『胸の大きさで婚約破棄する王太子を捨てたら、国の方が先に詰みました』

鷹 綾

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第16話「それは、ただの確認だった」

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第16話「それは、ただの確認だった」

 それは、問い詰めるつもりの言葉ではなかった。

 疑っていると悟られないように選んだ言葉でもない。
 責任を押し付けるための罠でもない。

 ――ただの、確認。

 それだけだった。

 オスカー・フォン・ルーヴェンは、執務室で一人、資料を読み返していた。

 フローラが用意した説明書。
 そして、匿名で届いた比較表。

 どちらも、嘘はついていない。
 だが、同時に、
 同じ現実を見ていない。

(……不思議だ)

 オスカーは、無意識に眉を寄せた。

 これまで、迷いはなかった。
 判断は即断で、
 反論はすべて排除してきた。

 それなのに今、
 資料を前にして、
 “分からない”という感覚が残っている。

(俺は……
 いつから、分からなくなった?)

 その問いに、
 すぐ答えは出ない。

 だが、
 胸の奥に、
 小さな違和感が居座っている。

 ノックの音がした。

「殿下」

 聞き慣れた声。

「フローラです」

「……入ってくれ」

 フローラ・エヴァンスは、
 いつもと同じ所作で室内に入る。

 姿勢。
 歩幅。
 視線の角度。

 すべてが、変わらない。

 それが、
 今日に限って、
 オスカーの目に引っかかった。

(……変わらない)

 良いことのはずなのに、
 なぜか、胸がざわつく。

「殿下、お呼びでしょうか」

「ああ」

 オスカーは、
 机の上の資料を指で軽く叩いた。

「少し、聞きたいことがある」

 フローラは、微笑む。

「何なりと」

 即答。
 迷いはない。

 オスカーは、
 その即答に、
 ほんの一瞬だけ間を置いた。

「……この数字についてだ」

 比較表を差し出す。

「匿名で届いたものだが、
 こちらの指摘は、どう思う?」

 それは、
 質問だった。

 否定でも、命令でもない。

 フローラは、資料に目を落とす。

 わずかに、
 ほんのわずかに、
 視線の動きが遅れた。

 それは、
 誰も気づかない程度のズレ。

 だが、
 オスカーは、
 今までとは違っていた。

(……遅れた)

 フローラは、
 すぐに視線を戻し、
 口を開く。

「数値の切り取り方に、
 偏りがあるように見えます」

 冷静な指摘。

「不利な部分だけを、
 抜き出している」

 理屈は通っている。

 だが、
 オスカーは、
 思わず問い返した。

「……では、
 なぜ、
 このズレが毎回、
 同じ方向に出ている?」

 それは、
 準備していなかった質問だった。

 フローラの中で、
 警鐘が鳴る。

(……来た)

 だが、
 表情は変えない。

「制度変更直後の混乱です」

 即答。

「時間が経てば、
 自然に収束します」

 オスカーは、
 ゆっくりと頷いた。

「……そうか」

 だが、
 視線は資料から離れない。

「フローラ」

 名前を呼ぶ。

「君は、
 この数字を、
 本当に“自然なもの”だと
 思っているのか?」

 それは、
 これまで一度もなかった問いだ。

 考えを確認する質問。

 フローラは、
 一瞬だけ、
 言葉を選んだ。

 その一瞬が、
 致命的だった。

(……間)

 オスカーは、
 はっきりと感じ取る。

 これまで、
 彼女は迷わなかった。

 否定も、躊躇も、
 考える間も、
 見せなかった。

 それが今、
 一拍遅れた。

「……殿下が、
 そうお考えなら」

 フローラは、
 慎重に言葉を紡ぐ。

「その判断を、
 私は支持します」

 その答えを聞いた瞬間。

 オスカーの胸に、
 はっきりとした感情が生まれた。

 ――違う。

 それは、
 自分が欲しかった答えではない。

「……俺は、
 君の考えを聞いた」

 オスカーは、
 静かに言った。

「支持ではなく」

 フローラは、
 初めて、
 言葉に詰まった。

 ほんの一瞬。

 だが、
 確かに、詰まった。

「……私は」

 声が、
 わずかに低くなる。

「殿下の判断が、
 常に正しいと、
 信じています」

 その言葉は、
 かつてなら、
 完全な答えだった。

 だが今は。

「……そうか」

 オスカーは、
 目を伏せる。

「今日は、もういい」

 それだけ言って、
 話を切り上げた。

 フローラは、
 一礼し、
 部屋を出る。

 廊下に出た瞬間、
 彼は、
 息を吐いた。

(……危なかった)

 だが、
 同時に理解している。

(もう、
 “聞かれない関係”ではない)

 一方。

 オスカーは、
 一人で椅子に座り続けていた。

 胸の奥に残るのは、
 小さな、だが確かな感覚。

(俺は、
 初めて、
 “考えを聞こうとした”)

 そして、
 返ってきたのは、
 考えではなかった。

「……いつからだ」

 彼は、
 呟く。

「いつから、
 俺は、
 肯定しか
 聞いていなかった?」

 答えは、
 もう、
 分かり始めている。

 だが、
 認めるには、
 まだ怖かった。

 完璧な仮面は、
 まだ剥がれていない。

 だが。

 初めて、
 質問された。

 それだけで、
 世界は、
 確実に動き始めていた。


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