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第三話
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馬を駆ること三日三晩。
フィリップは国境の森を抜けて、隣国の外れにある光の神殿に到着した。
聖女イザベラは噂にたがわず素晴らしい美女で、魔獣と戦ったフィリップの勇気を褒めたたえ、快く治療に応じてくれた。
「癒しの力って本当にすごいんですね……」
己の右手を撫でながら、フィリップは感嘆のため息を漏らした。
あのおぞましい魔獣の傷は、もはや痕跡さえ分からない。
「本当にありがとうございました。他国の者にまで奇跡をさずけて下さる寛大な聖女さまに感謝します」
「あら、勇敢な王子さまをお救いするのは聖女にとっても光栄なことですわ。民を守るために王族が自ら危険に身をさらすなんて、魔王と戦ったいにしえの勇者みたいですね」
イザベラは大輪の薔薇のように微笑んだ。
それから二人は並んで辺りを散策しながら、さまざまなことを語り合った。
貴族社会の他愛もない噂話から、さまざまな社会問題、国際問題、美術や文学に至るまで、イザベラは博識で機知に富み、話し相手としてこの上なかった。
やがて日がとっぷり暮れるころ、フィリップはもう少し話していたい気持ちをおさえ、イザベラに会いに来た本来の要件――すなわち父王の病を癒すために、自分とともにこちらの王都まで来てもらいたい旨を切り出した。
「分かりました。降臨祭が終わったあとなら少し時間ができますから、そのときそちらをお訪ねしましょう」
「ありがとうございます。なんとお礼を申し上げて良いか」
「気になさらないでくださいな。そちらの聖女さまにも一度お会いしてご挨拶したいと思ってましたし。確かクローディアさま、でしたわね」
「はい。僕の婚約者です」
「まあ、そうなんですの……。こんなに素敵な婚約者がいらして、クローディアさまはお幸せですわね」
「だといいんですけどね」
「あら幸せに決まってますわよ。もしそうでなかったら、私がもらってしまいますわ」
「はは、からかわないでくださいよ。イザベラさまの方こそ、結婚したがる男性は大勢いるんじゃないですか?」
「そりゃ申し込んでくる殿方は大勢いますわ。でもぴんとくる方がいなくって。ようやく素敵な殿方に出会えたと思ったら、すでに婚約しておられるのですもの。人生はままならないものですね」
イザベラの口調はあくまでおどけたものだったが、その瞳はたいそう切なげで、フィリップは胸が苦しくなった。
もしクローディアがいなかったら、自分とイザベラが結ばれる未来もあっただろうか。
イザベラと結婚してその美貌と才気を楽しみ、周囲から羨望の眼差しを向けられる未来が。
もしクローディアがいなかったら。
クローディアさえいなかったら。
(……まあそんなこと考えても仕方ないよな)
「明日の朝早くにここを立つつもりです。この手のことも、父のことも、本当にありがとうございました」
フィリップはあえて淡々とした口調で言った。
「どういたしまして。私は朝は沐浴を行うので、お見送りできないのが残念です」
「ああ、お祈り前の沐浴ですね」
「よくご存じですね。もしかしてクローディアさまも毎朝してらっしゃいますの?」
「はい、泉の神気が強すぎて、肌がびりびり痛むって嘆いてますよ」
「え……?」
フィリップのなにげない一言に、イザベラは困惑したような表情を浮かべた。
「その、聖女クローディアさまがそうおっしゃっていたのですか?」
「ええ、本人の口からそう聞きましたけど」
「そうですか……」
「あの、それがなにか?」
フィリップの問いに、聖女イザベラはためらうように視線をさまよわせていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「フィリップさま、聖女にとって神気とは心地よいものです。強すぎて痛いということはありえません。……大変失礼なことを申し上げますが、どうかお怒りにならないでくださいね。そのお方、本当に聖女なのですか?」
フィリップは国境の森を抜けて、隣国の外れにある光の神殿に到着した。
聖女イザベラは噂にたがわず素晴らしい美女で、魔獣と戦ったフィリップの勇気を褒めたたえ、快く治療に応じてくれた。
「癒しの力って本当にすごいんですね……」
己の右手を撫でながら、フィリップは感嘆のため息を漏らした。
あのおぞましい魔獣の傷は、もはや痕跡さえ分からない。
「本当にありがとうございました。他国の者にまで奇跡をさずけて下さる寛大な聖女さまに感謝します」
「あら、勇敢な王子さまをお救いするのは聖女にとっても光栄なことですわ。民を守るために王族が自ら危険に身をさらすなんて、魔王と戦ったいにしえの勇者みたいですね」
イザベラは大輪の薔薇のように微笑んだ。
それから二人は並んで辺りを散策しながら、さまざまなことを語り合った。
貴族社会の他愛もない噂話から、さまざまな社会問題、国際問題、美術や文学に至るまで、イザベラは博識で機知に富み、話し相手としてこの上なかった。
やがて日がとっぷり暮れるころ、フィリップはもう少し話していたい気持ちをおさえ、イザベラに会いに来た本来の要件――すなわち父王の病を癒すために、自分とともにこちらの王都まで来てもらいたい旨を切り出した。
「分かりました。降臨祭が終わったあとなら少し時間ができますから、そのときそちらをお訪ねしましょう」
「ありがとうございます。なんとお礼を申し上げて良いか」
「気になさらないでくださいな。そちらの聖女さまにも一度お会いしてご挨拶したいと思ってましたし。確かクローディアさま、でしたわね」
「はい。僕の婚約者です」
「まあ、そうなんですの……。こんなに素敵な婚約者がいらして、クローディアさまはお幸せですわね」
「だといいんですけどね」
「あら幸せに決まってますわよ。もしそうでなかったら、私がもらってしまいますわ」
「はは、からかわないでくださいよ。イザベラさまの方こそ、結婚したがる男性は大勢いるんじゃないですか?」
「そりゃ申し込んでくる殿方は大勢いますわ。でもぴんとくる方がいなくって。ようやく素敵な殿方に出会えたと思ったら、すでに婚約しておられるのですもの。人生はままならないものですね」
イザベラの口調はあくまでおどけたものだったが、その瞳はたいそう切なげで、フィリップは胸が苦しくなった。
もしクローディアがいなかったら、自分とイザベラが結ばれる未来もあっただろうか。
イザベラと結婚してその美貌と才気を楽しみ、周囲から羨望の眼差しを向けられる未来が。
もしクローディアがいなかったら。
クローディアさえいなかったら。
(……まあそんなこと考えても仕方ないよな)
「明日の朝早くにここを立つつもりです。この手のことも、父のことも、本当にありがとうございました」
フィリップはあえて淡々とした口調で言った。
「どういたしまして。私は朝は沐浴を行うので、お見送りできないのが残念です」
「ああ、お祈り前の沐浴ですね」
「よくご存じですね。もしかしてクローディアさまも毎朝してらっしゃいますの?」
「はい、泉の神気が強すぎて、肌がびりびり痛むって嘆いてますよ」
「え……?」
フィリップのなにげない一言に、イザベラは困惑したような表情を浮かべた。
「その、聖女クローディアさまがそうおっしゃっていたのですか?」
「ええ、本人の口からそう聞きましたけど」
「そうですか……」
「あの、それがなにか?」
フィリップの問いに、聖女イザベラはためらうように視線をさまよわせていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「フィリップさま、聖女にとって神気とは心地よいものです。強すぎて痛いということはありえません。……大変失礼なことを申し上げますが、どうかお怒りにならないでくださいね。そのお方、本当に聖女なのですか?」
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