偽王を演じた侯爵令嬢は、名もなき人生を選ぶ」

鷹 綾

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第16話 正義の名を持たぬ者

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第16話 正義の名を持たぬ者

流刑船が港を離れた翌日も、
王都は何事もなかったかのように動いていた。

朝、市場は開き、
昼、役所は書類を回し、
夜、灯りがともる。

王が消え、
王太子が消え、
それでも国は、静かに呼吸を続けている。

それが、
この一連の出来事に対する、
最も冷酷で、最も正確な評価だった。


---

「……想像以上に、平穏ですね」

執務室で、ライアーは窓の外を見ながら言った。

「当然です」

リシュリューは、即座に答える。

「混乱を起こしていたのは、
 制度ではなく、人でした」

「人が消えただけで、
 国が静かになる……」

「それが、
 “王に依存しすぎた国”の末路です」

皮肉でも、非難でもない。
ただの分析だった。


---

宰相主導の合議制は、想像以上に機能していた。

各省は、
責任の所在を明確にされ、
決裁は迅速になり、
無意味な“王の裁量”が消えた。

「……楽になった、という声が多いですね」

「ええ」

リシュリューは、書類をめくる。

「判断基準が、
 “陛下のお気分”から、
 “法と予算”に戻っただけです」

それだけのこと。

だが、それが、
どれほど大きな変化か。


---

数日後。

ライアーは、
完全に政務の場から退いていた。

名目上は、
「退位した国王の近親者としての静養」。

実態は、
誰も彼女を呼ばなかった。

呼ぶ理由が、
なくなったからだ。

(……これでいい)

そう、思える自分に、
少しだけ驚く。


---

ある午後。

ライアーは、
屋敷の庭で、
一人、書簡を読んでいた。

差出人は、
地方の小さな商会。

内容は、簡素だった。

――税制改革により、
――商いが続けられています。
――感謝を。

署名も、飾りもない。

ただ、それだけ。

「……正義、ですか」

彼女は、
紙を折りながら、呟く。

(私は、
 正義の名を振りかざしたわけではない)

(ただ、
 壊れていたものを、
 元に戻しただけ)

それだけで、
これほど多くの人の生活が、
軽くなる。

それが、
何よりも重い現実だった。


---

その夜。

リシュリューが、
最後の報告に訪れた。

「これで、
 あなたに関わる政務は、
 すべて終了です」

「……本当に?」

「ええ」

彼は、
穏やかに頷いた。

「あなたがいなくても、
 国は回る」

「それが、
 一番の成功ですわね」

ライアーは、
静かに微笑んだ。

「……感謝を」

リシュリューは、
一礼した。

「こちらこそ」

そして、
少しだけ間を置いて、
こう続ける。

「あなたは、
 王ではありませんでした」

「はい」

「ですが――」

彼は、
真っ直ぐに彼女を見る。

「誰よりも、
 王の役目を理解していた」

その言葉に、
ライアーは、
何も返さなかった。

返す必要が、
なかったからだ。


---

リシュリューが去った後、
屋敷は、完全な静寂に包まれた。

暖炉の火が、
小さく音を立てる。

「……正義の女神、アストライアー」

ふと、
その名が浮かぶ。

だが、彼女は首を振った。

「違いますわね」

正義の女神は、
天秤を持つ。

罰と裁きを、
与える存在。

「私は、
 ただの――」

言葉を探し、
やめた。

肩書きなど、
もう必要ない。


---

翌朝。

ライアーは、
久しぶりに、
何の予定もない一日を迎えた。

本を読み、
庭を歩き、
紅茶を淹れる。

誰にも命じず、
誰にも命じられない。

その静けさの中で、
彼女は、はっきりと理解していた。

(私は、
 王にならなかった)

(だからこそ、
 王よりも、
 自由だ)

そして――
その自由こそが、
彼女が、
命を懸けて守ったものだった。

偽王の物語は、
すでに終わっている。

残っているのは、
名もなき一人の女性の、
 静かな人生だけだった。
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