『異世界転生してカフェを開いたら、庭が王宮より人気になってしまいました』

ヤオサカ

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第12話:花と紅茶と、まだ名前のない想い

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 初夏の風が、ラベンダーを揺らしている。

 リリアの庭には今日も穏やかな日差しが降り注ぎ、色とりどりの花々が風に揺れていた。
 ハーブの香りとともに、庭に人々が集う日常が、少しずつ定着してきている。

「リリアさん、ここのスコーンはほんとに絶品だわ」
「この紅茶、香りが優しくて……つい長居しちゃうのよね」

 村の婦人たちや旅人、時には近隣の小さな商家の奥さまたちが訪れ、庭の席に腰かけて、ゆっくりとお茶を楽しんでいく。

 リリアは笑顔で接客をこなしながらも、ふと気づくと、目が門の方を向いている。

(……今日も、来てくれるだろうか)

 グレイヴァン・リオステルのことを考えるだけで、胸が静かに騒がしくなる。
 まだ「好き」とはっきり認めきれない。けれど、彼の姿を見かけるだけで、胸の奥がきゅうっとなる。

 そんな気持ちを抱えながらも、リリアは庭を守る“店主”としての顔を保っていた。



「リリアさん、このお菓子、少し持ち帰ってもいいかしら?」
「もちろんです。包みをご用意しますね」

 笑顔で返しながら、ふと横目に視線をやると、門の向こうに影が見えた。

 大きな体に灰色の髪。見慣れた、でも見るたびに緊張してしまう後ろ姿。

「……グレイヴァンさん」

 リリアは自然と口元がほころぶのを感じた。

 彼はいつものように無言で庭へ入り、少しだけ視線を巡らせたあと、ラベンダーの席へと向かった。
 それを見ていた婦人のひとりが、くすりと笑ってささやく。

「あの方、最近よくいらしてるわよねぇ」
「口数少ないけど、見た目のわりに優しそうね。リリアさんのお茶がお気に入りかしら?」

「……どうでしょう。でも、気に入ってもらえてるなら嬉しいです」

 笑ってごまかすけれど、心の奥が妙にあたたかい。



「今日のおすすめは、ローズヒップとカモミール、少しだけバニラの香りを足しました」

 リリアがカップを置くと、グレイヴァンは小さくうなずく。

「……この香り、落ち着く」

「バニラって、ほんの少し混ぜるだけで、気持ちがふっと緩むんです。不思議ですよね」

 彼は静かに紅茶を飲みながら、しばらく視線を庭のほうに向けていた。
 そのまなざしの先には、小さな子どもがスコーンを頬張って笑っている姿。

「……こういうの、いいな」

「……はい。私も、こんな光景を見たかったんです。
 花と香りと、笑い声と……誰かの心が、ちょっと軽くなる場所」

 言葉を口にしながら、リリアの胸の奥に、ひとつの願いが浮かんだ。

(できれば、その“誰か”に、あなたも入っていてほしい)

 その気持ちはまだ小さくて、掴みきれない。でも、確かにここにある。



 午後、少し遅れてやってきた夫婦の客が、紅茶を飲みながらつぶやいた。

「この庭、ほんとに心が落ち着きますね。……不思議な空気があります」

「ありがとうございます。そう言っていただけるのが、何より嬉しいです」

 ふと、グレイヴァンがその言葉に視線を向けていた。
 リリアが目を合わせると、彼はわずかに頷いた。

 それだけで、また心が騒いでしまう。



 閉店の準備を終えた夕方、花壇の片づけをしていたリリアに、グレイヴァンが近づいた。

「……この前の茶。配合を、覚えておいてくれ」

「え……? もちろんですけど、どうして?」

「……また、思い出したくなると思うから」

 不意打ちのような言葉に、リリアは息を呑んだ。

 彼はそれ以上何も言わず、ただラベンダーの茎をそっと指先でなぞり、静かに門を出ていった。

 その背中を、リリアは長く見送った。

 日常のなかに、少しずつ芽吹く気持ち。
 それはまだ、恋とは言いきれない。けれど、確かに今、花のように開きはじめている。
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