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第10話 枯れた光
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──急使転移陣が構築された部屋。
緊急時、国内の要所へ複数人を送り出すために用意された魔法陣の間だ。
既に魔法士によって転移準備は整えられていた。
カリスはうなずき、待機していた近衛たちに声を張る。
「すぐに出立する!」
フィアナからの転移座標が失われた今、唯一たどれるのはルシウス国境近くに駐留するセラフィム軍の要所――エマが保護された“砦”だった。
本来なら、彼女の翡翠の護符を転移点として、直接呼び寄せることができた。
だが――あの翡翠はもう、国の外にある。
彼女の命と魔力を結ぶ座標は、完全に途切れていた。
転移は“記憶の場所”にしか結べない。
過去に訪れた教会、庭園、離宮――どれも、今は座標が取れない。
まるで、国そのものが地図から消えたかのようだった。
「……残されたのは、国境の砦だけか」
カリスは息を吐き、転移陣に片膝をついた。
翡翠を失った瞬間から、妹の光が遠のいていくのを感じていた。
まるで闇の中に沈んでいくように。
転移の光がカリスの体を包む。
砦には既に帰還していたルークと数名の近衛が待機していた。
彼らと合流すると、すぐさま国境方面へ馬を駆けさせる。
──だが、ルシエル国には入れなかった。
国境の砦に、人の気配がない。
門は閉ざされ、空は黒く淀み、足元の空間すら歪んでいる。
無理に踏み込めば、体ごと闇に呑まれてしまいそうな――
「……これは、魔法結界……?」
黒い霧のようなものが、視界を曇らせていた。
粘りつくような圧が、空気を蝕んでいく。
光の魔力を探るが、何も引っかからない。
かつて妹に案内された場所――教会、植物園、旧城下町。
そのどれもが、座標を示さない。
転移陣を試みても、構築不能。
「なぜだ……全く座標が取れない……!」
焦りが胸を焼く。
騎馬で国境の周囲を動きながら、わずかな光の残滓や魔力の痕跡を探す。
そして──三日が過ぎた頃だった。
……パキンッ。
何かが割れるような音が、空気を震わせた。
──何かが、変わった。
光の魔力が、かすかに通る箇所を感知した。
カリスはすぐさま地面に指を当て、転移陣を組み上げる。
「……ここだ……行ける、行けるぞ……!」
だが、描かれた転移陣の大きさは一人分のもの。
「殿下、それは危険すぎます!!」
「構わん!……俺だけでも行く」
その声音に、誰もが言葉を失った。
「行かせてくれ……フィアナが、もう……一人で泣いている気がするんだ」
閃光が彼を包み、視界が弾けた。
転移座標が導いたのは、王都・ルシエル王国の――王の間。
そこに立ち尽くしていたのは、王冠をいただく男。
リュシアン。
傍らに、寄り添う聖女の姿。
フィアナの姿は、どこにもなかった。
「……リュシアン。貴様……」
怒声が漏れる。
だが、王の瞳は焦点を失い、夢の続きを歩いているようだった。
カリスは怒声を上げ、リュシアンの胸ぐらをつかむ。
「どの面下げて、フィアナの側にいた!!」
だが──次の瞬間、王は凄まじい力でそれを振り払い、何かに取り憑かれたように走り出した。
「フィアナァァアッ!!」
「リュシアン、待てッ!!」
怒鳴りながら、カリスもその背を追う。
あの男は逃げているのではない。
あれは……フィアナの名を呼んでいた。
その目に、正気が戻りかけていた。
(……奴は、フィアナの元へ向かっている)
黒霧が身を打つ。視界は曇る。
けれどカリスの足は迷わなかった。
エマは「離宮に閉じ込められていた」と言っていた。
ならば――そこに向かっているのだ。
だが、目の前に現れた建物は――
塗装の剥げた扉、歪んだ柱、風雨に晒され朽ちかけた壁。
「離宮」とは名ばかり。
カリスの知るどの離宮よりも、哀れで、静かで、打ち捨てられていた。
「……これが、離宮……?」
その言葉に、悔しさと怒りがにじむ。
信じたくない。こんな場所に、妹がいたというのか。
(違う。違っていてくれ……)
しかし、否応なく背を押す予感があった。
リュシアンが駆け込んだ扉は、開け放たれていた。
迷わずカリスは、その中へと踏み込んだ。
──そして、目にしてしまった。
視界の奥、薄闇の静寂の中。
細く、静かに横たわる人影。
光も、声も、気配もない。
そこに、彼女はいた。
「フィアナッ!!」
妹の変わり果てた姿に、兄は、ただその名を叫んだ。
光を纏っていたはずの彼女は、まるで枯れ木のように痩せ細り、
それでもなお、凛とした美しさを保っていた。
まるで――そこだけが、時を止めていた。
カリスは近づき、膝をつく。
「……まだ、残っているか……?」
祈るように魔力を探る。
──何もない。
光も、闇も、命の揺らぎさえも。
希望を糧に生きていたはずの妹が、
その希望ごと――消えていた。
「……どれほどの孤独に、どれほどの痛みに……」
その時だった。
背後の空間が揺れ、光の渦が走る。
複数の魔力が、転移してくる。
「殿下ッ!我々も転移が通りました!」
ルークと近衛たちが現れ、そして――
「……フィアナ様……っ」
誰もが言葉を失う。
枯れ果てた妹の姿に。
カリスは、跪くようにしてそっとその傍らに座り込み、フィアナの顔を見つめた。
やつれてはいるが、穏やかに閉じられた瞼。微笑むような唇。
まるで今にも目を開けて話しかけてきそうなその顔に、彼は静かに、呟くように言った。
「……王宮に、“聖女のなりをした魔物”がいる」
沈黙が落ちる。
カリスは、ひとつ息を吐き、そっと妹の頬に触れる。
その冷たさに、怒りが、胸の奥からせり上がる。
喉元まで満ちた激情が、彼の声を震わせた。
「……拘束しろ」
ぎり、と奥歯を噛み締める。
「――絶対に逃すな!!!」
その声は、怒りと悲しみと、断固たる決意に満ちていた。
緊急時、国内の要所へ複数人を送り出すために用意された魔法陣の間だ。
既に魔法士によって転移準備は整えられていた。
カリスはうなずき、待機していた近衛たちに声を張る。
「すぐに出立する!」
フィアナからの転移座標が失われた今、唯一たどれるのはルシウス国境近くに駐留するセラフィム軍の要所――エマが保護された“砦”だった。
本来なら、彼女の翡翠の護符を転移点として、直接呼び寄せることができた。
だが――あの翡翠はもう、国の外にある。
彼女の命と魔力を結ぶ座標は、完全に途切れていた。
転移は“記憶の場所”にしか結べない。
過去に訪れた教会、庭園、離宮――どれも、今は座標が取れない。
まるで、国そのものが地図から消えたかのようだった。
「……残されたのは、国境の砦だけか」
カリスは息を吐き、転移陣に片膝をついた。
翡翠を失った瞬間から、妹の光が遠のいていくのを感じていた。
まるで闇の中に沈んでいくように。
転移の光がカリスの体を包む。
砦には既に帰還していたルークと数名の近衛が待機していた。
彼らと合流すると、すぐさま国境方面へ馬を駆けさせる。
──だが、ルシエル国には入れなかった。
国境の砦に、人の気配がない。
門は閉ざされ、空は黒く淀み、足元の空間すら歪んでいる。
無理に踏み込めば、体ごと闇に呑まれてしまいそうな――
「……これは、魔法結界……?」
黒い霧のようなものが、視界を曇らせていた。
粘りつくような圧が、空気を蝕んでいく。
光の魔力を探るが、何も引っかからない。
かつて妹に案内された場所――教会、植物園、旧城下町。
そのどれもが、座標を示さない。
転移陣を試みても、構築不能。
「なぜだ……全く座標が取れない……!」
焦りが胸を焼く。
騎馬で国境の周囲を動きながら、わずかな光の残滓や魔力の痕跡を探す。
そして──三日が過ぎた頃だった。
……パキンッ。
何かが割れるような音が、空気を震わせた。
──何かが、変わった。
光の魔力が、かすかに通る箇所を感知した。
カリスはすぐさま地面に指を当て、転移陣を組み上げる。
「……ここだ……行ける、行けるぞ……!」
だが、描かれた転移陣の大きさは一人分のもの。
「殿下、それは危険すぎます!!」
「構わん!……俺だけでも行く」
その声音に、誰もが言葉を失った。
「行かせてくれ……フィアナが、もう……一人で泣いている気がするんだ」
閃光が彼を包み、視界が弾けた。
転移座標が導いたのは、王都・ルシエル王国の――王の間。
そこに立ち尽くしていたのは、王冠をいただく男。
リュシアン。
傍らに、寄り添う聖女の姿。
フィアナの姿は、どこにもなかった。
「……リュシアン。貴様……」
怒声が漏れる。
だが、王の瞳は焦点を失い、夢の続きを歩いているようだった。
カリスは怒声を上げ、リュシアンの胸ぐらをつかむ。
「どの面下げて、フィアナの側にいた!!」
だが──次の瞬間、王は凄まじい力でそれを振り払い、何かに取り憑かれたように走り出した。
「フィアナァァアッ!!」
「リュシアン、待てッ!!」
怒鳴りながら、カリスもその背を追う。
あの男は逃げているのではない。
あれは……フィアナの名を呼んでいた。
その目に、正気が戻りかけていた。
(……奴は、フィアナの元へ向かっている)
黒霧が身を打つ。視界は曇る。
けれどカリスの足は迷わなかった。
エマは「離宮に閉じ込められていた」と言っていた。
ならば――そこに向かっているのだ。
だが、目の前に現れた建物は――
塗装の剥げた扉、歪んだ柱、風雨に晒され朽ちかけた壁。
「離宮」とは名ばかり。
カリスの知るどの離宮よりも、哀れで、静かで、打ち捨てられていた。
「……これが、離宮……?」
その言葉に、悔しさと怒りがにじむ。
信じたくない。こんな場所に、妹がいたというのか。
(違う。違っていてくれ……)
しかし、否応なく背を押す予感があった。
リュシアンが駆け込んだ扉は、開け放たれていた。
迷わずカリスは、その中へと踏み込んだ。
──そして、目にしてしまった。
視界の奥、薄闇の静寂の中。
細く、静かに横たわる人影。
光も、声も、気配もない。
そこに、彼女はいた。
「フィアナッ!!」
妹の変わり果てた姿に、兄は、ただその名を叫んだ。
光を纏っていたはずの彼女は、まるで枯れ木のように痩せ細り、
それでもなお、凛とした美しさを保っていた。
まるで――そこだけが、時を止めていた。
カリスは近づき、膝をつく。
「……まだ、残っているか……?」
祈るように魔力を探る。
──何もない。
光も、闇も、命の揺らぎさえも。
希望を糧に生きていたはずの妹が、
その希望ごと――消えていた。
「……どれほどの孤独に、どれほどの痛みに……」
その時だった。
背後の空間が揺れ、光の渦が走る。
複数の魔力が、転移してくる。
「殿下ッ!我々も転移が通りました!」
ルークと近衛たちが現れ、そして――
「……フィアナ様……っ」
誰もが言葉を失う。
枯れ果てた妹の姿に。
カリスは、跪くようにしてそっとその傍らに座り込み、フィアナの顔を見つめた。
やつれてはいるが、穏やかに閉じられた瞼。微笑むような唇。
まるで今にも目を開けて話しかけてきそうなその顔に、彼は静かに、呟くように言った。
「……王宮に、“聖女のなりをした魔物”がいる」
沈黙が落ちる。
カリスは、ひとつ息を吐き、そっと妹の頬に触れる。
その冷たさに、怒りが、胸の奥からせり上がる。
喉元まで満ちた激情が、彼の声を震わせた。
「……拘束しろ」
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