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第10話 やさしいせかい
黒霧が消え、王都に再び光が満ちた――
しかし、それは祝福ではなく、贖罪の光だった。
魅了が解けた人々は、まるで夢から叩き落とされたように立ち尽くした。
記憶が、戻ってくる。
あの黒霧の下で、自分が何をしてきたのか――
そのすべてが、刃のように胸を裂いた。
「セラフィムの民を……わたしたちは……」
誰かが呟く。
その声は広場を伝い、やがて国中を覆う嗚咽の波へと変わった。
“祝福”と呼ばれた儀式。
“奉納”と称して差し出した命。
「光を持つ者は、害をもたらす」と信じて、
友を、恋人を、妻を、夫を、子を、自らの手で差し出した。
その行為を“正義”だと思っていた。
心から――そう、信じていたのだ。
そして今、誰もが自らの手を見つめている。
その手のひらに、まだ残る。
掴んだ肩の震え。
背を押した瞬間のぬくもり。
泣き叫ぶ声。
あの日、自分が奪った光。
「どうして……あの時、疑わなかったんだ……」
誰かが自分の頬を叩く。
誰かは血が出るまで手を擦る。
誰かはその手で、自らの首を掻き切った。
血のにじむ痛みでしか、現実を取り戻せなかった。
どれほど洗っても、擦っても、命を絶っても、
掌についた“光の民”の温もりは落ちなかった。
街の至るところで、祈りと嗚咽が混ざり合う。
それは赦しを請う祈りではない。
――もう二度と「信じる」という言葉を間違えたくないという、痛みの叫びだった。
◇
けれど、王宮の奥にある一室だけは、何ひとつ変わっていなかった。
そこだけがまだ、夢の中のように――やさしすぎる世界のまま、止まっていた。
日当たりの良い部屋。
小さな椅子と机。おままごと用の食器にぬいぐるみ。
家具は整い、部屋は明るい。
だが、それは幼すぎた明るさだった。
双子――リュミエールとアレクシスは、八歳。
けれど、そこにいるのは六歳児のようにあどけない姿だった。
六歳までは帝王教育の初期段階を受けていた。
けれど、あの女――“聖女”現れてから、すべてが止まった。
「辛いことはしなくていいのよ」
「学ばなくていいわ。あなたたちは特別だから」
「文字? 読めなくていいの。数字? わからなくていいの」
「さあ、遊びましょう。楽しいことだけしていればいいのよ」
そう言って笑いかける“母”に、子どもたちは従った。
拒む理由を知らなかった。
求めれば、すぐに与えられる。
怒られることも、待たされることもない。
努力をせずとも、何一つ困らない。
――それは「人間としての成長」を徹底して奪う、“優しき虐待”だった。
学ぶことも、知ることも、疑問を持つことも許されない。
それは、強い光を宿す存在を、より純粋な燃料として温存するための、
甘やかしという名の支配だった。
そして今日も、二人は笑っていた。
何も知らずに、何も疑わずに。
ただ、与えられた“やさしいせかい”のなかで――
◇
「お母さま!」
「今日は何して遊ぶ?」
一人の女が現れる。
にこやかな笑顔の中に、焦りが隠れていた。
しかし、幼い二人は気づかない。
「今日はね、とっておきの場所に連れていってあげるわ」
「とっておきの場所?」
「どこなの?」
「内緒よ。でもね、とっても暗い場所なの。迷子にならないように、これで手を繋いで行きましょう」
女――聖女エルノアは、どこからともなく黒く細い紐を取り出し、
二人の手首に、きつく巻いていった。
「お母さま、これ痛いよ!」
「とってよ!」
「取らないわよ。逃げたら困るじゃない」
「え……?」
「お母さま……?」
エルノアは無言で二人を引っ張り、歩き出した。
隣り合う二つの子ども部屋――
その間にある物置の奥へと進み、さらに奥の岩肌の前で、
エルノアはリュミエールの手を取った。
そして、いつの間にか手にしていたナイフで、指先を切った。
「痛いっ!」
「さあ、その指をこの岩に置いて」
リュミエールは怯え、手を引こうとした。
「いや……やだよ、おかあさま……」
しかしエルノアは躊躇を許さず、
その小さな手をぐっと掴んで、岩に押しつけた。
すると、ルシエル王族の「血」でしか開かぬ秘密の通路が現れた。
暗く、冷えた石の廊下。
「早くいらっしゃい」
冷たい声に、リュミエールの目に涙が浮かぶ。
アレクシスの声も震えていた。
「おかあさま、どうして……?」
「……足が痛いよ……」
二人の声は小さく震えていた。
けれど女は振り返りもせず、冷たい声で言った。
「我慢なさい。そんなの痛いうちに入らないわ。ほら、もっとちゃんと歩いて!」
石畳の通路に躓いても、声を上げても、手は引いてもらえない。
泣いても、怯えても、叱責だけが返ってくる。
そこにあるのは、優しさの欠片もない。
“母”とは似ても似つかない、ただ命令するだけの存在だった。
やがて隠し扉の先、森の中へと出たその瞬間――
「──そこまでだ」
その声は、あまりにも静かで――それでいて、空気を震わせるほどに威圧を帯びていた。
エルノアがぎくりと足を止める。
木々の間から、黒髪の男が歩み出てくる。
夜の帳を裂くような、まばゆい白の軍衣。
その瞳は深く、冷たく、それでいて燃えるような怒りを湛えていた。
セラフィム国王太子、カリス。
「その手を、今すぐ放せ。……それ以上、彼らに触れるな」
一言ごとに、風が鳴った。
光の加護が彼の周囲に集まり、まるで空間そのものがざわめいていた。
「くっ……動くな! こいつらが……どうなってもいいのっ!?」
エルノアが叫ぶ。
だがその声は、どこか焦りに満ちていた。
カリスは一歩、また一歩と進みながら言った。
「どうにかするつもりだったのか……? その手で、この子たちを?」
双子の腕には、黒い紐が巻きつけられていた。
締め上げられた細い手首。怯えきった顔。
「この子たちは、お前の所有物ではない」
その瞬間、聖女が手にしていた黒い魔力の刃が閃いた。
「近づくな!! こいつらは私の餌なのよ、養分なのよ!
返してよ! いないと私は──っ!」
「──黙れ」
その一喝が、森の空気を裂いた。
瞬間、カリスの足元に光の転移陣が浮かび上がる。
その眩い光と共に、セラフィムの精鋭たちが次々と現れ、
黒霧の気配を纏う女を一斉に取り囲んだ。
動く隙すら与えず、わずか数秒で制圧。
黒き魔力を纏った刃は弾かれ、女の体は地に伏せられた。
カリスは静かに歩み寄り、その女を見下ろす。
その瞳は怒りに燃えていたが、決して取り乱さず、静かな激情を湛えていた。
「……お前に、“母”を名乗る資格はない」
その一言とともに、すべての支配が終わりを告げた。
そして、恐怖と混乱に包まれていた双子の目の前に、カリスは膝をつき、目線を合わせた。
「……お前たちの母は、あのような化け物ではない」
「……光に満ちた、美しい……心優しき女性だった」
その声には、限りない怒りと、深い慈しみが込められていた。
──そして、“やさしいせかい”は、終わりを告げた。
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