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第9話 「正しい者だけが、残ればいい」
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第9話 「正しい者だけが、残ればいい」
それは、粛清と呼ぶには、あまりにも静かな始まりだった。
剣は振るわれない。
血も流れない。
ただ、名前が消えていく。
「殿下、こちらが調査報告の第一弾です」
側近が差し出した書類の束を、オスカー・フォン・ルーヴェンは無言で受け取った。
“調査”。
その言葉は、いつの間にか、
城内で特別な意味を持つようになっていた。
誰が、殿下に忠実か。
誰が、不満を持っているか。
誰が、判断に疑問を呈したか。
基準は、あいまいだ。
だが、それでいい。
あいまいであるほど、
人は怯え、口を閉ざす。
「……ずいぶん多いな」
オスカーは、書類をめくりながら言った。
「国のことを思っている者が、こんなにも疑われているとは」
その認識が、すでに歪んでいることに、
本人だけが気づいていない。
書類に並ぶ名前の中には、
かつて彼を支えた者たちも含まれていた。
数字に強い官僚。
現場を知る役人。
慎重すぎると揶揄された側近。
共通点は、ひとつだけ。
――止めたことがある。
「殿下」
フローラ・エヴァンスが、静かに口を開いた。
「お辛そうですね」
その言葉に、オスカーは顔を上げる。
「……ああ」
彼は、しばらく黙ってから言った。
「正直、心が痛む」
それは、本音だった。
「だが、このままでは国が持たない」
彼は、自分に言い聞かせるように続ける。
「正しい者だけが残らなければならない」
その“正しい”の定義が、
いつの間にか、
自分に従うかどうかにすり替わっている。
フローラは、しばらく沈黙した。
そして、ほんの少しだけ、言葉を選んで口を開く。
「殿下が、国を思ってなさっていることは、疑いようがありません」
それは、いつもの肯定。
「ですが……」
オスカーが、わずかに身を乗り出す。
「殿下が迷われる姿を見せると、
人々は不安になります」
その一言が、
方向を示す矢だった。
「迷う……?」
「はい」
フローラは、視線を逸らさずに続ける。
「殿下が正しいと信じて進まれるからこそ、
国はまとまるのです」
つまり。
――迷うな。
――疑うな。
――切れ。
そう言っているのと同じだった。
オスカーは、深く息を吐いた。
「……そうだな」
彼の中で、何かが固まる。
「俺が、迷っている場合じゃない」
それは、決意の言葉だった。
翌日。
数名の官僚が、突然職務から外された。
理由は、明確にされない。
「体調不良」
「配置換え」
「一時的な休養」
どれも、表向きの言い訳だ。
だが、城内の人間は理解していた。
――消された。
それを口に出す者はいない。
次は、自分かもしれないからだ。
「殿下、やりすぎでは……」
かすれた声で、若い役人が言いかけた。
その瞬間。
オスカーの視線が、鋭く突き刺さる。
「やりすぎ?」
静かな声。
だが、圧は強い。
「俺が、国を守ろうとしているのが分からないのか?」
「い、いえ……」
「なら、黙って従え」
それだけで、十分だった。
その役人は、翌日から姿を見せなくなった。
誰も、理由を聞かない。
聞いたところで、
答えは返ってこないと知っている。
夜。
フローラは、自室で静かに手袋を外していた。
(予想以上に、早い)
内心で、そう評価する。
(でも、もう止まらない)
オスカーは、自分が“正義”だと信じ切っている。
そして、
正義を疑う者を、
悪と見なす段階に入った。
(あと少し)
彼女――いや、彼は、冷静に計算する。
(この人が、
自分で壊れるまで)
一方。
城の外。
マルティナ・ヴァインベルクは、亡命者の話を聞いていた。
「城では、何かおかしい」
「意見した人間から、消えていく」
マルティナは、静かに頷く。
「……そう」
驚きはない。
むしろ、
“想定より早い”という感想だけが浮かぶ。
(止める役がいなくなった国は、
こうなる)
それを、彼女は知っていた。
だからこそ、
あの場所から離れた。
(もう、関わらない)
マルティナは、そう決めている。
だが同時に。
この国が、
自滅へ向かっていることも、
誰よりも理解していた。
王太子オスカー・フォン・ルーヴェンは、
今や、迷わない。
正しい者だけが残ればいい。
疑う者は、不要。
その考えが、
どれほど多くの“正しさ”を切り捨てているのかを、
知ろうともしないまま。
そして、
彼のそばには――
最後まで肯定する存在だけが残った。
---
それは、粛清と呼ぶには、あまりにも静かな始まりだった。
剣は振るわれない。
血も流れない。
ただ、名前が消えていく。
「殿下、こちらが調査報告の第一弾です」
側近が差し出した書類の束を、オスカー・フォン・ルーヴェンは無言で受け取った。
“調査”。
その言葉は、いつの間にか、
城内で特別な意味を持つようになっていた。
誰が、殿下に忠実か。
誰が、不満を持っているか。
誰が、判断に疑問を呈したか。
基準は、あいまいだ。
だが、それでいい。
あいまいであるほど、
人は怯え、口を閉ざす。
「……ずいぶん多いな」
オスカーは、書類をめくりながら言った。
「国のことを思っている者が、こんなにも疑われているとは」
その認識が、すでに歪んでいることに、
本人だけが気づいていない。
書類に並ぶ名前の中には、
かつて彼を支えた者たちも含まれていた。
数字に強い官僚。
現場を知る役人。
慎重すぎると揶揄された側近。
共通点は、ひとつだけ。
――止めたことがある。
「殿下」
フローラ・エヴァンスが、静かに口を開いた。
「お辛そうですね」
その言葉に、オスカーは顔を上げる。
「……ああ」
彼は、しばらく黙ってから言った。
「正直、心が痛む」
それは、本音だった。
「だが、このままでは国が持たない」
彼は、自分に言い聞かせるように続ける。
「正しい者だけが残らなければならない」
その“正しい”の定義が、
いつの間にか、
自分に従うかどうかにすり替わっている。
フローラは、しばらく沈黙した。
そして、ほんの少しだけ、言葉を選んで口を開く。
「殿下が、国を思ってなさっていることは、疑いようがありません」
それは、いつもの肯定。
「ですが……」
オスカーが、わずかに身を乗り出す。
「殿下が迷われる姿を見せると、
人々は不安になります」
その一言が、
方向を示す矢だった。
「迷う……?」
「はい」
フローラは、視線を逸らさずに続ける。
「殿下が正しいと信じて進まれるからこそ、
国はまとまるのです」
つまり。
――迷うな。
――疑うな。
――切れ。
そう言っているのと同じだった。
オスカーは、深く息を吐いた。
「……そうだな」
彼の中で、何かが固まる。
「俺が、迷っている場合じゃない」
それは、決意の言葉だった。
翌日。
数名の官僚が、突然職務から外された。
理由は、明確にされない。
「体調不良」
「配置換え」
「一時的な休養」
どれも、表向きの言い訳だ。
だが、城内の人間は理解していた。
――消された。
それを口に出す者はいない。
次は、自分かもしれないからだ。
「殿下、やりすぎでは……」
かすれた声で、若い役人が言いかけた。
その瞬間。
オスカーの視線が、鋭く突き刺さる。
「やりすぎ?」
静かな声。
だが、圧は強い。
「俺が、国を守ろうとしているのが分からないのか?」
「い、いえ……」
「なら、黙って従え」
それだけで、十分だった。
その役人は、翌日から姿を見せなくなった。
誰も、理由を聞かない。
聞いたところで、
答えは返ってこないと知っている。
夜。
フローラは、自室で静かに手袋を外していた。
(予想以上に、早い)
内心で、そう評価する。
(でも、もう止まらない)
オスカーは、自分が“正義”だと信じ切っている。
そして、
正義を疑う者を、
悪と見なす段階に入った。
(あと少し)
彼女――いや、彼は、冷静に計算する。
(この人が、
自分で壊れるまで)
一方。
城の外。
マルティナ・ヴァインベルクは、亡命者の話を聞いていた。
「城では、何かおかしい」
「意見した人間から、消えていく」
マルティナは、静かに頷く。
「……そう」
驚きはない。
むしろ、
“想定より早い”という感想だけが浮かぶ。
(止める役がいなくなった国は、
こうなる)
それを、彼女は知っていた。
だからこそ、
あの場所から離れた。
(もう、関わらない)
マルティナは、そう決めている。
だが同時に。
この国が、
自滅へ向かっていることも、
誰よりも理解していた。
王太子オスカー・フォン・ルーヴェンは、
今や、迷わない。
正しい者だけが残ればいい。
疑う者は、不要。
その考えが、
どれほど多くの“正しさ”を切り捨てているのかを、
知ろうともしないまま。
そして、
彼のそばには――
最後まで肯定する存在だけが残った。
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