『婚約破棄?結構ですわ。わたくしは何もしないで生きていきます』

鷹 綾

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第十四話 離れていく貴族たち

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第十四話 離れていく貴族たち

 王宮の空気が、さらに一段、重くなった。

 外交の返答が遅れているという事実は、すでに貴族たちの間でも共有され始めていた。
 表向きは「慎重な検討」と説明されているが、裏では別の言葉が使われている。

「――判断ができていない」

 その評価は、思っている以上に早く、そして静かに広がっていった。

 貴族社会において、遅れは失敗と同義ではない。
 だが、“遅れ続けること”は、信頼を削る。

 王宮の回廊では、かつてなら自然に集まっていた顔ぶれが、微妙に距離を取り始めていた。

「……最近、殿下の周囲、落ち着きませんわね」

「ええ。以前は、もっと……」

 言葉を濁し、視線を逸らす。
 それだけで、十分だった。

 中立派と呼ばれていた貴族たちは、とりわけ敏感だった。
 どこにも与せず、風向きを読むことに長けた者たちだ。

 彼らは、王太子の元を訪れる回数を、少しずつ減らしていった。
 理由は、単純だ。

 ――今、近づく価値があるのか。

 その問いに、はっきりとした「是」を出せなくなったからだ。

「……あの頃は、話が早かった」

 ある伯爵が、晩餐会の席でそう漏らす。

「王太子殿下と話しているはずなのに、
 いつの間にか、こちらの事情まで把握した答えが返ってくる」

 それは、褒め言葉ではあるが、
 同時に“誰が整えていたか”を暗に示す言葉でもあった。

「今は……話すたびに、様子見をされている気がする」

 その感想に、同席していた者たちが、無言で頷いた。

 王太子ユリウス自身も、変化を感じ取っていた。

 執務室に訪れる貴族の数が、明らかに減っている。
 訪れたとしても、要件を簡潔に済ませ、長居しない。

(……避けられている?)

 そんな考えが浮かび、彼は眉をひそめる。

 だが、理由は分かっている。
 “確実な答え”が返ってこないからだ。

 以前なら、
 「それは難しい」
 「ここまでは譲歩できる」
 と、明確な線が引かれていた。

 今は、その線が見えない。

 結果、貴族たちは判断を保留し、
 王太子から、距離を置く。

 その流れは、止まらない。

 一方、ヴァイセル公爵家では――

「……最近、静かですわね」

 リュシエンヌは、庭のベンチに腰掛けながら、そう呟いた。

 社交界からの招待状は、明らかに減っている。
 あれほど届いていた封筒が、今では数えるほどだ。

「噂は、動いていますわね」

 侍女の報告を聞きながら、彼女は淡々と受け止める。

 王太子の評価が揺らぎ、
 貴族たちが距離を取り始めている。

(……予想通りですわ)

 人は、強い場所に集まる。
 そして、揺らぎ始めた場所からは、
 理由をつけて離れていく。

 それを、彼女は誰よりもよく知っていた。

 なぜなら――
 かつて、その“強さ”を裏から支えていたのが、
 自分だったから。

「……離反、というほど大げさではありませんわね」

 静かに言う。

「ただ、
 『今は、様子を見る』
 それだけです」

 だが、その“様子見”こそが、
 王太子にとっては、致命的だった。

 中立派が距離を取れば、
 残るのは、熱心な支持者と、反対派。

 どちらも、扱いが難しい。

 王宮では、ついに囁かれ始めていた。

「……殿下は、
 誰を味方にしているのか分からない」

「判断が、見えませんもの」

 それは、王太子として、
 最も避けるべき評価だった。

 夜、リュシエンヌは、自室で紅茶を飲みながら、
 遠く王都の灯りを眺めていた。

 誰かが離れていく音は、聞こえない。
 だが、確実に起きている。

(……わたくしが、何もしないことで)

 小さく息を吐く。

(人は、
 自分たちの足元を、
 見直さざるを得なくなるのですね)

 それは、復讐ではない。
 仕返しでもない。

 ただ――
 “支えが消えた世界”が、
 ありのままに露わになっているだけだ。

 王太子ユリウスは、その夜、
 執務室に一人残り、
 減っていく来訪者の記録を眺めていた。

(……おかしい)

 だが、何がどうおかしいのか、
 はっきりと言葉にできない。

 それが、
 もっとも危険な兆候だった。

 貴族たちは、少しずつ、
 確実に、距離を取っている。

 その流れは、
 まだ誰にも止められない。

 そして――
 その中心にいるはずのリュシエンヌは、
 今日もまた、
 静かに、何もしていなかった。

 それが、
 この国にとって、
 どれほど大きな意味を持つのかを、
 理解している者は、
 まだ、ほんの一握りだった。
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