『胸の大きさで婚約破棄する王太子を捨てたら、国の方が先に詰みました』

鷹 綾

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第17話 「名前が、二度出てくる」

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第17話 「名前が、二度出てくる」

 それは、王城の中ではなく、
 王都の外れで起きた、些細な揉め事だった。

「……だから、何度も言っているでしょう」

 苛立ちを隠そうともしない声が、薄暗い詰所に響く。

「私たちは、偽造文書を扱った覚えはありません」

 相手は、地方の商会に所属する元事務員だった。
 不正取引の調査に引っかかり、
 事情聴取を受けている最中だ。

「では、この推薦状は?」

 調査官が、一枚の書類を机に置く。

「筆跡、印章、紙質。
 すべて、あなたの部署が扱っていたものと一致しています」

 男は、しばらく黙り込んだ後、
 観念したように肩を落とした。

「……書いたのは、私です」

 小さな声。

「だが、内容は、
 私が考えたものじゃない」

「誰の指示です?」

 男は、視線を泳がせる。

 言うべきか、
 黙るべきか。

 その葛藤は、
 長くは続かなかった。

「……外部の依頼でした」

 その一言で、
 部屋の空気が変わる。

「名前は?」

 男は、
 しばらく躊躇してから、
 答えた。

「フローラ・エヴァンス様の、
 関係者だと名乗っていました」

 調査官の手が、止まる。

「……もう一度」

「フローラ・エヴァンス様」

 その名前は、
 すでに、別の書類で見たことがあった。

 経歴が薄く、
 整いすぎている婚約者。

 だが、
 この調査は、
 婚約とは無関係の案件だ。

「どのような依頼だった?」

「形式を整えてほしい、と」

 男は、乾いた笑いを浮かべる。

「内容は、
 “本人に都合のいい形で”
 まとめるように、とだけ」

 それは、
 違法と断定するには、
 曖昧な言い方だった。

 だが、
 偶然にしては、重なりすぎている。

 調査官は、
 無言で書類を閉じた。

「今日は、ここまでだ」

 男は、
 ほっとしたように息を吐く。

 だが、
 調査官の目は、
 すでに別の方向を見ていた。

 ――王城。

 ――フローラ・エヴァンス。

 一方、その頃。

 オスカー・フォン・ルーヴェンは、
 執務室で、落ち着かない時間を過ごしていた。

 昨日の会話が、
 頭から離れない。

(考えを、聞いたはずだった)

 だが、
 返ってきたのは、
 “支持”だった。

 それは、
 間違いではない。

 だが――

(俺は、
 いつから、
 支持しか
 受け取らなくなった?)

 ノックの音。

「殿下、失礼します」

 入ってきたのは、
 見慣れない顔の調査官だった。

「何用だ?」

「別件の報告です」

 そう前置きしてから、
 調査官は、慎重に言葉を選ぶ。

「地方商会の不正調査中、
 婚約者様のお名前が出ました」

 その瞬間、
 オスカーの指が、机を叩いた。

「……何だと?」

「直接の関与を示すものではありません」

 調査官は、すぐに補足する。

「ただ、
 過去に作成された推薦状について、
 関係者を名乗る人物から、
 形式調整の依頼があったと」

 オスカーは、
 しばらく黙り込んだ。

 頭の中で、
 昨日の“間”が、
 鮮明に蘇る。

「……フローラは、
 そんなことをする女じゃない」

 それは、
 反射的な言葉だった。

 だが、
 調査官は、
 それを否定しない。

「もちろん、断定はできません」

「では、なぜ報告した」

「……偶然です」

 調査官は、正直に言った。

「ただ、
 同じ名前が、
 別の案件でも出てきた」

 その一言が、
 重かった。

 オスカーは、
 深く息を吐く。

「……分かった」

 しばらく考えた後、
 彼は言った。

「この件は、
 俺が預かる」

 調査官は、
 一礼して部屋を出る。

 残されたのは、
 静寂だけだった。

 一方。

 フローラ・エヴァンスは、
 その夜、
 強い違和感を覚えていた。

(……近い)

 理由は、分からない。

 だが、
 空気が、
 確実に変わっている。

(“偶然”が、
 重なり始めた)

 それは、
 最も厄介な兆候だ。

 人為的な攻撃なら、
 対処できる。

 だが、
 偶然が線を結び始めると、
 誰も止められない。

(……マルティナ)

 彼は、
 もう迷わなかった。

(あの女が、
 動いている)

 だが、
 焦りは見せない。

 焦った瞬間、
 仮面が割れる。

 夜。

 オスカーは、
 一人で書類棚を開いていた。

 フローラの経歴書。
 過去の推薦状。
 匿名の比較表。

 そして、
 今日の報告。

 それらを、
 並べてみる。

「……二度」

 彼は、
 呟く。

「名前が、
 二度、
 出てきた」

 一度なら、
 偶然。

 二度なら、
 確認すべき事実。

 オスカーは、
 初めて、
 書類から目を離し、
 窓の外を見た。

 自分が、
 信じてきたもの。

 信じたかったもの。

 そして、
 信じることで、
 考えなくて済んだ時間。

「……次は」

 彼は、
 静かに言った。

「次は、
 本人に、
 聞くしかないな」

 その言葉は、
 決意ではない。

 だが、
 逃げでもなかった。

 こうして。

 偶然の証言は、
 一本の線となり、
 王太子の目の前に現れた。

 まだ、
 真実ではない。

 だが――
 無視できない形になってしまった。


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