偽王を演じた侯爵令嬢は、名もなき人生を選ぶ」

鷹 綾

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第19話 噂が神話になるまで

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第19話 噂が神話になるまで

時間は、残酷なほどに公平だった。

王が消えたことも、
王太子が消えたことも、
流刑地で「自分こそ本物だ」と叫び続ける男がいることも――
すべて、等しく風化させていく。

それが、時間の力だ。


---

王都では、
新しい世代の官僚たちが育ち始めていた。

彼らにとって、
「ロネ国王」も、
「王太子オレン」も、
教本の片隅に出てくる名前でしかない。

「昔、税率が八割だった時代があったらしい」
「信じられませんね」
「今なら、暴動ものです」

そんな会話が、
平然と交わされる。

それは、
“二度と戻らない”という確信の裏返しだった。


---

一方で、
奇妙な噂が、
ゆっくりと形を変え始めていた。

「聞いたか?」
「何を?」
「昔、
 たった一人で王を追い出した女がいたらしい」

「女?」
「そう。
 名前も、身分も不明」

「英雄譚か?」
「いや……
 王にならなかった英雄、だとか」

話は、
酒場から酒場へ、
形を変えながら広がっていく。

「国を救ったのに、
 何も求めなかった」
「名前を残すのを拒んだ」
「だから、
 誰も正体を知らない」

それは、
事実とは、少し違う。

だが――
嘘でもない。


---

ライアーは、
そうした噂を、
遠くで聞いていた。

直接、耳に入ることはない。
だが、
風の向きで、
なんとなく分かる。

(……神話になり始めている)

人は、
理解できない現実を、
物語に変える。

名を残さなかった存在は、
やがて――
“名を持たない存在”として、
語られる。

それは、
彼女が望んだ結末とは、
少しだけ違っていた。


---

ある午後。

ライアーは、
リシュリューからの最後の書簡を受け取った。

内容は、
極めて事務的だ。

――王位を空席とする体制は、
――正式に制度化された。
――将来、必要が生じた場合のみ、
――合議により後継を選出する。

追伸のように、
短い一文が添えられていた。

――あなたの名は、
――どこにも残っていない。

ライアーは、
その一文を、
何度も読み返した。

(……よかった)

胸の奥で、
小さく、
確かに安堵する。

神話になっても、
名前がなければ、
追われることはない。


---

その夜。

彼女は、
久しぶりに夢を見た。

玉座に座る夢でも、
裁きを下す夢でもない。

ただ、
長い回廊を歩き、
扉を開け、
外へ出る夢。

外には、
人々の生活が広がっている。

誰も、
彼女を見ない。
誰も、
彼女を知らない。

それが、
ひどく心地よかった。


---

翌朝。

ライアーは、
目を覚ますと、
窓を開けた。

冷たい空気が、
肺に入る。

「……噂は、
 勝手に生まれるものですわね」

独り言は、
風に流れた。

神話が生まれても、
彼女は、
その外側にいる。

英雄にならなかった女。
王にならなかった偽王。

「……それで、いい」

静かに、
そう言って、
紅茶を淹れる。


---

遠い流刑地では、
今日も誰かが叫んでいる。

「余こそが、
 本物の国王だ!」

だが、
それを聞く者は、
もういない。

声は、
荒野に溶け、
風に消える。

そして――
人々が語るのは、
名を持たない“女”の噂だけ。

それが、
皮肉で、
そして、
最も平和な結末だった。

ライアー・ユースティティアは、
その中心には、
いなかった。

それこそが、
彼女が勝ち取った、
本当の自由だった。
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