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第4話 それは誘拐ではない、と皇帝は言った
第4話 それは誘拐ではない、と皇帝は言った
庭園で皇帝と対峙してから、どれほどの時間が経ったのか分からない。
私は再び、最初に目覚めた豪奢な客室へと戻されていた。
戻された、と言っても、腕を掴まれたわけでも、命じられたわけでもない。
ただ――
皇帝が歩き出し、
私がその後ろを歩き、
そして気づけば部屋に着いていた。
(……本当に、強制されていない)
それが、逆に奇妙だった。
部屋に入ると、メイドたちが一斉に動き出す。
「お疲れでしょう。お茶を」
「軽食もご用意いたしますか?」
「お着替えを――」
「……少し、静かにしていただけますか」
そう告げると、彼女たちは一瞬驚いた顔をしてから、すぐに頭を下げた。
「失礼いたしました。外でお待ちいたします」
扉が閉まり、ようやく二人きりになる。
部屋の中央に置かれた椅子に腰を下ろした皇帝は、私を見上げるようにして視線を向けた。
威圧感はある。
けれど、見下ろすような視線ではなかった。
「……話を、聞かせてもらえますか」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「なぜ、私をここに?」
皇帝は、しばらく黙って私を見つめていた。
その沈黙は、重い。
だが、無言の圧力ではなく、考える時間を与える沈黙だった。
「まず、確認しておこう」
皇帝が、低く言う。
「お前は、自分が誘拐されたと思っているな」
「……思っています」
否定しようがない。
舞踏会で突然抱き上げられ、ここにいるのだから。
皇帝は、ほんのわずかに口角を上げた。
「そうか。では、こちらの認識を話そう」
その声音は淡々としていて、言い訳じみたところは一切なかった。
「私は、お前を害する目的で連れてきたわけではない」
「それは……分かります」
正直な気持ちだった。
この数日で、少なくともその点だけは、疑いようがなくなっている。
「拘束もしていない」
「恐怖で支配もしていない」
「選択肢も、与えている」
一つ一つ、事実を積み重ねるように言葉が落ちる。
「それでも誘拐だと言うなら、否定はせん」
皇帝は、そこで一度言葉を切った。
「だが、私はこう考えている」
視線が、真っ直ぐに私を捉える。
「――保護だ」
その一言は、あまりにもはっきりしていた。
「保護……?」
「そうだ」
即答だった。
「お前は、あの場で捨てられる寸前だった」
胸の奥が、きしりと音を立てた気がした。
「婚約破棄を宣言され、公衆の面前で立場を失う」
「その後、どう扱われるか――想像はつくな?」
私は、言葉を失う。
想像したことがなかったわけではない。
けれど、あえて考えないようにしていた未来だった。
「……ええ」
小さく、そう答えた。
皇帝は、満足そうに頷く。
「だから、私は先に動いた」
「……捨てられる前に?」
「ああ」
皇帝は、何のためらいもなく言った。
「奪った」
その言葉は、暴力的な響きを持っているはずなのに、
不思議と、怒りは湧かなかった。
「選択肢を奪われた、と怒るか?」
そう問われ、私は一瞬考え込んだ。
怒るべきなのだろう。
勝手に連れ去られたのだから。
けれど――。
「……いいえ」
気づけば、そう答えていた。
「少なくとも、あの場で一人取り残されるよりは……」
言いかけて、口を閉じる。
皇帝は、何も言わずに続きを待っていた。
「……あなたは、最低限の尊厳を、奪っていません」
それが、私の出した答えだった。
皇帝は、初めてはっきりと微笑んだ。
「賢いな」
その一言に、褒められたというより、見抜かれた気がした。
「勘違いするな」
すぐに、声が元に戻る。
「私は、善人ではない」
「お前を手放すつもりもない」
胸が、わずかに跳ねる。
「だが」
皇帝は、静かに続けた。
「最終的に選ぶ権利は、奪わん」
「……選ぶ?」
「この城に留まるか」
「私の側に立つか」
「それとも――去るか」
私は、思わず笑ってしまった。
「去る、選択肢があるようには見えませんが」
皇帝は、肩をすくめる。
「時間をやる」
短い言葉だった。
「考えろ。理解しろ。納得しろ」
そして、低く言い切る。
「納得せぬまま、隣に立たれても困る」
その言葉に、胸の奥が静かに熱くなった。
(……この人は)
支配者だ。
間違いなく。
けれど、
私を“物”として扱う気は、ない。
「……分かりました」
私は、ゆっくりと立ち上がった。
「考えます」
皇帝は、満足そうに頷いた。
「それでいい」
扉へ向かいながら、彼は一度だけ振り返る。
「城の中なら、自由だ」
「ただし」
視線が、鋭くなる。
「城の外に出る許可は、まだ出していない」
私は、思わず苦笑した。
「……ええ。分かっています」
扉が閉まり、再び一人になる。
(……誘拐、ではない)
そう言い切ることは、まだできない。
けれど。
(……守られている)
その事実だけは、
否定しようがなかった。
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庭園で皇帝と対峙してから、どれほどの時間が経ったのか分からない。
私は再び、最初に目覚めた豪奢な客室へと戻されていた。
戻された、と言っても、腕を掴まれたわけでも、命じられたわけでもない。
ただ――
皇帝が歩き出し、
私がその後ろを歩き、
そして気づけば部屋に着いていた。
(……本当に、強制されていない)
それが、逆に奇妙だった。
部屋に入ると、メイドたちが一斉に動き出す。
「お疲れでしょう。お茶を」
「軽食もご用意いたしますか?」
「お着替えを――」
「……少し、静かにしていただけますか」
そう告げると、彼女たちは一瞬驚いた顔をしてから、すぐに頭を下げた。
「失礼いたしました。外でお待ちいたします」
扉が閉まり、ようやく二人きりになる。
部屋の中央に置かれた椅子に腰を下ろした皇帝は、私を見上げるようにして視線を向けた。
威圧感はある。
けれど、見下ろすような視線ではなかった。
「……話を、聞かせてもらえますか」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「なぜ、私をここに?」
皇帝は、しばらく黙って私を見つめていた。
その沈黙は、重い。
だが、無言の圧力ではなく、考える時間を与える沈黙だった。
「まず、確認しておこう」
皇帝が、低く言う。
「お前は、自分が誘拐されたと思っているな」
「……思っています」
否定しようがない。
舞踏会で突然抱き上げられ、ここにいるのだから。
皇帝は、ほんのわずかに口角を上げた。
「そうか。では、こちらの認識を話そう」
その声音は淡々としていて、言い訳じみたところは一切なかった。
「私は、お前を害する目的で連れてきたわけではない」
「それは……分かります」
正直な気持ちだった。
この数日で、少なくともその点だけは、疑いようがなくなっている。
「拘束もしていない」
「恐怖で支配もしていない」
「選択肢も、与えている」
一つ一つ、事実を積み重ねるように言葉が落ちる。
「それでも誘拐だと言うなら、否定はせん」
皇帝は、そこで一度言葉を切った。
「だが、私はこう考えている」
視線が、真っ直ぐに私を捉える。
「――保護だ」
その一言は、あまりにもはっきりしていた。
「保護……?」
「そうだ」
即答だった。
「お前は、あの場で捨てられる寸前だった」
胸の奥が、きしりと音を立てた気がした。
「婚約破棄を宣言され、公衆の面前で立場を失う」
「その後、どう扱われるか――想像はつくな?」
私は、言葉を失う。
想像したことがなかったわけではない。
けれど、あえて考えないようにしていた未来だった。
「……ええ」
小さく、そう答えた。
皇帝は、満足そうに頷く。
「だから、私は先に動いた」
「……捨てられる前に?」
「ああ」
皇帝は、何のためらいもなく言った。
「奪った」
その言葉は、暴力的な響きを持っているはずなのに、
不思議と、怒りは湧かなかった。
「選択肢を奪われた、と怒るか?」
そう問われ、私は一瞬考え込んだ。
怒るべきなのだろう。
勝手に連れ去られたのだから。
けれど――。
「……いいえ」
気づけば、そう答えていた。
「少なくとも、あの場で一人取り残されるよりは……」
言いかけて、口を閉じる。
皇帝は、何も言わずに続きを待っていた。
「……あなたは、最低限の尊厳を、奪っていません」
それが、私の出した答えだった。
皇帝は、初めてはっきりと微笑んだ。
「賢いな」
その一言に、褒められたというより、見抜かれた気がした。
「勘違いするな」
すぐに、声が元に戻る。
「私は、善人ではない」
「お前を手放すつもりもない」
胸が、わずかに跳ねる。
「だが」
皇帝は、静かに続けた。
「最終的に選ぶ権利は、奪わん」
「……選ぶ?」
「この城に留まるか」
「私の側に立つか」
「それとも――去るか」
私は、思わず笑ってしまった。
「去る、選択肢があるようには見えませんが」
皇帝は、肩をすくめる。
「時間をやる」
短い言葉だった。
「考えろ。理解しろ。納得しろ」
そして、低く言い切る。
「納得せぬまま、隣に立たれても困る」
その言葉に、胸の奥が静かに熱くなった。
(……この人は)
支配者だ。
間違いなく。
けれど、
私を“物”として扱う気は、ない。
「……分かりました」
私は、ゆっくりと立ち上がった。
「考えます」
皇帝は、満足そうに頷いた。
「それでいい」
扉へ向かいながら、彼は一度だけ振り返る。
「城の中なら、自由だ」
「ただし」
視線が、鋭くなる。
「城の外に出る許可は、まだ出していない」
私は、思わず苦笑した。
「……ええ。分かっています」
扉が閉まり、再び一人になる。
(……誘拐、ではない)
そう言い切ることは、まだできない。
けれど。
(……守られている)
その事実だけは、
否定しようがなかった。
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