偽王を演じた侯爵令嬢は、名もなき人生を選ぶ」

鷹 綾

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第40話 王ではなく、わたしとして

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第40話 王ではなく、わたしとして

朝は、
いつもと変わらず訪れた。

霧が畑に薄く降り、
鳥が鳴き、
誰かが戸を開ける音がする。

それだけの朝。

だが、
ライアーは、
その「それだけ」に、
確かな終わりを感じていた。


---

家の前で、
ミアが立っていた。

「おはよう、ライさん」

「おはよう」

「……今日、
 旅立つ?」

その問いは、
昨日までとは違って聞こえた。

引き留めでも、
催促でもない。

ただ、
知りたいだけの声。

ライアーは、
少しだけ考え、
首を振った。

「いいえ」

「じゃあ?」

「……ここに、
 います」

ミアは、
少し目を見開き、
それから笑った。

「そっか」

それ以上、
何も言わない。

それで、
十分だった。


---

昼前、
畑に出る。

鍬を振るう動作も、
昨日より少しだけ慣れている。

土は、
裏切らない。

力を入れれば、
応えてくれる。

王宮で扱っていたのは、
言葉と人心だった。

どれほど慎重でも、
裏切られる可能性があった。

(……今は、
 分かりやすい)

汗をかき、
息を整え、
また動く。

それだけ。


---

昼休み。

木陰で、
皆とパンを分け合う。

誰かが言う。

「ライは、
 頭がいいな」

「そうか?」

「うん。
 でも、
 偉そうじゃない」

笑いが起こる。

ライアーは、
思わず苦笑した。

(……もし、
 本当のことを知ったら)

国を動かし、
王と王太子を流刑に送り、
税制を根こそぎ変えた女だと知ったら。

だが、
言うつもりはなかった。

(……それは、
 もう終わった役目)


---

午後、
一人で川辺に向かう。

水は、
静かに流れている。

流刑地へ送られた、
二人の男を思い出す。

ロネ国王。
オレン王太子。

かつて、
自分を縛り、
国を食い潰しかけた存在。

(……恨みは、
 もうない)

彼らは、
裁かれた。

それは、
復讐ではない。

ただ、
責任を取らせただけ。

それ以上でも、
以下でもない。


---

川面に映る、
自分の顔を見る。

王の顔ではない。
偽王の顔でもない。

少し日に焼け、
穏やかな目をした女。

「……王太子妃には、
 向いてなかったけど」

小さく、
笑う。

「国王にも、
 向いてなかったみたいですわ」

だが――

「……人として生きるのには、
 向いていたみたい」

それが、
今なら分かる。


---

夕方。

村の集会所で、
小さな話し合いが行われる。

次の季節の作付け。
水の配分。
道の補修。

ライアーは、
意見を求められる。

だが、
最終的に決めるのは、
村の人々だ。

(……この距離感)

命令しない。
従わせない。

それが、
どれほど健全か。


---

夜。

焚き火の前で、
皆が語らう。

誰かが言う。

「ライは、
 この村の人だな」

別の者が、
頷く。

「そうだな」

その言葉に、
胸が静かに震えた。

(……帰属)

それは、
血筋でも、
地位でもない。

「ここにいていい」と
認められること。


---

部屋に戻り、
灯りを落とす。

鞄は、
もう片隅に置いたままだ。

いつでも旅立てる。
だが、
今はその必要がない。

(……私は、
 王にならなかった)

(偽王を演じ、
 責任を果たし、
 そして退いた)

それでよかった。

英雄でなくていい。
名君でなくていい。


---

布団に横になり、
目を閉じる。

遠くで、
風の音。

誰かの笑い声。

確かに、
ここは現実だ。

ライアー・ユースティティアは、
その名を、
もう使わない。

だが、
失ったわけではない。

選んで、
置いてきただけ。


---

王ではなく、
偽王でもなく、
裁く者でもない。

ただ、
一人の人として。

明日も、
土を耕し、
人と話し、
笑うだろう。

それは、
どんな玉座よりも、
確かな場所だった。

彼女は、
静かに眠りにつく。

――これが、
物語の終わりであり、
 人生の始まりだった。
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