17 / 39
第17話 静かな日常という報酬
しおりを挟む
第17話 静かな日常という報酬
朝の光は、相変わらず平等だった。
王宮にも、貧民街にも、
同じ温度で、同じ速さで差し込む。
そして今、ライアーの屋敷の庭にも。
彼女は、白磁のカップを手に、
窓辺の椅子へ腰を下ろしていた。
湯気の立つ紅茶は、
特別高価なものではない。
ただ、香りが素直で、
後味が軽い。
(……よく眠れましたわ)
目覚めた瞬間に、
今日の予定を思い浮かべなくていい。
誰かの機嫌も、
誰かの都合も、
考えなくていい。
それは、
かつて王の顔をしていた日々では、
想像すらできなかった贅沢だった。
---
庭では、庭師が剪定をしている。
「そちら、切りすぎないようにね」
ライアーが声をかけると、
庭師は驚いたように顔を上げ、
すぐに頭を下げた。
「失礼いたしました、侯爵令嬢」
その反応に、
彼女は、ほんの少しだけ眉を下げる。
「……もう少し、
普通で構いませんのに」
庭師は、困ったように笑った。
「それは……難しいですな」
「どうして?」
「あなたは、
国を救ったお方ですから」
ライアーは、
それ以上、何も言わなかった。
(……そう見えるのですね)
彼女自身は、
救ったという感覚を持っていない。
ただ、
壊れていた歯車を、
元の位置に戻しただけ。
だが、人は結果を見る。
過程を知る者は、
もう、ほとんどいない。
---
昼前、
街へ出る用事があった。
簡素な外套を羽織り、
護衛も連れずに馬車に乗る。
王都の通りは、
以前よりも、
確かに賑やかだった。
露店の数が増え、
人々の声が、
少しだけ高い。
「税が減ってから、
仕入れを増やせましてね」
香辛料屋の主人が、
誇らしげに話す。
「前は、
取られる分を考えると、
冒険できなかった」
ライアーは、
ただ頷いて聞いた。
(……冒険)
国を動かす時に、
最も嫌われる言葉。
だが、
市井の人々にとっては、
それが生きる力だった。
---
市場を抜けた帰り道、
小さな孤児院の前で、
足を止める。
壁は古く、
扉も歪んでいる。
だが、
中から聞こえてくる声は、
明るい。
「パンが増えました!」
「おかわり、いいの?」
その声に、
思わず、口元が緩む。
(……これで、いい)
王でなくても、
王の名を使わなくても、
国は、こうして動いている。
それが、
何よりの証明だった。
---
夕方、
屋敷に戻ると、
一通の書簡が届いていた。
差出人は、
見覚えのある筆跡。
――リシュリュー公爵。
内容は、短い。
――合議制は、安定している。
――地方からの不満は、
――制度ではなく、旧習に向けられている。
――あなたの名は、
――必要な時にのみ、使われている。
ライアーは、
静かに紙を折った。
(……それで、十分です)
自分の名が、
政治の道具にならないこと。
それが、
彼女にとっての、
最大の安心だった。
---
夜。
暖炉の火が、
静かに揺れている。
ライアーは、
一冊の本を膝に置いたまま、
読まずにいた。
物語の主人公は、
英雄だった。
王を倒し、
国を救い、
讃えられる存在。
(……私には、向きませんわね)
英雄は、
目立たなければならない。
称賛を、
受け入れなければならない。
彼女が選んだのは、
その逆だ。
誰にも気づかれず、
誰にも縛られず、
ただ、生きる。
それが、
彼女の“報酬”だった。
---
窓の外で、
夜風が木々を揺らす。
星が、
ひとつ、瞬いた。
アストライアー。
正義の名を持つ星。
ライアーは、
その光を見て、
小さく息を吐く。
「……正義、ですか」
呟きは、
夜に溶けた。
正義は、
叫ぶものではない。
掲げるものでもない。
ただ、
静かに続く日常の中で、
“不要になる”こと。
それが、
最も完成された正義なのだと、
彼女は知っていた。
そして、
明日もまた、
予定のない朝が来る。
それ以上の結末を、
彼女は、
望まなかった。
朝の光は、相変わらず平等だった。
王宮にも、貧民街にも、
同じ温度で、同じ速さで差し込む。
そして今、ライアーの屋敷の庭にも。
彼女は、白磁のカップを手に、
窓辺の椅子へ腰を下ろしていた。
湯気の立つ紅茶は、
特別高価なものではない。
ただ、香りが素直で、
後味が軽い。
(……よく眠れましたわ)
目覚めた瞬間に、
今日の予定を思い浮かべなくていい。
誰かの機嫌も、
誰かの都合も、
考えなくていい。
それは、
かつて王の顔をしていた日々では、
想像すらできなかった贅沢だった。
---
庭では、庭師が剪定をしている。
「そちら、切りすぎないようにね」
ライアーが声をかけると、
庭師は驚いたように顔を上げ、
すぐに頭を下げた。
「失礼いたしました、侯爵令嬢」
その反応に、
彼女は、ほんの少しだけ眉を下げる。
「……もう少し、
普通で構いませんのに」
庭師は、困ったように笑った。
「それは……難しいですな」
「どうして?」
「あなたは、
国を救ったお方ですから」
ライアーは、
それ以上、何も言わなかった。
(……そう見えるのですね)
彼女自身は、
救ったという感覚を持っていない。
ただ、
壊れていた歯車を、
元の位置に戻しただけ。
だが、人は結果を見る。
過程を知る者は、
もう、ほとんどいない。
---
昼前、
街へ出る用事があった。
簡素な外套を羽織り、
護衛も連れずに馬車に乗る。
王都の通りは、
以前よりも、
確かに賑やかだった。
露店の数が増え、
人々の声が、
少しだけ高い。
「税が減ってから、
仕入れを増やせましてね」
香辛料屋の主人が、
誇らしげに話す。
「前は、
取られる分を考えると、
冒険できなかった」
ライアーは、
ただ頷いて聞いた。
(……冒険)
国を動かす時に、
最も嫌われる言葉。
だが、
市井の人々にとっては、
それが生きる力だった。
---
市場を抜けた帰り道、
小さな孤児院の前で、
足を止める。
壁は古く、
扉も歪んでいる。
だが、
中から聞こえてくる声は、
明るい。
「パンが増えました!」
「おかわり、いいの?」
その声に、
思わず、口元が緩む。
(……これで、いい)
王でなくても、
王の名を使わなくても、
国は、こうして動いている。
それが、
何よりの証明だった。
---
夕方、
屋敷に戻ると、
一通の書簡が届いていた。
差出人は、
見覚えのある筆跡。
――リシュリュー公爵。
内容は、短い。
――合議制は、安定している。
――地方からの不満は、
――制度ではなく、旧習に向けられている。
――あなたの名は、
――必要な時にのみ、使われている。
ライアーは、
静かに紙を折った。
(……それで、十分です)
自分の名が、
政治の道具にならないこと。
それが、
彼女にとっての、
最大の安心だった。
---
夜。
暖炉の火が、
静かに揺れている。
ライアーは、
一冊の本を膝に置いたまま、
読まずにいた。
物語の主人公は、
英雄だった。
王を倒し、
国を救い、
讃えられる存在。
(……私には、向きませんわね)
英雄は、
目立たなければならない。
称賛を、
受け入れなければならない。
彼女が選んだのは、
その逆だ。
誰にも気づかれず、
誰にも縛られず、
ただ、生きる。
それが、
彼女の“報酬”だった。
---
窓の外で、
夜風が木々を揺らす。
星が、
ひとつ、瞬いた。
アストライアー。
正義の名を持つ星。
ライアーは、
その光を見て、
小さく息を吐く。
「……正義、ですか」
呟きは、
夜に溶けた。
正義は、
叫ぶものではない。
掲げるものでもない。
ただ、
静かに続く日常の中で、
“不要になる”こと。
それが、
最も完成された正義なのだと、
彼女は知っていた。
そして、
明日もまた、
予定のない朝が来る。
それ以上の結末を、
彼女は、
望まなかった。
0
あなたにおすすめの小説
婚約者が妹と結婚したいと言ってきたので、私は身を引こうと決めました
日下奈緒
恋愛
アーリンは皇太子・クリフと婚約をし幸せな生活をしていた。
だがある日、クリフが妹のセシリーと結婚したいと言ってきた。
もしかして、婚約破棄⁉
訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果
柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。
彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。
しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。
「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」
逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。
あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。
しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。
気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……?
虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。
※小説家になろうに重複投稿しています。
報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜
矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』
彼はいつだって誠実な婚約者だった。
嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。
『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』
『……分かりました、ロイド様』
私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。
結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。
なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。
※この作品の設定は架空のものです。
※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。
他の人を好きになったあなたを、私は愛することができません
天宮有
恋愛
公爵令嬢の私シーラの婚約者レヴォク第二王子が、伯爵令嬢ソフィーを好きになった。
第三王子ゼロアから聞いていたけど、私はレヴォクを信じてしまった。
その結果レヴォクに協力した国王に冤罪をかけられて、私は婚約破棄と国外追放を言い渡されてしまう。
追放された私は他国に行き、数日後ゼロアと再会する。
ゼロアは私を追放した国王を嫌い、国を捨てたようだ。
私はゼロアと新しい生活を送って――元婚約者レヴォクは、後悔することとなる。
覚悟はありますか?
翔王(とわ)
恋愛
私は王太子の婚約者として10年以上すぎ、王太子妃教育も終わり、学園卒業後に結婚し王妃教育が始まる間近に1人の令嬢が発した言葉で王族貴族社会が荒れた……。
「あたし、王太子妃になりたいんですぅ。」
ご都合主義な創作作品です。
異世界版ギャル風な感じの話し方も混じりますのでご了承ください。
恋愛カテゴリーにしてますが、恋愛要素は薄めです。
有能婚約者を捨てた王子は、幼馴染との真実の愛に目覚めたらしい
マルローネ
恋愛
サンマルト王国の王子殿下のフリックは公爵令嬢のエリザに婚約破棄を言い渡した。
理由は幼馴染との「真実の愛」に目覚めたからだ。
エリザの言い分は一切聞いてもらえず、彼に誠心誠意尽くしてきた彼女は悲しんでしまう。
フリックは幼馴染のシャーリーと婚約をすることになるが、彼は今まで、どれだけエリザにサポートしてもらっていたのかを思い知ることになってしまう。一人でなんでもこなせる自信を持っていたが、地の底に落ちてしまうのだった。
一方、エリザはフリックを完璧にサポートし、その態度に感銘を受けていた第一王子殿下に求婚されることになり……。
【完結済】自由に生きたいあなたの愛を期待するのはもうやめました
鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
伯爵令嬢クラウディア・マクラウドは長年の婚約者であるダミアン・ウィルコックス伯爵令息のことを大切に想っていた。結婚したら彼と二人で愛のある家庭を築きたいと夢見ていた。
ところが新婚初夜、ダミアンは言った。
「俺たちはまるっきり愛のない政略結婚をしたわけだ。まぁ仕方ない。あとは割り切って互いに自由に生きようじゃないか。」
そう言って愛人らとともに自由に過ごしはじめたダミアン。激しくショックを受けるクラウディアだったが、それでもひたむきにダミアンに尽くし、少しずつでも自分に振り向いて欲しいと願っていた。
しかしそんなクラウディアの思いをことごとく裏切り、鼻で笑うダミアン。
心が折れそうなクラウディアはそんな時、王国騎士団の騎士となった友人アーネスト・グレアム侯爵令息と再会する。
初恋の相手であるクラウディアの不幸せそうな様子を見て、どうにかダミアンから奪ってでも自分の手で幸せにしたいと考えるアーネスト。
そんなアーネストと次第に親密になり自分から心が離れていくクラウディアの様子を見て、急に焦り始めたダミアンは─────
(※※夫が酷い男なので序盤の数話は暗い話ですが、アーネストが出てきてからはわりとラブコメ風です。)(※※この物語の世界は作者独自の設定です。)
【 完結 】「婚約破棄」されましたので、恥ずかしいから帰っても良いですか?
しずもり
恋愛
ミレーヌはガルド国のシルフィード公爵令嬢で、この国の第一王子アルフリートの婚約者だ。いや、もう元婚約者なのかも知れない。
王立学園の卒業パーティーが始まる寸前で『婚約破棄』を宣言されてしまったからだ。アルフリートの隣にはピンクの髪の美少女を寄り添わせて、宣言されたその言葉にミレーヌが悲しむ事は無かった。それよりも彼女の心を占めていた感情はー。
恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい!!
ミレーヌは恥ずかしかった。今すぐにでも気を失いたかった。
この国で、学園で、知っていなければならない、知っている筈のアレを、第一王子たちはいつ気付くのか。
孤軍奮闘のミレーヌと愉快な王子とお馬鹿さんたちのちょっと変わった断罪劇です。
なんちゃって異世界のお話です。
時代考証など皆無の緩い設定で、殆どを現代風の口調、言葉で書いています。
HOT2位 &人気ランキング 3位になりました。(2/24)
数ある作品の中で興味を持って下さりありがとうございました。
*国の名前をオレーヌからガルドに変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる