働きませんわ。それでも王妃になります

鷹 綾

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4話 見えていない支え

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4話 見えていない支え

 王宮財務局の会議室は、朝からざわついていた。

「……保証更新の確認はまだか」

 財務官長が机を叩く。

「ルヴァリエ公爵家からの正式な返答は、未着でございます」

「未着だと?」

 港湾拡張事業は、王国最大の公共計画だ。隣国との交易を強化し、税収を増やす未来の要。だが、その資金の大半は国外銀行からの借款で賄われている。

 そしてその融資条件に記されている一文。

 ――ルヴァリエ公爵家の連帯保証。

「期限まであと十日だぞ」

 財務官長の額に汗が滲む。

 これまでは形式的な更新だった。毎年同じ文面で、公爵家が保証を継続する。それが当然の流れだった。

 だから誰も深く考えていなかった。

 それが“前提”になっていた。

 

 同じ頃、王太子アレクシスは執務机に向かい、苛立ちを隠せずにいた。

「またルヴァリエ家か」

 差し出された報告書に目を走らせる。

「保証更新がなければ、融資実行は一時停止の可能性がございます」

 レオンが静かに補足する。

「だが、あれは毎年の儀礼のようなものだろう」

「はい。これまでは」

 その“これまでは”という言葉が、妙に引っかかった。

「エルフィーナは何をしている」

「特に目立った動きはございません」

「……相変わらずか」

 彼女は何もしない。

 何も言わない。

 だが、なぜだろう。

 彼女が沈黙しているほど、周囲がざわつく。

 

 ルヴァリエ公爵邸。

 エルフィーナは温室の中で、ゆったりと花を眺めていた。

 色とりどりの薔薇が咲き誇り、柔らかな香りが満ちている。彼女は白い手袋をはめたまま、一輪を指先で軽く撫でた。

「港湾事業の保証更新、期限が近いわね」

「はい、お嬢様」

 家宰が控えめに答える。

「王宮からは何か言ってきている?」

「催促の使者が二度ほど」

「そう」

 エルフィーナは視線を薔薇から外さない。

「返答は?」

「保留のままでございます」

「それでいいわ」

 家宰は一瞬だけ言葉を選んだ。

「更新なさらないおつもりですか」

 エルフィーナは、ようやく彼を振り返る。

「私は、王家のために働く立場ではないでしょう?」

 穏やかな声だった。

 だがその奥に、はっきりとした線引きがある。

「保証は善意ではないわ。契約よ」

「……はい」

「婚約が維持され、信頼があるからこそ続けられるもの。そうでなくなれば、見直すのが当然でしょう?」

 理屈は明快だった。

 彼女は怒っていない。

 報復しようともしていない。

 ただ、条件を再評価しているだけ。



 王都最大の商会――ルヴァリエ商会。

 執務室では番頭たちが集まり、王家関連の取引一覧を広げていた。

「王宮向け食糧供給契約は三か月更新型」

「医療品の優先納入も同様」

「保証が外れれば、価格条件は再交渉になる」

 数字が並ぶ。

 だがそれは単なる帳簿ではない。

 王都の流通の血流だ。

 その多くが、ルヴァリエ家を経由している。

 表向き、エルフィーナは何もしていない。

 だが彼女の署名一つで、流れは変わる。



 王宮。

「公爵家が、条件再検討を求めている?」

 財務官長の報告に、アレクシスは眉をひそめる。

「再検討とは何だ」

「保証料率の引き上げ、並びに王宮支出の透明化要求」

「馬鹿な」

 これまでそんな条件はなかった。

 なぜ今になって。

「殿下」

 レオンが低く告げる。

「これは、敵意ではありません」

「なら何だ」

「正常な契約見直しです」

 その言葉に、アレクシスは言い返せない。

 違法でもない。

 不当でもない。

 ただの再交渉。

 だが、その影響は大きい。

「……エルフィーナの差し金か」

「おそらく」

「彼女は何もしていないのではなかったのか」

 その問いに、レオンは静かに目を伏せた。

「何もしていない、とは“表に出ていない”という意味かと」

 アレクシスの胸に、微かな違和感が芽生える。

 彼女は本当に、何もしていなかったのか。

 ◇

 夜。

 エルフィーナは書斎で一通の書簡に目を通していた。

 国外銀行からの通知。

 保証条件の再確認依頼。

「……そう」

 彼女は羽ペンを取り、簡潔な返答を書く。

 条件は維持。

 ただし、契約主体の再評価が前提。

 それだけ。

「お嬢様」

 マリアがそっと声をかける。

「殿下とのご関係が、このまま変われば……」

「変わるでしょうね」

 エルフィーナは淡々と答える。

「光は、強く輝くほど影を濃くするもの」

 聖女という光が王太子の心を占めるほど、彼との婚約は形式だけになる。

 形式だけの婚約に、無条件の保証は不要。

「私は働かないわ」

 彼女はペンを置き、静かに立ち上がる。

「ただ、契約を整理しているだけ」

 それだけで、王宮は揺れ始めている。

 見えていなかった支え。

 当たり前だと思われていた土台。

 それが今、初めて意識され始めていた。
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