『婚約破棄?結構ですわ。わたくしは何もしないで生きていきます』

鷹 綾

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第十九話 見捨てられたのは誰か

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第十九話 見捨てられたのは誰か

 王宮の朝は、相変わらず忙しい――はずだった。

 だが、実際には“動いていない”場所が、確実に増えている。

 執務室の前を通り過ぎる官吏の足取りは、どこか鈍い。
 提出された書類は机の上に積まれたまま、
 決裁の朱が入らない。

「……また、保留ですか」

「ええ。
 殿下のご判断待ち、とのことです」

 そのやり取りを、
 もはや誰も驚かなくなっていた。

 問題は、慣れてしまったことだ。

 王太子ユリウスは、
 窓際に立ち、王都を見下ろしていた。

(……静かだな)

 かつては、
 この時間帯になると、
 相談、報告、調整のために、
 次々と人が訪れていた。

 今は違う。

 来るのは、
 “絶対に必要な案件”だけ。
 そしてそれらも、
 最低限の言葉で済まされる。

(……皆、
 もう期待していない)

 その事実が、
 じわじわと胸を締め付ける。

 側近が、静かに声をかけた。

「……殿下。
 本日の会合ですが、
 出席予定だった三名が、欠席との連絡を」

「理由は?」

「“体調不良”
 “急用”
 ……どれも、もっともらしい理由です」

 ユリウスは、苦く笑った。

「そうか」

 それ以上、何も言えなかった。

 理由は分かっている。
 彼らは、
 “今の王宮に関わる価値”を、
 見出せなくなっただけだ。

 ――見捨てられている。

 その感覚を、
 彼は、はっきりと自覚し始めていた。

 一方、新しい婚約者も、
 同じ現実を突きつけられていた。

 王宮の一角で、
 彼女は一人、椅子に腰を下ろしている。

 以前なら、
 誰かが声をかけ、
 話題を提供し、
 自然と輪ができていた。

 今は――

(……誰も、来ない)

 侍女すら、
 必要以上に近づかない。

 失礼があったわけではない。
 無礼を働いたわけでもない。

 ただ、
 “中心ではなくなった”だけだ。

(……私たちは、
 選ばれていない)

 その結論に至った瞬間、
 胸の奥で、何かが崩れた。

 王太子は、
 自分を守れない。
 ならば、
 自分も守られない。

 それが、
 王宮という場所の現実だった。

 夕方、
 ある貴族が、
 極めて控えめな形で、
 こう口にした。

「……殿下は、
 ヴァイセル公爵令嬢に、
 “見捨てられた”のでは?」

 その言葉は、
 小さく、しかし鋭かった。

 別の貴族が、
 静かに首を振る。

「違う」

「彼女は、
 見捨てたのではない」

 一瞬の間。

「……
 自分を守っただけだ」

 その結論に、
 誰も反論しなかった。

 そして、
 次に浮かんだ疑問は、
 より残酷だった。

「では……
 見捨てられたのは、
 誰なのだ?」

 答えは、
 言葉にされない。

 だが、
 全員が、同じ方向を見ていた。

 ――王宮だ。

 一方、
 ヴァイセル公爵家では。

 リュシエンヌは、
 静かな夕暮れの中、
 窓辺に立っていた。

 最近、
 王宮からの話題は、
 むしろ減っている。

「……もう、
 “どうにかしてほしい”
 という声も、
 聞こえなくなりましたわね」

 侍女の言葉に、
 彼女は、静かに頷く。

「ええ」

 それは、
 諦めが始まった証だ。

 最初は、
 戻ってくれるのでは、
 助けてくれるのでは、
 という期待。

 次に、
 断られたという現実。

 そして今――
 “彼女は、もう関わらない”
 という前提で、
 人々が動き始めている。

(……健全ですわね)

 皮肉でも、
 嫌味でもない。

 それは、
 組織として、
 ようやく正しい段階に入った、
 という評価だった。

 誰か一人に依存する場所は、
 いずれ必ず、崩れる。

 それが、
 自分であっただけの話だ。

「……見捨てたのは、
 わたくしではありません」

 誰に向けるでもなく、
 小さく呟く。

「最初に、
 わたくしを、
 不要だと判断したのは、
 あちらですもの」

 婚約破棄。
 それは、
 関係を切るという、
 明確な意思表示だった。

 ならば――
 今さら、
 “支えてほしい”と望むのは、
 あまりにも都合がいい。

 王宮ではその夜、
 さらに数名の貴族が、
 非公式の場から姿を消した。

 誰も声高に宣言しない。
 ただ、
 来なくなる。

 それが、
 貴族社会における、
 最も明確な拒絶だった。

 王太子ユリウスは、
 一人、執務室で椅子に沈み込み、
 ようやく理解し始めていた。

 自分は、
 彼女に見捨てられたのではない。

 ――試され、
 そして、
 選ばれなかったのだ。

 それは、
 誰かの悪意ではない。

 “支えが消えたとき、
 立てなかった”
 ただ、それだけの結果だった。

 リュシエンヌ・フォン・ヴァイセルは、
 今日もまた、
 何もしていない。

 だが――
 彼女が動かない世界は、
 誰が見捨てられ、
 誰が自立できなかったのかを、
 あまりにも鮮明に、
 映し出していた。
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