『婚約破棄?結構ですわ。わたくしは何もしないで生きていきます』

鷹 綾

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第二十話 それぞれの選択

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第二十話 それぞれの選択

 王宮の朝は、静かだった。

 かつてなら、廊下を行き交う足音と、書類を抱えた官吏の声が重なり、
 自然と活気が生まれていた時間帯だ。

 今は違う。

 必要最低限の動きだけがあり、
 それ以上の“余白”は、誰も埋めようとしない。

「……殿下」

 側近が、ためらいがちに声をかけた。

「本日の予定ですが……
 数件、先方から“延期”の申し出が来ております」

「……そうか」

 王太子ユリウスは、短く答えた。

 驚きも、苛立ちもない。
 それどころか、どこか納得したような表情だった。

(……もう、始まっている)

 人が離れるのは、ある日突然ではない。
 期待が外れ、
 判断を保留され、
 様子見が続いた末に、
 静かに“別の選択”を取る。

 それが、貴族社会の流儀だ。

「……皆、自分の道を選んでいるだけだ」

 独り言のように呟く。

 それは、責める言葉ではない。
 むしろ、自分自身への言葉だった。

 ――自分は、どうする?

 その問いが、
 ようやく、現実味を帯びて胸に落ちてきた。

 一方、新しい婚約者は、
 自室で一人、窓の外を眺めていた。

 王都の景色は、変わらない。
 だが、自分の立ち位置だけが、
 少しずつ、確実に変わっている。

(……私は、
 この場所に、何を求めているの?)

 愛情。
 安定。
 それとも、肩書き。

 最初は、ただ彼を想っていた。
 それだけで、十分だと思っていた。

 けれど――
 王宮という場所は、
 想いだけでは立っていられない。

 役割がある。
 期待がある。
 そして、それに応えられなければ、
 静かに、居場所が削られていく。

「……このままで、いいのかしら」

 答えは、まだ出ない。
 だが、
 “考えない”という選択は、
 もはやできなくなっていた。

 一方、ヴァイセル公爵家。

 リュシエンヌは、
 久しぶりに、朝早く目を覚ましていた。

 といっても、
 何か用事があるわけではない。

 ただ――
 目が覚めたから、起きただけ。

「……今日は、少し散歩でもしましょうか」

 誰に強いられるでもなく、
 自分で決める。

 その何気ない選択が、
 今の彼女にとっては、
 何よりも価値のあるものだった。

 庭を抜け、
 屋敷の敷地をゆっくりと歩く。

 風の音。
 鳥の声。
 足元の感触。

(……世界は、
 王宮だけではありませんでしたわね)

 かつては、
 あそこがすべてだと思っていた。

 だから、
 失えば終わりだと、
 無意識に思い込んでいた。

 だが今は違う。

 自分の人生は、
 自分の時間は、
 もっと広い。

「……選択肢は、
 戻るか、戻らないか、
 それだけではありませんもの」

 彼女は、立ち止まり、
 空を見上げる。

 王宮に戻らない。
 それは、決めた。

 では、その先は?

 ――まだ、決めなくていい。

 急ぐ必要はない。
 誰かの都合に合わせる必要もない。

 それが、
 彼女が選んだ生き方だ。

 王宮ではその日、
 王太子が、側近たちにこう告げた。

「……これからは、
 自分たちで立て直す」

 それは、
 具体策に欠けた宣言かもしれない。

 だが、
 誰かに頼るという発想を、
 ようやく捨てた言葉でもあった。

 側近たちは、
 驚きながらも、静かに頷く。

 遅すぎるかもしれない。
 それでも、
 やらないよりは、ましだ。

 新しい婚約者もまた、
 小さな決断を胸に抱いていた。

 この場所で、
 自分なりの役割を探すのか。
 それとも――
 別の道を選ぶのか。

 まだ、答えは出ない。
 だが、
 “誰かの影”として生きることは、
 もうできない。

 リュシエンヌ・フォン・ヴァイセルは、
 夕暮れの中、
 ゆっくりと屋敷へ戻る。

 今日も、
 特別なことはしていない。

 だが――
 王宮も、
 新しい婚約者も、
 そして彼女自身も。

 それぞれが、
 自分の足で立つかどうかを、
 静かに、
 選び始めていた。

 それが、
 崩れた後の世界で、
 初めて訪れた、
 “前に進むための時間”だった。
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