偽王を演じた侯爵令嬢は、名もなき人生を選ぶ」

鷹 綾

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第25話 名前を持たない未来

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第25話 名前を持たない未来

春は、
いつの間にか来ていた。

雪解け水が、
王都の石畳を洗い、
市場には、
新しい野菜が並び始める。

変わったのは、
季節だけではない。

人々の会話から、
「王」という言葉が、
少しずつ消えていった。


---

「今月の税、
 こんなに軽かったか?」

「去年より、
 ずいぶん楽だな」

「役所の手続きも、
 早くなった」

理由を、
誰も深く考えない。

結果だけが、
そこにあった。


---

ライアーは、
朝の市場を歩いていた。

特別な装いはしない。
名を名乗ることもない。

ただの、
一人の女性として。

「……卵を一籠、くださいな」

「はいよ」

店主は、
彼女を一瞬見て、
首を傾げる。

「……どこかで、
 お会いしましたかね?」

ライアーは、
微笑んだ。

「さあ。
 人違いでは?」

「そうかい。
 失礼」

それで終わり。

それが、
彼女の望んだ距離だった。


---

屋敷に戻ると、
リシュリューからの書簡が届いていた。

――合議制は、
――完全に日常へ溶け込んだ。
――“王の判断”を求める声は、
――ほぼ消滅。

追記。

――あなたの名を尋ねる者も、
――いなくなった。

ライアーは、
書簡を畳み、
机の引き出しにしまう。

(……これで、
 本当に終わった)

胸に広がるのは、
安堵と、
ほんのわずかな空白。


---

午後。

彼女は、
孤児院を訪れていた。

以前より、
建物は整い、
食事の匂いがする。

「今日は、
 パンが白い!」

子どもたちが、
無邪気に喜ぶ。

ライアーは、
その様子を眺めながら、
静かに思う。

(この子たちは、
 王の名を知らずに育つ)

それは、
祝福だ。


---

帰り道。

小さな橋の上で、
立ち止まる。

水面に映る、
自分の顔。

そこには、
王の影も、
偽王の名残もない。

「……私は、
 何者なのでしょうね」

問いは、
誰にも向けられていない。

答えも、
もう必要なかった。


---

夜。

書斎で、
白紙の帳面を開く。

何かを書くつもりは、
ない。

ただ、
未来が白紙であることを、
確認したかっただけ。

英雄譚も、
罪状も、
ここには書かれない。

「……名前を持たない未来」

そう呟いて、
帳面を閉じる。


---

窓の外。

夜風が、
新緑を揺らす。

星は、
変わらず輝いている。

アストライアー。
正義の名を持つ星。

だが、
今の彼女は、
その名を借りない。

正義は、
終わったからだ。

残ったのは、
穏やかな明日。

名も、
称号も、
必要としない日々。

ライアー・ユースティティアは、
その中へ、
静かに歩み出していった。

物語は、
もう、
彼女を追わない。

それで――
すべてが、
正しく終わった。
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