『胸の大きさで婚約破棄する王太子を捨てたら、国の方が先に詰みました』

鷹 綾

文字の大きさ
40 / 40

第40話「選ばれなかった未来へ、もう一度」

しおりを挟む
第40話「選ばれなかった未来へ、もう一度」

 王都は、静かだった。

 嵐もなければ、革命もない。
 だが、確実に――何かが終わっていた。

「……追えない、という結論でよろしいな」

 重臣の言葉に、誰も異を唱えなかった。

 ミュールとの交渉は失敗した。
 いや、正確には――
 交渉の形を取ること自体が、間違いだった。

「彼女は、
 王都を拒絶していない」

「だが、
 王都を選んでもいない」

 その中間。
 最も不安定で、
 最も手が届かない場所。

「……マルティナ・ヴァインベルクは、
 もう“こちら側”ではない」

 その認識が、
 ようやく共有された。

 一方。

 城の奥、
 陽の当たらぬ部屋で、
 オスカー・フォン・ルーヴェンは
 独り、座っていた。

 かつて、
 王太子だった男。

 今は、
 肩書きだけが残る。

(……彼女は、
 最後まで正しかった)

 思い出すのは、
 あの言葉。

「国内の人間を、
 これ以上巻き込むべきではありません」

 あれは、
 助言でも、
 諫言でもなかった。

 予告だったのだ。

(俺が壊す、と)

(だから、
 彼女は離れた)

 胸の奥で、
 何かが崩れる音がした。

 それは、
 後悔でも、
 怒りでもない。

 理解だった。

 同時に、
 取り返しのつかない事実。

 マルティナは、
 もう戻らない。

 王都ではなく、
 王太子でもなく。

 “自分の判断を持たない世界”に。

 一方、ミュール。

 朝の空気は澄んでいた。

 マルティナ・ヴァインベルクは、
 簡素な書斎で、
 最後の報告書に目を通していた。

「……王都は、
 これ以上、
 踏み込まないでしょう」

 レオンハルトの声。

「ええ」

 彼女は、
 静かに頷く。

「理解したのね」

「追えない、と」

「ええ」

 それは、
 勝利ではない。

 区切りだ。

「……後悔は?」

 レオンハルトは、
 慎重に尋ねた。

 マルティナは、
 少し考え――
 首を横に振る。

「ありません」

「私は、
 選ばれなかった」

「でも――」

 言葉を切り、
 はっきりと告げる。

「自分で、
 選び直した」

 それが、
 すべてだった。

 王都にいれば、
 また“調整役”に戻っただろう。

 誰かの失言を修正し、
 誰かの暴走を止め、
 誰かの失敗を
 なかったことにする。

(……それは、
 私の人生じゃない)

 この場所では、
 違う。

 誰も、
 彼女に期待しすぎない。

 誰も、
 責任を押し付けない。

 必要なら、
 口を出す。

 不要なら、
 黙る。

 それが許される。

「これから、
 どうされますか」

 レオンハルトの問いに、
 マルティナは
 窓の外を見る。

 市場の声。
 子どもたちの笑い声。
 働く人々の足音。

「……続けます」

「この仕組みを」

「“誰かが欠けても回る形”を」

 それは、
 王都では決してできなかったこと。

 だからこそ――
 彼女は、
 ここにいる。

 数日後。

 王都に、
 正式な通達が届いた。

 ミュールは、
 独立した都市連携圏として
 認められる。

 条件は、
 最低限。

 その文書の中に、
 マルティナ・ヴァインベルクの名はない。

 だが、
 誰もが知っていた。

 これは、
 彼女の選択が生んだ未来だと。

 マルティナは、
 その知らせを受けても、
 特別な感情を見せなかった。

 ただ、
 小さく息を吐く。

(……終わった)

 婚約も、
 王太子も、
 王都も。

 すべて。

 そして同時に――
 始まった。

 誰かに選ばれる人生ではない。
 誰かを支えるためだけの人生でもない。

 自分で選び、
 自分で引き受け、
 自分で降りられる人生。

 それが、
 マルティナ・ヴァインベルクの
 答えだった。

 彼女は、
 もう振り返らない。

 振り返る必要が、
 ないからだ。

 王都は、
 遠くにある。

 だが、
 過去に戻る道は、
 もう存在しない。

 それでいい。

 それがいい。

 マルティナは、
 静かに歩き出した。

 選ばれなかった未来へ、
 もう一度。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。

ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」 実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて…… 「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」 信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。 微ざまぁあり。

婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?

ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」  華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。  目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。  ──あら、デジャヴ? 「……なるほど」

旦那様は離縁をお望みでしょうか

村上かおり
恋愛
 ルーベンス子爵家の三女、バーバラはアルトワイス伯爵家の次男であるリカルドと22歳の時に結婚した。  けれど最初の顔合わせの時から、リカルドは不機嫌丸出しで、王都に来てもバーバラを家に一人残して帰ってくる事もなかった。  バーバラは行き遅れと言われていた自分との政略結婚が気に入らないだろうと思いつつも、いずれはリカルドともいい関係を築けるのではないかと待ち続けていたが。

【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?

ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。 卒業3か月前の事です。 卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。 もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。 カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。 でも大丈夫ですか? 婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。 ※ゆるゆる設定です ※軽い感じで読み流して下さい

勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。 いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。 ただし、後のことはどうなっても知りませんよ? * 他サイトでも投稿 * ショートショートです。あっさり終わります

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

始まりはよくある婚約破棄のように

喜楽直人
恋愛
「ミリア・ファネス公爵令嬢! 婚約者として10年も長きに渡り傍にいたが、もう我慢ならない! 父上に何度も相談した。母上からも考え直せと言われた。しかし、僕はもう決めたんだ。ミリア、キミとの婚約は今日で終わりだ!」 学園の卒業パーティで、第二王子がその婚約者の名前を呼んで叫び、周囲は固唾を呑んでその成り行きを見守った。 ポンコツ王子から一方的な溺愛を受ける真面目令嬢が涙目になりながらも立ち向い、けれども少しずつ絆されていくお話。 第一章「婚約者編」 第二章「お見合い編(過去)」 第三章「結婚編」 第四章「出産・育児編」 第五章「ミリアの知らないオレファンの過去編」連載開始

処理中です...