願いです。どうか、どうか、この方の手を治してください)
そう強く念じてから、おそるおそる目を開けると、先ほどと少しも変わらぬ無残な傷跡が目に映る。クローディアはがっくりと肩を落とした。
(私って本当に聖女なのかな……)
もはや何度目になるかも分からない疑問がクローディアの内にわいてくる。
噂によれば、東の国の聖女イザベラは金髪碧眼の華やかな美女で、祈るだけで人々の病や怪我を癒す奇跡の力を持っているらしい。
また西の国の聖女アリシアはふわふわした桃色の髪の美少女で、彼女の張る結界は魔獣たちをけして寄せ付けないんだとか。
(私って見た目はこんなだし、特別な能力はなにもないし)
言われるままに毎日神殿で祈ってはいるが、実際になんの効果があるのか分からない。
クローディアが聖女に選ばれたのはやはりなにかの間違いで、大神官は神託の誤りを認めたくなくて、意地を張っているだけではないのか。
落ち込むローディアを気遣うように、フィリップはことさら明るい調子で言った。
「傷のことなら気にしないでいいよ。そんなに痛まないし、薬ぬっときゃ治るから」
「でも……」
「それよりさっきの話なんだけど、この後がまさに傑作なんだよ――」
その後もしばらく会話(?)を続けてから、フィリップは別れ際になって、「もうすぐ降臨祭だから、僕の婚約者に贈り物をしたいんだけど」と切り出した。
降臨祭とは光の神に選ばれた勇者と聖女が共に戦って魔王を倒したという伝承に基づくお祭りで、戦いのあと勇者が聖女にオレンジを贈った故事に倣い、男性が女性に贈り物をする日とされている。
「なにか希望があれば教えてくれないかな。僕は女の人が好むものなんてわからないし、ディア本人に訊くのが一番いいと思ってね」
「ええと……」
クローディアは少し考えてから、おずおずと「それでは指輪をいただけませんか?」と口にした。
「指輪?」
「あ、いえ、別に変な意味じゃないんです。ただその、この首飾りも額飾りも腕飾りも全部聖女のためのものなので、なにかこうひとつくらい、私個人の装身具があったらいいなぁって、その」
クローディアがあわてて弁解すると、フィリップはさもおかしそうに笑いだした。
「ははっ、変な意味じゃないって……僕らは婚約者なんだから、変な意味でもいいんだよ。ディアはほんと面白いな。分かった、それじゃ君に似合うとびきり素敵な指輪を用意するから、楽しみにしてて」
「はい……楽しみにしています……!」
フィリップは魔獣討伐の遠征やら公務やらで、神殿に顔を出せない日も少なくない。そんなとき、フィリップにもらった指輪があれば心の支えになるだろう。
(そうだ。うじうじ考えるのはもうやめよう。私は神託に選ばれた聖女で、こんなに優しいフィリップさまの正式な婚約者なんだもの。それを幸運だと思ってがんばろう、うん)
クローディアは心ひそかに決意を固めた。
泉はその強すぎる神気のせいか、身を浸すだけでびりびりと肌が痛むので、はっきり言って苦行である。
しかし大神官に「痛いのでちょっと減らしてもいいですか?」と問うと、いかにこの沐浴が大切かを、泉の由来をまじえながらこんこんと説教されたので、結局根負けしてしまった。
今日も決められた時間いっぱいひたすら苦痛に耐えてから、女官に手伝ってもらって聖女の正装である純白のローブと装身具――首飾りと額飾りと腕飾り――を身に着ける。
装身具は聖銀に宝石がちりばめられた豪華なもので、華やかな美女が付ければさぞかし神々しく見えるのだろうが、冴えない茶色の髪に地味な顔立ちのクローディアがつけると、田舎娘が無理して飾り立てているようで、痛々しいことこのうえない。
重くて肩がこるし、頭痛もするし、なによりまったく似合わないので、大神官に「式典以外は外しちゃったら駄目ですか?」と尋ねてみると、聖なる装身具の重要性について小半とき熱弁を振るわれたので、やはり根負けしてしまった。
その後は朝食代わりに聖なる果物とされるオレンジを食べてから(クローディアは子供のころからオレンジがあまり好きではない)、昼まで光の神殿でひたすらお祈りタイムである。
ひざまずいて祈るだけなので、やること自体は楽なはずだが、終わるころには「なにか」を吸い取られたように、どっと消耗してしまう。
そのことを大神官に伝えると、「それこそまさに聖女さまがあまねく加護を与えている証です」と涙を流されたので、そういうものかと納得した。
つまりはこの吸い取られた「なにか」こそが聖女の力なのだろう、たぶん。
その後は野菜中心で薄味の昼食を取り(鳥の丸焼きや厚切りベーコンを今でもときどき夢に見る)、お茶の時間まで再びお祈りタイム。そして――
「やあ、今日も頑張ってるね、僕の聖女さま」
「い、いらしてたんですか、フィリップさま」
柱の陰からひょいと顔をのぞかせた青年に、クローディアはあわてて礼を取った。
「申し訳ございません、先ぶれを出していただければ出迎えに参りましたのに」
「相変わらずだなぁディアは。僕は王子と言ってもしがない三男坊だし、聖女さまの方がずっと立場は上なんだから、かしこまることないって言ってるのにさ」
フィリップはその端正な顔に苦笑を浮かべた。
「それに僕らは婚約者なんだから、もうちょっと打ち解けてくれてもいいと思うな」
「申し訳ございません、その、善処します」
「まあそんなところも可愛いんだけどね」
いたずらっぽくささやかれると、思わずほおが熱くなる。
クローディアにとってフィリップはどこまでいっても雲の上の存在だ。
身分的なことは別にしても、彼のような華やかな人種は、どうしても別世界の住人に思えてならないのである。自分みたいな地味で陰気な人間が彼の婚約者だなんて、おそれ多いやら申し訳ないやらで、どうしても気後れしてしまう。
しかし彼との婚約が嫌かと言えばけしてそんなことはなく、むしろ辛いことばかりの日々の中で唯一の救いと言っても良かった。
平凡な村娘が神託を受け、聖女になって三年間。
フィリップの存在がなかったなら、とうの昔に逃げ出していたに違いない。
いつものように二人分のお茶を淹れ、テーブルを挟んで腰かける。ここからは婚約者同士の楽しい歓談タイムである。といっても話すのはもっぱらフィリップで、クローディアは彼の語るさまざまな話に耳を傾けるだけなのだが。
フィリップが身振り手振りをまじえつつ、仲間の面白エピソードを披露していると、クローディアがふいに悲鳴のような声をあげた。
「フィリップさま! そのお手はいったいどうされたのですか?」
「え? ああ、これか。昨日近くの村に魔獣が出たから、聖騎士団の連中と一緒に退治に行ったんだけど、ちょっと失敗しちゃってね」
フィリップはなんでもないことのように、禍禍しい傷跡の残る右手をひらひらと振った。
魔獣は普通の獣とは違い、爪がわずかにかすっただけでもただれたようになってしまう上、その傷跡はたいそう治りにくいと言われている。
「あの、貸してください」
「え?」
クローディアはフィリップの手を取ると、自らの額に押し付けた。
そして目を閉じて一心不乱に祈りを捧げた。
(光の神さまお願いです。どうか、どうか、この方の手を治してください)
そう強く念じてから、おそるおそる目を開けると、先ほどと少しも変わらぬ無残な傷跡が目に映る。クローディアはがっくりと肩を落とした。
(私って本当に聖女なのかな……)
もはや何度目になるかも分からない疑問がクローディアの内にわいてくる。
噂によれば、東の国の聖女イザベラは金髪碧眼の華やかな美女で、祈るだけで人々の病や怪我を癒す奇跡の力を持っているらしい。
また西の国の聖女アリシアはふわふわした桃色の髪の美少女で、彼女の張る結界は魔獣たちをけして寄せ付けないんだとか。
(私って見た目はこんなだし、特別な能力はなにもないし)
言われるままに毎日神殿で祈ってはいるが、実際になんの効果があるのか分からない。
クローディアが聖女に選ばれたのはやはりなにかの間違いで、大神官は神託の誤りを認めたくなくて、意地を張っているだけではないのか。
落ち込むローディアを気遣うように、フィリップはことさら明るい調子で言った。
「傷のことなら気にしないでいいよ。そんなに痛まないし、薬ぬっときゃ治るから」
「でも……」
「それよりさっきの話なんだけど、この後がまさに傑作なんだよ――」
その後もしばらく会話(?)を続けてから、フィリップは別れ際になって、「もうすぐ降臨祭だから、僕の婚約者に贈り物をしたいんだけど」と切り出した。
降臨祭とは光の神に選ばれた勇者と聖女が共に戦って魔王を倒したという伝承に基づくお祭りで、戦いのあと勇者が聖女にオレンジを贈った故事に倣い、男性が女性に贈り物をする日とされている。
「なにか希望があれば教えてくれないかな。僕は女の人が好むものなんてわからないし、ディア本人に訊くのが一番いいと思ってね」
「ええと……」
クローディアは少し考えてから、おずおずと「それでは指輪をいただけませんか?」と口にした。
「指輪?」
「あ、いえ、別に変な意味じゃないんです。ただその、この首飾りも額飾りも腕飾りも全部聖女のためのものなので、なにかこうひとつくらい、私個人の装身具があったらいいなぁって、その」
クローディアがあわてて弁解すると、フィリップはさもおかしそうに笑いだした。
「ははっ、変な意味じゃないって……僕らは婚約者なんだから、変な意味でもいいんだよ。ディアはほんと面白いな。分かった、それじゃ君に似合うとびきり素敵な指輪を用意するから、楽しみにしてて」
「はい……楽しみにしています……!」
フィリップは魔獣討伐の遠征やら公務やらで、神殿に顔を出せない日も少なくない。そんなとき、フィリップにもらった指輪があれば心の支えになるだろう。
(そうだ。うじうじ考えるのはもうやめよう。私は神託に選ばれた聖女で、こんなに優しいフィリップさまの正式な婚約者なんだもの。それを幸運だと思ってがんばろう、うん)
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