偽王を演じた侯爵令嬢は、名もなき人生を選ぶ」

鷹 綾

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第31話 名もなき朝の選択

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第31話 名もなき朝の選択

朝は、
いつもより少し早く来た。

理由はない。
目覚めただけだ。

ライアーは、
窓を開け、
空気を吸い込む。

夏の匂いが、
確かにした。

(……今日も、
 何も起きない)

それは、
安堵であり、
確認だった。


---

台所で、
パンを切る。

刃の音が、
静かに響く。

「……切りすぎましたわね」

少し不格好な断面を見て、
思わず笑う。

失敗しても、
誰にも叱られない。
誰にも報告しなくていい。

(……自由とは、
 こういうこと)


---

昼前、
庭の隅で、
小さな修繕をする。

古い椅子の脚が、
少し緩んでいた。

釘を打ち直し、
布を張り替える。

王宮では、
決してやらなかったこと。

だが、
今は、それが楽しい。


---

午後、
街へ出る。

目的は、
決めていない。

本屋の前で立ち止まり、
背表紙を眺める。

「どれか、
 お探しで?」

店主が声をかける。

「いいえ。
 探してはいませんの」

「……珍しいですね」

「ええ。
 だから、
 楽しいのです」

店主は、
首を傾げながら笑った。


---

一冊、
薄い詩集を手に取る。

英雄も、
王も出てこない。

ただ、
朝と、
風と、
人の心。

(……今の私に、
 ちょうどいい)


---

夕方。

橋の上で、
足を止める。

川は、
今日も流れている。

王の時代も、
偽王の時代も、
影の助言者の時代も。

(……全部、
 過去)

そう、
自然に思えた。


---

夜。

詩集を読み、
途中で閉じる。

眠くなったから。

栞を挟む。

続きを、
いつ読むかは、
決めない。

決めないことが、
選択になる。


---

布団に入り、
目を閉じる。

今日は、
誰も救っていない。
誰も裁いていない。

だが、
それでいい。

名もなき朝に、
名もなき選択をする。

それだけで、
人生は、
確かに前へ進む。

ライアー・ユースティティアは、
この日を、
ただの一日として終えた。

そして――
その積み重ねこそが、
彼女が最後に選んだ、
本当の未来だった。
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