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第15話「完璧だったはずの履歴」
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第15話「完璧だったはずの履歴」
違和感は、ついに“形”を持った。
それは噂でも、感情でもない。
ましてや、告発でも陰謀でもない。
――ただの、帳尻のズレ。
マルティナ・ヴァインベルクは、机に並べた帳簿を見下ろしていた。
王城から直接持ち出されたものではない。
各地の商会、会計士、交易窓口。
すべて、正式な公開記録だ。
(……合わない)
数字が、微妙に食い違っている。
関税率の変更。
輸入量の増加。
国内流通量の減少。
どれも単体で見れば、
「よくある誤差」で済まされる範囲だ。
だが、
同じ時期、同じ方向にだけズレている。
(偶然じゃない)
マルティナは、静かに息を吸った。
(でも、誰かが意図して操作した形跡もない)
ここが、最も重要だった。
帳簿は、正しい。
書類も、正規のもの。
問題は――
判断の基準が、歪んだまま使われていること。
(判断者が、
現実を見ていない)
その結論に、迷いはなかった。
そして、その判断者のすぐそばに、
現実を遮断する存在がいる。
フローラ・エヴァンス。
その名が、
自然に浮かび上がる。
一方、王城。
執務室に、珍しく二人きりではない時間が訪れていた。
「殿下」
古参の会計官が、慎重に言葉を選ぶ。
「最新の交易報告ですが……
いくつか、数字の整合性が取れない部分がございます」
その瞬間、
室内の空気が、わずかに張り詰めた。
オスカー・フォン・ルーヴェンは、
即座に怒鳴らなかった。
それ自体が、珍しい。
「……具体的には?」
声は、低く、抑えられている。
「はい。
関税調整後の輸入量増加に対し、
税収の増加が、想定を下回っております」
数字を示す。
客観的な資料。
感情は、挟まれていない。
「……つまり?」
「どこかで、
計算に用いている前提が、
現実とズレている可能性が」
そこまで言って、
会計官は、言葉を止めた。
フローラ・エヴァンスが、
ゆっくりと口を開いたからだ。
「殿下」
いつも通りの、穏やかな声。
「この件は、
現場の混乱による一時的な誤差ではないでしょうか」
即座に、代替案が提示される。
オスカーは、
無意識のうちに、そちらを見る。
「……そうか?」
「はい」
フローラは、淡々と続ける。
「制度が変わった直後は、
どうしても数値が安定しません」
理屈としては、正しい。
だが。
会計官は、わずかに眉をひそめた。
「確かに、その可能性はありますが……
過去の事例と比較すると」
その瞬間。
オスカーの視線が、鋭くなる。
「比較?」
その一言に、
会計官は、背筋を正した。
「……失礼しました」
それ以上、踏み込まない。
フローラは、
その様子を静かに見つめている。
(……危ない)
内心で、そう判断する。
数字は、
感情を通さない。
だからこそ、
最も危険だ。
その夜。
フローラは、自室で静かに考えていた。
(誰かが、数字を繋げている)
意図的ではない。
だが、
点が集まり始めている。
(……マルティナ)
確信に近い。
あの女は、
正面から殴らない。
証拠を突きつけもしない。
ただ、
見せる。
「ほら、合わないでしょう?」と。
(厄介)
だが、
まだ余裕はある。
数字は、解釈次第で
どうとでも転ぶ。
問題は――
オスカーが、どちらの解釈を選ぶか。
一方。
マルティナは、
最後の確認を終えていた。
彼女が作ったのは、
報告書ではない。
比較表。
誰が見ても、
「おかしい」とは言い切れない。
だが、
「気づく人には、気づく」形。
(これでいい)
彼女は、書類を封筒に入れた。
宛先は、一人。
王城内部で、
まだ“数字”を信じている人物。
名前は、書かない。
匿名で、
淡々と。
(選ぶのは、
オスカー)
自分ではない。
フローラでもない。
彼自身が、
「都合のいい説明」と
「合わない現実」の
どちらを取るのか。
その選択を、
避けさせないための、
材料を置くだけ。
それが、
マルティナのやり方だった。
翌日。
オスカーは、
一人で執務室に残っていた。
机の上には、
二種類の資料。
フローラが示した、
「一時的誤差」の説明。
そして、
どこからともなく届いた、
匿名の比較表。
数字は、
静かに語っている。
オスカーは、
初めて、
誰の声も聞かずに、資料を眺めた。
胸の奥で、
小さな、だが確かな不安が芽生える。
「……合わない」
それは、
彼自身の言葉だった。
完璧だったはずの履歴が、
少しずつ、
だが確実に、
崩れ始めている。
そして、その崩れは、
人の言葉ではなく――
現実そのものだった。
違和感は、ついに“形”を持った。
それは噂でも、感情でもない。
ましてや、告発でも陰謀でもない。
――ただの、帳尻のズレ。
マルティナ・ヴァインベルクは、机に並べた帳簿を見下ろしていた。
王城から直接持ち出されたものではない。
各地の商会、会計士、交易窓口。
すべて、正式な公開記録だ。
(……合わない)
数字が、微妙に食い違っている。
関税率の変更。
輸入量の増加。
国内流通量の減少。
どれも単体で見れば、
「よくある誤差」で済まされる範囲だ。
だが、
同じ時期、同じ方向にだけズレている。
(偶然じゃない)
マルティナは、静かに息を吸った。
(でも、誰かが意図して操作した形跡もない)
ここが、最も重要だった。
帳簿は、正しい。
書類も、正規のもの。
問題は――
判断の基準が、歪んだまま使われていること。
(判断者が、
現実を見ていない)
その結論に、迷いはなかった。
そして、その判断者のすぐそばに、
現実を遮断する存在がいる。
フローラ・エヴァンス。
その名が、
自然に浮かび上がる。
一方、王城。
執務室に、珍しく二人きりではない時間が訪れていた。
「殿下」
古参の会計官が、慎重に言葉を選ぶ。
「最新の交易報告ですが……
いくつか、数字の整合性が取れない部分がございます」
その瞬間、
室内の空気が、わずかに張り詰めた。
オスカー・フォン・ルーヴェンは、
即座に怒鳴らなかった。
それ自体が、珍しい。
「……具体的には?」
声は、低く、抑えられている。
「はい。
関税調整後の輸入量増加に対し、
税収の増加が、想定を下回っております」
数字を示す。
客観的な資料。
感情は、挟まれていない。
「……つまり?」
「どこかで、
計算に用いている前提が、
現実とズレている可能性が」
そこまで言って、
会計官は、言葉を止めた。
フローラ・エヴァンスが、
ゆっくりと口を開いたからだ。
「殿下」
いつも通りの、穏やかな声。
「この件は、
現場の混乱による一時的な誤差ではないでしょうか」
即座に、代替案が提示される。
オスカーは、
無意識のうちに、そちらを見る。
「……そうか?」
「はい」
フローラは、淡々と続ける。
「制度が変わった直後は、
どうしても数値が安定しません」
理屈としては、正しい。
だが。
会計官は、わずかに眉をひそめた。
「確かに、その可能性はありますが……
過去の事例と比較すると」
その瞬間。
オスカーの視線が、鋭くなる。
「比較?」
その一言に、
会計官は、背筋を正した。
「……失礼しました」
それ以上、踏み込まない。
フローラは、
その様子を静かに見つめている。
(……危ない)
内心で、そう判断する。
数字は、
感情を通さない。
だからこそ、
最も危険だ。
その夜。
フローラは、自室で静かに考えていた。
(誰かが、数字を繋げている)
意図的ではない。
だが、
点が集まり始めている。
(……マルティナ)
確信に近い。
あの女は、
正面から殴らない。
証拠を突きつけもしない。
ただ、
見せる。
「ほら、合わないでしょう?」と。
(厄介)
だが、
まだ余裕はある。
数字は、解釈次第で
どうとでも転ぶ。
問題は――
オスカーが、どちらの解釈を選ぶか。
一方。
マルティナは、
最後の確認を終えていた。
彼女が作ったのは、
報告書ではない。
比較表。
誰が見ても、
「おかしい」とは言い切れない。
だが、
「気づく人には、気づく」形。
(これでいい)
彼女は、書類を封筒に入れた。
宛先は、一人。
王城内部で、
まだ“数字”を信じている人物。
名前は、書かない。
匿名で、
淡々と。
(選ぶのは、
オスカー)
自分ではない。
フローラでもない。
彼自身が、
「都合のいい説明」と
「合わない現実」の
どちらを取るのか。
その選択を、
避けさせないための、
材料を置くだけ。
それが、
マルティナのやり方だった。
翌日。
オスカーは、
一人で執務室に残っていた。
机の上には、
二種類の資料。
フローラが示した、
「一時的誤差」の説明。
そして、
どこからともなく届いた、
匿名の比較表。
数字は、
静かに語っている。
オスカーは、
初めて、
誰の声も聞かずに、資料を眺めた。
胸の奥で、
小さな、だが確かな不安が芽生える。
「……合わない」
それは、
彼自身の言葉だった。
完璧だったはずの履歴が、
少しずつ、
だが確実に、
崩れ始めている。
そして、その崩れは、
人の言葉ではなく――
現実そのものだった。
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