【改稿版】光を忘れたあなたに、永遠の後悔を

桜野なつみ

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第10話 やさしいせかい

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黒霧が消え、王都に再び光が満ちた――
しかし、それは祝福ではなく、贖罪の光だった。

魅了が解けた人々は、まるで夢から叩き落とされたように立ち尽くした。
記憶が、戻ってくる。
あの黒霧の下で、自分が何をしてきたのか――
そのすべてが、刃のように胸を裂いた。

「セラフィムの民を……わたしたちは……」

誰かが呟く。
その声は広場を伝い、やがて国中を覆う嗚咽の波へと変わった。

“祝福”と呼ばれた儀式。
“奉納”と称して差し出した命。

「光を持つ者は、害をもたらす」と信じて、
友を、恋人を、妻を、夫を、子を、自らの手で差し出した。
その行為を“正義”だと思っていた。
心から――そう、信じていたのだ。

そして今、誰もが自らの手を見つめている。
その手のひらに、まだ残る。
掴んだ肩の震え。
背を押した瞬間のぬくもり。
泣き叫ぶ声。
あの日、自分が奪った光。

「どうして……あの時、疑わなかったんだ……」

誰かが自分の頬を叩く。
誰かは血が出るまで手を擦る。
誰かはその手で、自らの首を掻き切った。

血のにじむ痛みでしか、現実を取り戻せなかった。
どれほど洗っても、擦っても、命を絶っても、
掌についた“光の民”の温もりは落ちなかった。

街の至るところで、祈りと嗚咽が混ざり合う。
それは赦しを請う祈りではない。
――もう二度と「信じる」という言葉を間違えたくないという、痛みの叫びだった。



けれど、王宮の奥にある一室だけは、何ひとつ変わっていなかった。
そこだけがまだ、夢の中のように――やさしすぎる世界のまま、止まっていた。

日当たりの良い部屋。
小さな椅子と机。おままごと用の食器にぬいぐるみ。
家具は整い、部屋は明るい。
だが、それは幼すぎた明るさだった。

双子――リュミエールとアレクシスは、八歳。
けれど、そこにいるのは六歳児のようにあどけない姿だった。

六歳までは帝王教育の初期段階を受けていた。
けれど、あの女――“聖女”現れてから、すべてが止まった。

「辛いことはしなくていいのよ」
「学ばなくていいわ。あなたたちは特別だから」
「文字? 読めなくていいの。数字? わからなくていいの」
「さあ、遊びましょう。楽しいことだけしていればいいのよ」

そう言って笑いかける“母”に、子どもたちは従った。
拒む理由を知らなかった。

求めれば、すぐに与えられる。
怒られることも、待たされることもない。
努力をせずとも、何一つ困らない。

――それは「人間としての成長」を徹底して奪う、“優しき虐待”だった。

学ぶことも、知ることも、疑問を持つことも許されない。
それは、強い光を宿す存在を、より純粋な燃料として温存するための、
甘やかしという名の支配だった。

そして今日も、二人は笑っていた。
何も知らずに、何も疑わずに。
ただ、与えられた“やさしいせかい”のなかで――





「お母さま!」
「今日は何して遊ぶ?」

一人の女が現れる。
にこやかな笑顔の中に、焦りが隠れていた。
しかし、幼い二人は気づかない。

「今日はね、とっておきの場所に連れていってあげるわ」

「とっておきの場所?」
「どこなの?」

「内緒よ。でもね、とっても暗い場所なの。迷子にならないように、これで手を繋いで行きましょう」

女――聖女エルノアは、どこからともなく黒く細い紐を取り出し、
二人の手首に、きつく巻いていった。

「お母さま、これ痛いよ!」
「とってよ!」

「取らないわよ。逃げたら困るじゃない」

「え……?」
「お母さま……?」

エルノアは無言で二人を引っ張り、歩き出した。
隣り合う二つの子ども部屋――
その間にある物置の奥へと進み、さらに奥の岩肌の前で、
エルノアはリュミエールの手を取った。

そして、いつの間にか手にしていたナイフで、指先を切った。

「痛いっ!」

「さあ、その指をこの岩に置いて」

リュミエールは怯え、手を引こうとした。

「いや……やだよ、おかあさま……」

しかしエルノアは躊躇を許さず、
その小さな手をぐっと掴んで、岩に押しつけた。

すると、ルシエル王族の「血」でしか開かぬ秘密の通路が現れた。
暗く、冷えた石の廊下。

「早くいらっしゃい」

冷たい声に、リュミエールの目に涙が浮かぶ。
アレクシスの声も震えていた。

「おかあさま、どうして……?」
「……足が痛いよ……」

二人の声は小さく震えていた。
けれど女は振り返りもせず、冷たい声で言った。

「我慢なさい。そんなの痛いうちに入らないわ。ほら、もっとちゃんと歩いて!」

石畳の通路に躓いても、声を上げても、手は引いてもらえない。
泣いても、怯えても、叱責だけが返ってくる。

そこにあるのは、優しさの欠片もない。
“母”とは似ても似つかない、ただ命令するだけの存在だった。

やがて隠し扉の先、森の中へと出たその瞬間――

「──そこまでだ」

その声は、あまりにも静かで――それでいて、空気を震わせるほどに威圧を帯びていた。

エルノアがぎくりと足を止める。

木々の間から、黒髪の男が歩み出てくる。
夜の帳を裂くような、まばゆい白の軍衣。
その瞳は深く、冷たく、それでいて燃えるような怒りを湛えていた。

セラフィム国王太子、カリス。

「その手を、今すぐ放せ。……それ以上、彼らに触れるな」

一言ごとに、風が鳴った。
光の加護が彼の周囲に集まり、まるで空間そのものがざわめいていた。

「くっ……動くな! こいつらが……どうなってもいいのっ!?」

エルノアが叫ぶ。
だがその声は、どこか焦りに満ちていた。

カリスは一歩、また一歩と進みながら言った。

「どうにかするつもりだったのか……? その手で、この子たちを?」

双子の腕には、黒い紐が巻きつけられていた。
締め上げられた細い手首。怯えきった顔。

「この子たちは、お前の所有物ではない」

その瞬間、聖女が手にしていた黒い魔力の刃が閃いた。

「近づくな!! こいつらは私の餌なのよ、養分なのよ!
返してよ! いないと私は──っ!」

「──黙れ」

その一喝が、森の空気を裂いた。
瞬間、カリスの足元に光の転移陣が浮かび上がる。

その眩い光と共に、セラフィムの精鋭たちが次々と現れ、
黒霧の気配を纏う女を一斉に取り囲んだ。

動く隙すら与えず、わずか数秒で制圧。
黒き魔力を纏った刃は弾かれ、女の体は地に伏せられた。

カリスは静かに歩み寄り、その女を見下ろす。
その瞳は怒りに燃えていたが、決して取り乱さず、静かな激情を湛えていた。

「……お前に、“母”を名乗る資格はない」

その一言とともに、すべての支配が終わりを告げた。

そして、恐怖と混乱に包まれていた双子の目の前に、カリスは膝をつき、目線を合わせた。

「……お前たちの母は、あのような化け物ではない」
「……光に満ちた、美しい……心優しき女性だった」

その声には、限りない怒りと、深い慈しみが込められていた。

──そして、“やさしいせかい”は、終わりを告げた。
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