偽王を演じた侯爵令嬢は、名もなき人生を選ぶ」

鷹 綾

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第26話 何者でもない日

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第26話 何者でもない日

朝は、
理由もなく訪れる。

目覚ましも、
予定表も、
呼び出しの使者もない。

それでも、
朝日は等しく差し込む。

ライアーは、
少しだけ遅く目を覚ました。

「……静かですわね」

それは、
不安ではなく、
確認の言葉だった。


---

台所で湯を沸かし、
自分で紅茶を淹れる。

使用人に任せれば早い。
だが、
今はそうしない。

茶葉の量を迷い、
湯の温度を確かめ、
香りが立つのを待つ。

(……こういう時間が、
 欲しかった)

国王を演じていた頃、
一杯の茶でさえ、
誰かの判断と、
誰かの承認が必要だった。


---

昼前、
庭の手入れを手伝う。

土に触れ、
枝を拾い、
花の向きを直す。

「侯爵令嬢、
 そんなことまで……」

庭師が、
慌てて止めようとする。

「いいのですわ」

ライアーは、
軽く首を振る。

「これは、
 私の庭ですもの」

その言葉に、
庭師は、
何も言えなくなった。


---

昼食は、
簡素なスープ。

派手な料理はない。
だが、
腹も、
心も満たされる。

(贅沢とは、
 選べること)

それを、
ようやく理解できた気がした。


---

午後。

街へ出る。

目的はない。
用事もない。

ただ、
歩くために歩く。

道具屋の前で足を止め、
布地を眺め、
パン屋の香りに、
少しだけ立ち止まる。

「試食します?」

店主が、
気軽に声をかける。

「……いただけるの?」

「もちろん」

一口かじると、
まだ温かい。

「美味しいですわ」

それだけで、
店主は笑った。


---

(……知られていない)

その事実が、
胸を軽くする。

名前を呼ばれず、
役割を期待されず、
判断を求められない。

ただの、
通りすがり。


---

夕方、
橋の上で風に吹かれる。

川は、
変わらず流れている。

王がいようと、
いまいと。

偽王が消えようと、
消えまいと。

「……私がいなくても、
 世界は回る」

それは、
冷たい事実ではない。

むしろ、
優しい現実だった。


---

夜。

部屋に戻り、
灯りを落とす。

本を一冊、
枕元に置く。

最後まで読む必要はない。
眠くなったら、
閉じればいい。

誰にも、
叱られない。

「……何者でもない日」

小さく呟き、
目を閉じる。


---

夢は、
見なかった。

あるいは、
覚えていないだけかもしれない。

だが、
それでいい。

物語の続きは、
必要ない。

ライアー・ユースティティアは、
この日を、
ただの一日として終えた。

英雄でも、
罪人でもない。

何者でもない日。

それは、
彼女が選び、
最後に辿り着いた、
最も穏やかな到達点だった。
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