『やりたくないからやらないだけ 〜自分のために働かない選択をした元貴族令嬢の静かな失踪〜』

鷹 綾

文字の大きさ
21 / 40

21話 問われない選択

しおりを挟む
21話 問われない選択

 朝、目を覚ましたファーファは、しばらく天井を見つめていた。

 眠りが浅かったわけではない。むしろ深く、何も残らない眠りだった。それでも、起き上がる前に少しだけ時間を置くのは、ここでの習慣になっている。起きる理由がないからこそ、起きるまでの余白を味わう。

 やがて体を起こし、外套を羽織る。扉を開けると、空気は澄んでいた。昨夜の冷え込みが嘘のように、朝日は穏やかで、山の稜線を柔らかく照らしている。

 箱は、置かれていた。

 それを見て、ファーファは立ち止まらない。驚きも、確認のための再確認もない。あるべきものがある。それ以上の意味はない。

 箱を中へ運び、蓋を開ける。中身はいつもと同じ構成だが、今日は細かな違いがあった。包みの仕方が変わり、布の質が少しだけ良くなっている。耐久性を考えた判断だろう。

「……余計な気遣いじゃないのが、いいわ」

 それは感謝でも皮肉でもない。事務的であることを評価しているだけだ。

 必要な分だけ取り出し、棚に置く。残りは箱に戻す。整理しすぎない。把握しすぎない。把握は、責任を連れてくる。

 湯を沸かし、紅茶を淹れる。今日は香りを少し強く感じた。理由は分からないし、探らない。感じた事実だけで十分だ。

 椅子に座り、窓の外を見る。山は変わらず、動きは少ない。だが、少ないからこそ分かる変化もある。木々の影の伸び方、鳥の声の位置。世界は、ちゃんと動いている。ただ、大げさに主張しないだけだ。

 ――もし、今ここで誰かに問われたら。

 そんな考えが、ふと浮かんだ。

 なぜ働かないのか。
 なぜ戻らないのか。
 なぜ、何も目指さないのか。

 王都にいた頃、問いは常に外から投げられてきた。答えられない問いは罪だった。答えを用意することが、生き残る条件だった。

 だが、ここには問う者がいない。

 問いがなければ、答えも不要だ。

 午前中、本を読む。今日は少し長く読み続けたが、途中で疲れたら閉じる。読み切らなかったことに、後悔はない。読み切ることが目的ではないからだ。

 昼、食事を取る。簡単なスープとパン。噛む回数も、飲み込む速度も、意識しない。身体が勝手に調整する。

 食後、椅子に座ったまま、何も考えない時間が続く。思考が浮かんでは消え、残らない。以前なら、この時間に焦りが生まれていたはずだ。

 ――この時間で、何かできたのでは?

 そんな声が、どこからともなく聞こえていた。

 今は、聞こえない。

 午後、外に出る。家の周囲を一回りし、地面の様子を見る。変わらない。異常もない。それでいい。異常がないことを喜ぶ必要すらない。

 王都では、選択は常に問われていた。
 何を選んだのか。
 なぜそれを選んだのか。
 その結果、何を得たのか。

 選択は、評価とセットだった。

 ここでは、選択は問われない。

 選ばなかったことも、選択として扱われない。
 ただ、そうなっているだけだ。

 夕方、火を入れ、室内を整える。炎の揺れを見ながら、ファーファはぼんやりと考える。

 ――もし、誰かが来たら。

 辺境伯が来ることはない。契約上、必要がない。王都の使者が来る可能性も低い。彼女は消息不明であり、それが最も都合のいい状態だからだ。

 来ないことが、最適解。

 夜、灯りを落とし、寝台に横になる。

 今日も、問いはなかった。
 答える必要もなかった。

 ファーファ・ノクティスは、
 問われない選択の中で生きている。

 それは逃げでも、放棄でもない。
 ただ、選ばなくても壊れない世界を、
 自分の居場所として受け入れただけだ。

 静かな呼吸の中で、
 彼女は今日という一日を、
 誰にも説明することなく、終わらせた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。

ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」 実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて…… 「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」 信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。 微ざまぁあり。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

「エリアーナ? ああ、あの穀潰しか」と蔑んだ元婚約者へ。今、私は氷帝陛下の隣で大陸一の幸せを掴んでいます。

椎名シナ
恋愛
「エリアーナ? ああ、あの穀潰しか」 ーーかつて私、エリアーナ・フォン・クライネルは、婚約者であったクラウヴェルト王国第一王子アルフォンスにそう蔑まれ、偽りの聖女マリアベルの奸計によって全てを奪われ、追放されましたわ。ええ、ええ、あの時の絶望と屈辱、今でも鮮明に覚えていますとも。 ですが、ご心配なく。そんな私を拾い上げ、その凍てつくような瞳の奥に熱い情熱を秘めた隣国ヴァルエンデ帝国の若き皇帝、カイザー陛下が「お前こそが、我が探し求めた唯一無二の宝だ」と、それはもう、息もできないほどの熱烈な求愛と、とろけるような溺愛で私を包み込んでくださっているのですもの。 今ではヴァルエンデ帝国の皇后として、かつて「無能」と罵られた私の知識と才能は大陸全土を驚かせ、帝国にかつてない繁栄をもたらしていますのよ。あら、風の噂では、私を捨てたクラウヴェルト王国は、偽聖女の力が消え失せ、今や滅亡寸前だとか? 「エリアーナさえいれば」ですって? これは、どん底に突き落とされた令嬢が、絶対的な権力と愛を手に入れ、かつて自分を見下した愚か者たちに華麗なる鉄槌を下し、大陸一の幸せを掴み取る、痛快極まりない逆転ざまぁ&極甘溺愛ストーリー。 さあ、元婚約者のアルフォンス様? 私の「穀潰し」ぶりが、どれほどのものだったか、その目でとくとご覧にいれますわ。もっとも、今のあなたに、その資格があるのかしら? ――え? ヴァルエンデ帝国からの公式声明? 「エリアーナ皇女殿下のご生誕を祝福し、クラウヴェルト王国には『適切な対応』を求める」ですって……?

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。

灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。 曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。 婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。 前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。

「お前とは結婚できない」って言ったのはそっちでしょ?なのに今さら嫉妬しないで

ほーみ
恋愛
王都ベルセリオ、冬の終わり。 辺境領主の娘であるリリアーナ・クロフォードは、煌びやかな社交界の片隅で、ひとり静かにグラスを傾けていた。 この社交界に参加するのは久しぶり。3年前に婚約破棄された時、彼女は王都から姿を消したのだ。今日こうして戻ってきたのは、王女の誕生祝賀パーティに招かれたからに過ぎない。 「リリアーナ……本当に、君なのか」 ――来た。 その声を聞いた瞬間、胸の奥が冷たく凍るようだった。 振り向けば、金髪碧眼の男――エリオット・レインハルト。かつての婚約者であり、王家の血を引く名家レインハルト公爵家の嫡男。 「……お久しぶりですね、エリオット様」

処理中です...