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第18話 名を残さぬ選択
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第18話 名を残さぬ選択
王都に、特別な出来事は起きなかった。
それが、何よりの出来事だった。
季節は移ろい、
街路樹の葉が色づき始める。
人々は、変化に慣れ、
やがて――
変化があったことすら、
口にしなくなっていった。
---
ある日、
ライアーは、久しぶりに王宮を訪れた。
理由は、ただ一つ。
形式的な書類の整理だ。
退位後も残っていた、
王名義で発布された命令や、
一時的な裁量権の処理。
それらを、
完全に“過去”にするため。
王宮の回廊は、
相変わらず静かだった。
だが、
以前と違うのは、
空気の軽さだ。
「……お久しゅうございます」
書記官が、
戸惑いながら声をかけてくる。
「お元気そうで」
「ええ」
ライアーは、
それ以上の会話を求めなかった。
彼女は、
ここに戻ってきたわけではない。
ただ、
片付けに来ただけだ。
---
書庫の一角。
リシュリュー公爵が、
すでに待っていた。
「必要な署名は、
これで最後です」
差し出された書類に、
ライアーは目を通す。
――王位空席期間中に発布された命令は、
――すべて、合議制による正式決定として再承認される。
「……私の名は?」
「載りません」
即答だった。
「“国王”という肩書きのみ。
個人名は、不要です」
ライアーは、
その文言に、静かに頷いた。
「それで、いい」
むしろ、
それが望みだった。
---
署名を終え、
書類を返す。
その一連の動作は、
あまりにも淡々としていて、
一瞬、
ここが歴史の分岐点であったことを、
忘れそうになる。
「……記録には、
どう残るのでしょう」
ふと、
ライアーが問いかけた。
リシュリューは、
少し考えてから答える。
「“愚王が退き、
国が持ち直した時期”」
「私の名は?」
「記されません」
「……そう」
彼女は、
満足そうに目を伏せた。
(英雄の名が残る国は、
英雄が必要な国)
(名が残らない国は、
それだけ、
健全だということ)
---
王宮を出るとき、
背後から声がかかった。
「……陛下」
反射的に、
足を止める。
振り返ると、
若い近侍が立っていた。
彼は、
慌てて言い直す。
「い、いえ……
失礼いたしました」
ライアーは、
微笑んだ。
「気にしないで」
「ですが……」
近侍は、
言葉を探す。
「どうして、
何も残さなかったのですか?」
称号も。
栄誉も。
記念碑も。
ライアーは、
少しだけ考え、
答えた。
「残す必要が、
なかったからですわ」
それだけだった。
---
馬車に乗り、
王都を離れる。
車輪の音が、
規則正しく響く。
「……これで、
本当に終わりですね」
誰に向けるでもなく、
小さく呟く。
返事は、ない。
だが、
胸の内に、
静かな確信があった。
---
屋敷に戻ると、
庭では子どもたちの笑い声がしていた。
近隣の孤児院から、
遊びに来ているらしい。
「こんにちは!」
一人が、
元気よく手を振る。
ライアーは、
同じように手を振り返した。
(……これでいい)
名を残さなくても、
歴史に刻まれなくても。
誰かの日常が、
続いていくなら。
---
夜。
机の上には、
白紙の紙が一枚。
彼女は、
そこに何も書かず、
ただ、眺めていた。
物語は、
書かれなければ、
終わる。
書かなければ、
続かない。
「……もう、
十分ですわ」
紙を折り、
引き出しにしまう。
灯りを落とし、
ベッドに横になる。
窓の外、
星が、
変わらず瞬いている。
アストライアー。
正義の名を持つ星。
だが、
今夜の彼女は、
その名を呼ばなかった。
必要なくなったものを、
手放すこと。
それこそが、
彼女が選んだ、
最後の統治だった。
そして――
物語は、
静かに、
幕を下ろしていく。
だが、
人生は、
まだ、続いている。
王都に、特別な出来事は起きなかった。
それが、何よりの出来事だった。
季節は移ろい、
街路樹の葉が色づき始める。
人々は、変化に慣れ、
やがて――
変化があったことすら、
口にしなくなっていった。
---
ある日、
ライアーは、久しぶりに王宮を訪れた。
理由は、ただ一つ。
形式的な書類の整理だ。
退位後も残っていた、
王名義で発布された命令や、
一時的な裁量権の処理。
それらを、
完全に“過去”にするため。
王宮の回廊は、
相変わらず静かだった。
だが、
以前と違うのは、
空気の軽さだ。
「……お久しゅうございます」
書記官が、
戸惑いながら声をかけてくる。
「お元気そうで」
「ええ」
ライアーは、
それ以上の会話を求めなかった。
彼女は、
ここに戻ってきたわけではない。
ただ、
片付けに来ただけだ。
---
書庫の一角。
リシュリュー公爵が、
すでに待っていた。
「必要な署名は、
これで最後です」
差し出された書類に、
ライアーは目を通す。
――王位空席期間中に発布された命令は、
――すべて、合議制による正式決定として再承認される。
「……私の名は?」
「載りません」
即答だった。
「“国王”という肩書きのみ。
個人名は、不要です」
ライアーは、
その文言に、静かに頷いた。
「それで、いい」
むしろ、
それが望みだった。
---
署名を終え、
書類を返す。
その一連の動作は、
あまりにも淡々としていて、
一瞬、
ここが歴史の分岐点であったことを、
忘れそうになる。
「……記録には、
どう残るのでしょう」
ふと、
ライアーが問いかけた。
リシュリューは、
少し考えてから答える。
「“愚王が退き、
国が持ち直した時期”」
「私の名は?」
「記されません」
「……そう」
彼女は、
満足そうに目を伏せた。
(英雄の名が残る国は、
英雄が必要な国)
(名が残らない国は、
それだけ、
健全だということ)
---
王宮を出るとき、
背後から声がかかった。
「……陛下」
反射的に、
足を止める。
振り返ると、
若い近侍が立っていた。
彼は、
慌てて言い直す。
「い、いえ……
失礼いたしました」
ライアーは、
微笑んだ。
「気にしないで」
「ですが……」
近侍は、
言葉を探す。
「どうして、
何も残さなかったのですか?」
称号も。
栄誉も。
記念碑も。
ライアーは、
少しだけ考え、
答えた。
「残す必要が、
なかったからですわ」
それだけだった。
---
馬車に乗り、
王都を離れる。
車輪の音が、
規則正しく響く。
「……これで、
本当に終わりですね」
誰に向けるでもなく、
小さく呟く。
返事は、ない。
だが、
胸の内に、
静かな確信があった。
---
屋敷に戻ると、
庭では子どもたちの笑い声がしていた。
近隣の孤児院から、
遊びに来ているらしい。
「こんにちは!」
一人が、
元気よく手を振る。
ライアーは、
同じように手を振り返した。
(……これでいい)
名を残さなくても、
歴史に刻まれなくても。
誰かの日常が、
続いていくなら。
---
夜。
机の上には、
白紙の紙が一枚。
彼女は、
そこに何も書かず、
ただ、眺めていた。
物語は、
書かれなければ、
終わる。
書かなければ、
続かない。
「……もう、
十分ですわ」
紙を折り、
引き出しにしまう。
灯りを落とし、
ベッドに横になる。
窓の外、
星が、
変わらず瞬いている。
アストライアー。
正義の名を持つ星。
だが、
今夜の彼女は、
その名を呼ばなかった。
必要なくなったものを、
手放すこと。
それこそが、
彼女が選んだ、
最後の統治だった。
そして――
物語は、
静かに、
幕を下ろしていく。
だが、
人生は、
まだ、続いている。
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