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第5話 皇帝がいなくても、逃げ道はない
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第5話 皇帝がいなくても、逃げ道はない
皇帝との会話から一夜が明けた。
目を覚ました瞬間、まず思ったのは――静かだ、ということだった。
王城での生活を思い返せば、朝は必ず誰かの足音や、遠くの話し声が聞こえていたはずなのに、この部屋にはそれがない。
必要な静けさだけが、用意されている。
(……居心地が、良すぎる)
それが、少し怖かった。
ノックの音と共に、メイドが入ってくる。
「お目覚めでございますか、ビアンキーナ様。
本日は、陛下は公務で城を離れておられます」
「……そうですか」
思わず、胸の奥で何かが緩むのを感じた。
(いない、のね)
昨日まで、視界の端に必ず存在していた圧倒的な気配。
それがないだけで、空気が軽くなる。
同時に――ほんの少し、拍子抜けもしていた。
「本日は、どのようにお過ごしになりますか?」
そう問われ、私は少し考える。
「……城の中を、もう少し見てみたいです」
「かしこまりました」
即答だった。
朝食を終え、回廊へ出る。
昨日と同じ景色。
同じ天井の高さ、同じ装飾。
そして――。
(……やっぱり)
背後には、いつもの顔ぶれ。
メイド、従者、護衛。
数は微妙に違うが、やはり十人前後。
皇帝が不在だというのに、その体制は一切変わっていなかった。
(……いないのに、これ)
私は、少しだけ足取りを早めてみた。
ついてくる。
曲がり角で急に止まる。
全員が、同時に止まる。
(……訓練されすぎじゃない?)
思わず、溜息が漏れた。
城内の図書室に案内される。
広く、高い書棚が並び、静かな空気が満ちていた。
(……ここなら)
そう思ったのも束の間。
気づけば、入口付近に人影が増えている。
(……増えてない?)
誰も近づいては来ない。
けれど、出口はしっかりと“人の気配”で塞がれている。
私は、本棚の間を歩きながら、心の中で呟いた。
(……檻だわ、やっぱり)
怒りは、ない。
恐怖も、薄い。
ただ、逃げられないという事実だけが、静かにそこにある。
午後、私は庭園ではなく、城の内側にある回廊を選んで歩いた。
あえて“外”に近づかない。
(……試す必要は、ないわよね)
すでに答えは出ている。
部屋に戻ると、テーブルの上に一通の書簡が置かれていた。
封はされていない。
「陛下からでございます」
そう言われ、私は手に取る。
簡潔な文面だった。
『城内の生活に不便があれば、遠慮なく伝えよ。
望まぬものを強いるつもりはない』
署名はない。
けれど、誰の言葉かは明白だった。
(……いないのに、存在感が強すぎる)
それは、監視とは違う。
支配でもない。
“整えられている”。
そう表現するのが、一番近い気がした。
夕刻、私は再び回廊に出た。
窓の外では、帝国の空が茜色に染まっている。
美しい光景だ。
(……ここで、私は何をするのかしら)
連れ去られ、守られ、考える時間を与えられ。
選べ、と言われた。
(選ぶって……)
城の中を自由に歩ける。
何も奪われていない。
けれど、何も取り戻してもいない。
その夜、私は一人で考え込んでいた。
王太子のこと。
あの場で、助けを求めた私を罵った言葉。
(……戻りたいとは、思わない)
それだけは、はっきりしていた。
帝国の皇城は、私を縛っている。
けれど、同時に――守っている。
そして何より。
(……ここでは、私は“捨てられた婚約者”じゃない)
誰かの都合で価値を下げられる存在ではなく、
一人の人間として扱われている。
それが、どれほど異常で、どれほど特別なのか。
私は、まだ理解しきれていなかった。
けれど。
皇帝がいなくても、
この城に張り巡らされた“意思”が、
私を包み込んでいることだけは、
はっきりと感じていた。
---
皇帝との会話から一夜が明けた。
目を覚ました瞬間、まず思ったのは――静かだ、ということだった。
王城での生活を思い返せば、朝は必ず誰かの足音や、遠くの話し声が聞こえていたはずなのに、この部屋にはそれがない。
必要な静けさだけが、用意されている。
(……居心地が、良すぎる)
それが、少し怖かった。
ノックの音と共に、メイドが入ってくる。
「お目覚めでございますか、ビアンキーナ様。
本日は、陛下は公務で城を離れておられます」
「……そうですか」
思わず、胸の奥で何かが緩むのを感じた。
(いない、のね)
昨日まで、視界の端に必ず存在していた圧倒的な気配。
それがないだけで、空気が軽くなる。
同時に――ほんの少し、拍子抜けもしていた。
「本日は、どのようにお過ごしになりますか?」
そう問われ、私は少し考える。
「……城の中を、もう少し見てみたいです」
「かしこまりました」
即答だった。
朝食を終え、回廊へ出る。
昨日と同じ景色。
同じ天井の高さ、同じ装飾。
そして――。
(……やっぱり)
背後には、いつもの顔ぶれ。
メイド、従者、護衛。
数は微妙に違うが、やはり十人前後。
皇帝が不在だというのに、その体制は一切変わっていなかった。
(……いないのに、これ)
私は、少しだけ足取りを早めてみた。
ついてくる。
曲がり角で急に止まる。
全員が、同時に止まる。
(……訓練されすぎじゃない?)
思わず、溜息が漏れた。
城内の図書室に案内される。
広く、高い書棚が並び、静かな空気が満ちていた。
(……ここなら)
そう思ったのも束の間。
気づけば、入口付近に人影が増えている。
(……増えてない?)
誰も近づいては来ない。
けれど、出口はしっかりと“人の気配”で塞がれている。
私は、本棚の間を歩きながら、心の中で呟いた。
(……檻だわ、やっぱり)
怒りは、ない。
恐怖も、薄い。
ただ、逃げられないという事実だけが、静かにそこにある。
午後、私は庭園ではなく、城の内側にある回廊を選んで歩いた。
あえて“外”に近づかない。
(……試す必要は、ないわよね)
すでに答えは出ている。
部屋に戻ると、テーブルの上に一通の書簡が置かれていた。
封はされていない。
「陛下からでございます」
そう言われ、私は手に取る。
簡潔な文面だった。
『城内の生活に不便があれば、遠慮なく伝えよ。
望まぬものを強いるつもりはない』
署名はない。
けれど、誰の言葉かは明白だった。
(……いないのに、存在感が強すぎる)
それは、監視とは違う。
支配でもない。
“整えられている”。
そう表現するのが、一番近い気がした。
夕刻、私は再び回廊に出た。
窓の外では、帝国の空が茜色に染まっている。
美しい光景だ。
(……ここで、私は何をするのかしら)
連れ去られ、守られ、考える時間を与えられ。
選べ、と言われた。
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けれど、何も取り戻してもいない。
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けれど、同時に――守っている。
そして何より。
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それが、どれほど異常で、どれほど特別なのか。
私は、まだ理解しきれていなかった。
けれど。
皇帝がいなくても、
この城に張り巡らされた“意思”が、
私を包み込んでいることだけは、
はっきりと感じていた。
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