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第一話 舞踏会の宣言
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第一話 舞踏会の宣言
王宮の大広間は、今宵も眩い光に満ちていた。天井のシャンデリアは幾千もの燭台を抱き、磨き上げられた大理石の床は、貴族たちの衣装を淡く映し返している。楽団の奏でる優雅な旋律の下、色とりどりのドレスと軍装がゆるやかに揺れ、王都の秩序はいつも通り、静かに回っているように見えた。
その中心に立つのは、王太子アルベルトと、彼の婚約者である公爵令嬢エリシア・フォン・ルーヴェン。
本来であれば、この夜会は二人の絆を内外に示す場であった。公爵家と王家の結びつきは、単なる婚約以上の意味を持つ。軍需契約、穀物供給、港湾管理、隣国との関税調整――それらすべてが、この婚約を基礎として組み上げられている。
だが、王太子の表情は晴れやかだった。妙に、晴れやかすぎるほどに。
「諸侯よ、聞け」
楽団が音を止める。ざわめきが広間に広がる。
エリシアは、隣に立つ王太子を静かに見上げた。彼の横顔は高揚に染まり、その視線は自分ではなく、やや後方に立つ白衣の少女へ向いている。
神殿より招かれた新たな“聖女”、リュシエラ。
清らかな白衣、胸元に下げられた銀の十字、慎ましやかに伏せられた睫毛。だが、その瞳が王太子を見る瞬間だけ、熱を帯びていることに気づいている者は少ない。
「私は、本日をもってエリシアとの婚約を破棄する」
言葉は、あまりにも軽く、あまりにも公然と放たれた。
一瞬、空気が凍る。
それでも王太子は続ける。
「私が真に選ぶべきは、真実の光だ。リュシエラこそが、神に選ばれし聖女。私は彼女と共に歩む」
広間の視線が一斉に動く。
驚愕。 困惑。 そして、計算。
エリシアは、ゆっくりと瞬きをした。
――根回しはない。 ――事前通告もない。 ――補償の話もない。
これは感情の宣言だ。
だが、ここは舞踏会。公式儀礼の場。列席しているのは公爵、侯爵、伯爵、そして国外の使節まで含む。
公開での婚約破棄は、単なる男女の問題ではない。
それは、契約の破棄であり、面子の破壊であり、秩序への挑戦だ。
それでも、エリシアは笑みを崩さなかった。
「承知いたしました、殿下」
静かな声だった。
悲鳴も怒号もない。
「ですが、確認を一つ。これは王家としての正式な意思と受け取ってよろしいのですね?」
王太子はわずかに眉を寄せる。
「当然だ。私は王太子だ」
「……左様でございますか」
その一言で十分だった。
周囲の貴族たちは理解する。
“これは感情の破棄ではない。国家契約の一方的解消だ。”
エリシアは、優雅に一礼した。
「それでは、本日をもってルーヴェン公爵家は、王家との全契約を精査し、必要な整理に入らせていただきます」
王太子の顔が、ほんのわずかに曇る。
「……何を言っている?」
「婚約は両家の信義の証。信義が失われた以上、契約の再確認は当然かと」
その言葉に、数名の老貴族が目を伏せた。
ルールは単純だ。
貴族社会は、契約と合意で成り立つ。
婚約は恋ではない。 王太子の一存で壊してよいものではない。
だが、アルベルトはまだ理解していない。
「大げさだな。婚約を解消しただけだ」
その瞬間、広間にわずかな緊張が走る。
“だけ”。
その軽さが、すべてを物語っていた。
エリシアはそれ以上言葉を重ねない。
父であるルーヴェン公爵も、怒らない。騒がない。ただ、静かに娘の隣へ立つ。
「帰ろう」
それだけ。
怒号がないことが、かえって重い。
列席していた諸侯は、互いに目配せを交わす。
根回しなし。 補償なし。 公開破棄。
これは前例を作る。
“次は誰が、同じ目に遭う?”
その疑念が、広間に広がる。
王太子はなお、白衣の少女の手を取る。
リュシエラは、柔らかく微笑んだ。
「殿下は、正しいご決断をなさいました」
その声は優しい。
だが、その言葉が何を意味するのかを理解している者は少ない。
エリシアは最後に振り返らない。
舞踏会の扉が閉じる音が、妙に大きく響いた。
音楽は再開されない。
ざわめきも、すぐには戻らない。
王太子はようやく周囲を見回す。
歓声はない。 祝福もない。
ただ、整えられた沈黙。
それが、貴族社会の最初の返答だった。
リュシエラは、王太子の腕にそっと身を寄せる。
「殿下に従わないものは、いずれ淘汰されますわ」
穏やかな囁き。
王太子は聞き流す。
まだ、何も起きていないと思っている。
だがこの夜、王宮の秩序は静かに軋み始めた。
公開で破られたのは婚約ではない。
貴族界の暗黙のルールだった。
そして、そのルールを軽んじた代償は、ゆっくりと、しかし確実に積み上がっていく。
エリシアは帰路の馬車の中で、窓の外を見つめていた。
「お嬢様……」
侍女が不安げに声をかける。
「心配はいりません」
彼女は穏やかに答える。
「契約が終わっただけですわ」
その声音に揺らぎはない。
失ったものよりも、これから整理すべきものの方が明確だった。
王太子は感情を選んだ。
エリシアは秩序を選ぶ。
舞台は分かれた。
そしてこの夜は、ただの始まりに過ぎなかった。
王宮の大広間は、今宵も眩い光に満ちていた。天井のシャンデリアは幾千もの燭台を抱き、磨き上げられた大理石の床は、貴族たちの衣装を淡く映し返している。楽団の奏でる優雅な旋律の下、色とりどりのドレスと軍装がゆるやかに揺れ、王都の秩序はいつも通り、静かに回っているように見えた。
その中心に立つのは、王太子アルベルトと、彼の婚約者である公爵令嬢エリシア・フォン・ルーヴェン。
本来であれば、この夜会は二人の絆を内外に示す場であった。公爵家と王家の結びつきは、単なる婚約以上の意味を持つ。軍需契約、穀物供給、港湾管理、隣国との関税調整――それらすべてが、この婚約を基礎として組み上げられている。
だが、王太子の表情は晴れやかだった。妙に、晴れやかすぎるほどに。
「諸侯よ、聞け」
楽団が音を止める。ざわめきが広間に広がる。
エリシアは、隣に立つ王太子を静かに見上げた。彼の横顔は高揚に染まり、その視線は自分ではなく、やや後方に立つ白衣の少女へ向いている。
神殿より招かれた新たな“聖女”、リュシエラ。
清らかな白衣、胸元に下げられた銀の十字、慎ましやかに伏せられた睫毛。だが、その瞳が王太子を見る瞬間だけ、熱を帯びていることに気づいている者は少ない。
「私は、本日をもってエリシアとの婚約を破棄する」
言葉は、あまりにも軽く、あまりにも公然と放たれた。
一瞬、空気が凍る。
それでも王太子は続ける。
「私が真に選ぶべきは、真実の光だ。リュシエラこそが、神に選ばれし聖女。私は彼女と共に歩む」
広間の視線が一斉に動く。
驚愕。 困惑。 そして、計算。
エリシアは、ゆっくりと瞬きをした。
――根回しはない。 ――事前通告もない。 ――補償の話もない。
これは感情の宣言だ。
だが、ここは舞踏会。公式儀礼の場。列席しているのは公爵、侯爵、伯爵、そして国外の使節まで含む。
公開での婚約破棄は、単なる男女の問題ではない。
それは、契約の破棄であり、面子の破壊であり、秩序への挑戦だ。
それでも、エリシアは笑みを崩さなかった。
「承知いたしました、殿下」
静かな声だった。
悲鳴も怒号もない。
「ですが、確認を一つ。これは王家としての正式な意思と受け取ってよろしいのですね?」
王太子はわずかに眉を寄せる。
「当然だ。私は王太子だ」
「……左様でございますか」
その一言で十分だった。
周囲の貴族たちは理解する。
“これは感情の破棄ではない。国家契約の一方的解消だ。”
エリシアは、優雅に一礼した。
「それでは、本日をもってルーヴェン公爵家は、王家との全契約を精査し、必要な整理に入らせていただきます」
王太子の顔が、ほんのわずかに曇る。
「……何を言っている?」
「婚約は両家の信義の証。信義が失われた以上、契約の再確認は当然かと」
その言葉に、数名の老貴族が目を伏せた。
ルールは単純だ。
貴族社会は、契約と合意で成り立つ。
婚約は恋ではない。 王太子の一存で壊してよいものではない。
だが、アルベルトはまだ理解していない。
「大げさだな。婚約を解消しただけだ」
その瞬間、広間にわずかな緊張が走る。
“だけ”。
その軽さが、すべてを物語っていた。
エリシアはそれ以上言葉を重ねない。
父であるルーヴェン公爵も、怒らない。騒がない。ただ、静かに娘の隣へ立つ。
「帰ろう」
それだけ。
怒号がないことが、かえって重い。
列席していた諸侯は、互いに目配せを交わす。
根回しなし。 補償なし。 公開破棄。
これは前例を作る。
“次は誰が、同じ目に遭う?”
その疑念が、広間に広がる。
王太子はなお、白衣の少女の手を取る。
リュシエラは、柔らかく微笑んだ。
「殿下は、正しいご決断をなさいました」
その声は優しい。
だが、その言葉が何を意味するのかを理解している者は少ない。
エリシアは最後に振り返らない。
舞踏会の扉が閉じる音が、妙に大きく響いた。
音楽は再開されない。
ざわめきも、すぐには戻らない。
王太子はようやく周囲を見回す。
歓声はない。 祝福もない。
ただ、整えられた沈黙。
それが、貴族社会の最初の返答だった。
リュシエラは、王太子の腕にそっと身を寄せる。
「殿下に従わないものは、いずれ淘汰されますわ」
穏やかな囁き。
王太子は聞き流す。
まだ、何も起きていないと思っている。
だがこの夜、王宮の秩序は静かに軋み始めた。
公開で破られたのは婚約ではない。
貴族界の暗黙のルールだった。
そして、そのルールを軽んじた代償は、ゆっくりと、しかし確実に積み上がっていく。
エリシアは帰路の馬車の中で、窓の外を見つめていた。
「お嬢様……」
侍女が不安げに声をかける。
「心配はいりません」
彼女は穏やかに答える。
「契約が終わっただけですわ」
その声音に揺らぎはない。
失ったものよりも、これから整理すべきものの方が明確だった。
王太子は感情を選んだ。
エリシアは秩序を選ぶ。
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