偽王を演じた侯爵令嬢は、名もなき人生を選ぶ」

鷹 綾

文字の大きさ
18 / 39

第18話 名を残さぬ選択

しおりを挟む
第18話 名を残さぬ選択

王都に、特別な出来事は起きなかった。

それが、何よりの出来事だった。

季節は移ろい、
街路樹の葉が色づき始める。
人々は、変化に慣れ、
やがて――
変化があったことすら、
口にしなくなっていった。


---

ある日、
ライアーは、久しぶりに王宮を訪れた。

理由は、ただ一つ。
形式的な書類の整理だ。

退位後も残っていた、
王名義で発布された命令や、
一時的な裁量権の処理。

それらを、
完全に“過去”にするため。

王宮の回廊は、
相変わらず静かだった。

だが、
以前と違うのは、
空気の軽さだ。

「……お久しゅうございます」

書記官が、
戸惑いながら声をかけてくる。

「お元気そうで」

「ええ」

ライアーは、
それ以上の会話を求めなかった。

彼女は、
ここに戻ってきたわけではない。
ただ、
片付けに来ただけだ。


---

書庫の一角。

リシュリュー公爵が、
すでに待っていた。

「必要な署名は、
 これで最後です」

差し出された書類に、
ライアーは目を通す。

――王位空席期間中に発布された命令は、
――すべて、合議制による正式決定として再承認される。

「……私の名は?」

「載りません」

即答だった。

「“国王”という肩書きのみ。
 個人名は、不要です」

ライアーは、
その文言に、静かに頷いた。

「それで、いい」

むしろ、
それが望みだった。


---

署名を終え、
書類を返す。

その一連の動作は、
あまりにも淡々としていて、
一瞬、
ここが歴史の分岐点であったことを、
忘れそうになる。

「……記録には、
 どう残るのでしょう」

ふと、
ライアーが問いかけた。

リシュリューは、
少し考えてから答える。

「“愚王が退き、
 国が持ち直した時期”」

「私の名は?」

「記されません」

「……そう」

彼女は、
満足そうに目を伏せた。

(英雄の名が残る国は、
 英雄が必要な国)

(名が残らない国は、
 それだけ、
 健全だということ)


---

王宮を出るとき、
背後から声がかかった。

「……陛下」

反射的に、
足を止める。

振り返ると、
若い近侍が立っていた。

彼は、
慌てて言い直す。

「い、いえ……
 失礼いたしました」

ライアーは、
微笑んだ。

「気にしないで」

「ですが……」

近侍は、
言葉を探す。

「どうして、
 何も残さなかったのですか?」

称号も。
栄誉も。
記念碑も。

ライアーは、
少しだけ考え、
答えた。

「残す必要が、
 なかったからですわ」

それだけだった。


---

馬車に乗り、
王都を離れる。

車輪の音が、
規則正しく響く。

「……これで、
 本当に終わりですね」

誰に向けるでもなく、
小さく呟く。

返事は、ない。

だが、
胸の内に、
静かな確信があった。


---

屋敷に戻ると、
庭では子どもたちの笑い声がしていた。

近隣の孤児院から、
遊びに来ているらしい。

「こんにちは!」

一人が、
元気よく手を振る。

ライアーは、
同じように手を振り返した。

(……これでいい)

名を残さなくても、
歴史に刻まれなくても。

誰かの日常が、
続いていくなら。


---

夜。

机の上には、
白紙の紙が一枚。

彼女は、
そこに何も書かず、
ただ、眺めていた。

物語は、
書かれなければ、
終わる。

書かなければ、
続かない。

「……もう、
 十分ですわ」

紙を折り、
引き出しにしまう。

灯りを落とし、
ベッドに横になる。

窓の外、
星が、
変わらず瞬いている。

アストライアー。
正義の名を持つ星。

だが、
今夜の彼女は、
その名を呼ばなかった。

必要なくなったものを、
手放すこと。

それこそが、
彼女が選んだ、
最後の統治だった。

そして――
物語は、
静かに、
幕を下ろしていく。

だが、
人生は、
まだ、続いている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約者が妹と結婚したいと言ってきたので、私は身を引こうと決めました

日下奈緒
恋愛
アーリンは皇太子・クリフと婚約をし幸せな生活をしていた。 だがある日、クリフが妹のセシリーと結婚したいと言ってきた。 もしかして、婚約破棄⁉

訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果

柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。 彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。 しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。 「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」 逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。 あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。 しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。 気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……? 虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。 ※小説家になろうに重複投稿しています。

報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜

矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』 彼はいつだって誠実な婚約者だった。 嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。 『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』 『……分かりました、ロイド様』 私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。 結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。 なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。

他の人を好きになったあなたを、私は愛することができません

天宮有
恋愛
 公爵令嬢の私シーラの婚約者レヴォク第二王子が、伯爵令嬢ソフィーを好きになった。    第三王子ゼロアから聞いていたけど、私はレヴォクを信じてしまった。  その結果レヴォクに協力した国王に冤罪をかけられて、私は婚約破棄と国外追放を言い渡されてしまう。  追放された私は他国に行き、数日後ゼロアと再会する。  ゼロアは私を追放した国王を嫌い、国を捨てたようだ。  私はゼロアと新しい生活を送って――元婚約者レヴォクは、後悔することとなる。

覚悟はありますか?

翔王(とわ)
恋愛
私は王太子の婚約者として10年以上すぎ、王太子妃教育も終わり、学園卒業後に結婚し王妃教育が始まる間近に1人の令嬢が発した言葉で王族貴族社会が荒れた……。 「あたし、王太子妃になりたいんですぅ。」 ご都合主義な創作作品です。 異世界版ギャル風な感じの話し方も混じりますのでご了承ください。 恋愛カテゴリーにしてますが、恋愛要素は薄めです。

有能婚約者を捨てた王子は、幼馴染との真実の愛に目覚めたらしい

マルローネ
恋愛
サンマルト王国の王子殿下のフリックは公爵令嬢のエリザに婚約破棄を言い渡した。 理由は幼馴染との「真実の愛」に目覚めたからだ。 エリザの言い分は一切聞いてもらえず、彼に誠心誠意尽くしてきた彼女は悲しんでしまう。 フリックは幼馴染のシャーリーと婚約をすることになるが、彼は今まで、どれだけエリザにサポートしてもらっていたのかを思い知ることになってしまう。一人でなんでもこなせる自信を持っていたが、地の底に落ちてしまうのだった。 一方、エリザはフリックを完璧にサポートし、その態度に感銘を受けていた第一王子殿下に求婚されることになり……。

【完結済】自由に生きたいあなたの愛を期待するのはもうやめました

鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
 伯爵令嬢クラウディア・マクラウドは長年の婚約者であるダミアン・ウィルコックス伯爵令息のことを大切に想っていた。結婚したら彼と二人で愛のある家庭を築きたいと夢見ていた。  ところが新婚初夜、ダミアンは言った。 「俺たちはまるっきり愛のない政略結婚をしたわけだ。まぁ仕方ない。あとは割り切って互いに自由に生きようじゃないか。」  そう言って愛人らとともに自由に過ごしはじめたダミアン。激しくショックを受けるクラウディアだったが、それでもひたむきにダミアンに尽くし、少しずつでも自分に振り向いて欲しいと願っていた。  しかしそんなクラウディアの思いをことごとく裏切り、鼻で笑うダミアン。  心が折れそうなクラウディアはそんな時、王国騎士団の騎士となった友人アーネスト・グレアム侯爵令息と再会する。  初恋の相手であるクラウディアの不幸せそうな様子を見て、どうにかダミアンから奪ってでも自分の手で幸せにしたいと考えるアーネスト。  そんなアーネストと次第に親密になり自分から心が離れていくクラウディアの様子を見て、急に焦り始めたダミアンは───── (※※夫が酷い男なので序盤の数話は暗い話ですが、アーネストが出てきてからはわりとラブコメ風です。)(※※この物語の世界は作者独自の設定です。)

【 完結 】「婚約破棄」されましたので、恥ずかしいから帰っても良いですか?

しずもり
恋愛
ミレーヌはガルド国のシルフィード公爵令嬢で、この国の第一王子アルフリートの婚約者だ。いや、もう元婚約者なのかも知れない。 王立学園の卒業パーティーが始まる寸前で『婚約破棄』を宣言されてしまったからだ。アルフリートの隣にはピンクの髪の美少女を寄り添わせて、宣言されたその言葉にミレーヌが悲しむ事は無かった。それよりも彼女の心を占めていた感情はー。 恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい!! ミレーヌは恥ずかしかった。今すぐにでも気を失いたかった。 この国で、学園で、知っていなければならない、知っている筈のアレを、第一王子たちはいつ気付くのか。 孤軍奮闘のミレーヌと愉快な王子とお馬鹿さんたちのちょっと変わった断罪劇です。 なんちゃって異世界のお話です。 時代考証など皆無の緩い設定で、殆どを現代風の口調、言葉で書いています。 HOT2位 &人気ランキング 3位になりました。(2/24) 数ある作品の中で興味を持って下さりありがとうございました。 *国の名前をオレーヌからガルドに変更しました。

処理中です...