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12話 流通の乱れ
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12話 流通の乱れ
王都中央市場は、朝から妙なざわめきに包まれていた。
いつもなら活気ある掛け声と値段交渉の声が響き渡る場所だが、今日はどこか落ち着かない。穀物商の前にはいつもより長い列ができ、客たちは袋の重さを確かめながら顔をしかめている。
「昨日よりまた上がっているじゃないか」
「仕入れ値が上がってるんだよ。文句は倉庫に言ってくれ」
商人は苦い顔で肩をすくめる。
小麦の価格が、わずかに上昇していた。
劇的な値上がりではない。だが日々の暮らしに直結する品だけに、敏感に受け止められる。
市場の奥では、別の会話が交わされていた。
「王宮向けの優先出荷が止まったらしい」
「止まったというより、条件変更だと」
「ルヴァリエ商会が再評価しているとか」
名前が出るたび、声は少しだけ低くなる。
ルヴァリエ。
王都最大の流通網を持つ家。
穀物の集荷、倉庫管理、卸売。王宮への優先供給も長年担ってきた。
その動きが鈍れば、市場は敏感に反応する。
同じ頃、王宮財務局では新たな報告が上がっていた。
「穀物価格が上昇しております」
「一時的なものだろう」
財務官長は答えるが、声に自信はない。
「王宮向け優先契約の条件変更が影響していると見られます」
「優先契約は維持されているのではないのか」
「維持はされています。ただし、支払い条件が短縮され、遅延金が通常利率に」
これまで王宮は、支払いを多少遅らせても問題にならなかった。特別扱いだったからだ。
だが今は違う。
「支払いを前倒ししなければ、供給量が減る可能性がございます」
財務官長は椅子に深く沈み込んだ。
保証停止に続き、流通の圧力。
どれも合法で、理屈に沿っている。
「王太子殿下へ報告を」
王太子アレクシスは、穀物価格の推移表を睨んでいた。
「たかが数パーセントだろう」
「民にとっては重大です」
レオンの声は静かだ。
「食卓に直結する問題ですから」
「公爵家はここまでやるのか」
「やってはおりません」
レオンは即座に否定する。
「王宮の与信が変わっただけです。商人は損を避ける。自然な動きです」
自然。
その言葉が、最近やけに重い。
「彼女は本当に何もしていないのか」
「契約を通常に戻しただけです」
王太子は拳を握る。
婚約破棄は、理想に基づく決断だった。
だが今、数字と価格がそれに反応している。
「民が困る」
「一時的でしょう」
「一時的であっても、困る」
アレクシスの視線が揺れる。
王として、民の生活を守らねばならない。
だがそのための資金も信用も、今は不安定だ。
その頃、ルヴァリエ公爵邸では朝の報告が行われていた。
「市場価格、予測通り上昇しております」
「どの程度」
「三から五パーセント」
エルフィーナは紅茶を口に含み、静かに頷く。
「過剰な上昇ではないわね」
「はい。投機的な動きは抑えられております」
「良いことだわ」
彼女は帳簿に目を通す。
王宮向けの供給契約は維持されている。だが特別価格は消えた。支払いが滞れば、供給も調整される。
「お嬢様、民の不満が高まる可能性が」
「価格が倍になれば問題ね。でも今は違う」
彼女は淡々と言う。
「市場は不安に反応しているだけ」
「不安」
「保証停止、融資凍結。信用が揺らげば、商人は慎重になる」
それは当然のこと。
誰も王家を敵視しているわけではない。
ただ、リスクを計算しているだけ。
「私は何も命じていないわ」
エルフィーナは微笑む。
「命じる必要もない」
契約が変われば、市場が動く。
市場が動けば、価格が揺れる。
彼女はその連鎖を理解している。
王都では、小麦を抱えた主婦がため息をついていた。
「少しずつ上がっているわね」
「来月はどうなるのかしら」
不安は小さい。
だが確実に広がる。
神殿では炊き出しの規模が縮小し、市場では価格がじわりと上がる。
王宮では数字が再計算される。
すべては静かに、しかし確実に繋がっている。
王太子は窓辺に立ち、王都を見下ろした。
人々の暮らし。
自分が守るべきもの。
「レオン」
「はい」
「再契約を急げ」
「承知いたしました」
王太子の声には焦りが混じる。
理想だけでは、価格は下がらない。
一方、エルフィーナはテラスで風を感じていた。
「王宮は動くわね」
「はい」
「それでいいの」
彼女は静かに言う。
「私は働かないと決めたもの」
走らない。
叫ばない。
攻撃しない。
ただ契約を整えただけ。
それだけで、王都の流れはわずかに乱れた。
その乱れがどこへ向かうのか。
彼女は椅子に座ったまま、静かに見守っている。
王都中央市場は、朝から妙なざわめきに包まれていた。
いつもなら活気ある掛け声と値段交渉の声が響き渡る場所だが、今日はどこか落ち着かない。穀物商の前にはいつもより長い列ができ、客たちは袋の重さを確かめながら顔をしかめている。
「昨日よりまた上がっているじゃないか」
「仕入れ値が上がってるんだよ。文句は倉庫に言ってくれ」
商人は苦い顔で肩をすくめる。
小麦の価格が、わずかに上昇していた。
劇的な値上がりではない。だが日々の暮らしに直結する品だけに、敏感に受け止められる。
市場の奥では、別の会話が交わされていた。
「王宮向けの優先出荷が止まったらしい」
「止まったというより、条件変更だと」
「ルヴァリエ商会が再評価しているとか」
名前が出るたび、声は少しだけ低くなる。
ルヴァリエ。
王都最大の流通網を持つ家。
穀物の集荷、倉庫管理、卸売。王宮への優先供給も長年担ってきた。
その動きが鈍れば、市場は敏感に反応する。
同じ頃、王宮財務局では新たな報告が上がっていた。
「穀物価格が上昇しております」
「一時的なものだろう」
財務官長は答えるが、声に自信はない。
「王宮向け優先契約の条件変更が影響していると見られます」
「優先契約は維持されているのではないのか」
「維持はされています。ただし、支払い条件が短縮され、遅延金が通常利率に」
これまで王宮は、支払いを多少遅らせても問題にならなかった。特別扱いだったからだ。
だが今は違う。
「支払いを前倒ししなければ、供給量が減る可能性がございます」
財務官長は椅子に深く沈み込んだ。
保証停止に続き、流通の圧力。
どれも合法で、理屈に沿っている。
「王太子殿下へ報告を」
王太子アレクシスは、穀物価格の推移表を睨んでいた。
「たかが数パーセントだろう」
「民にとっては重大です」
レオンの声は静かだ。
「食卓に直結する問題ですから」
「公爵家はここまでやるのか」
「やってはおりません」
レオンは即座に否定する。
「王宮の与信が変わっただけです。商人は損を避ける。自然な動きです」
自然。
その言葉が、最近やけに重い。
「彼女は本当に何もしていないのか」
「契約を通常に戻しただけです」
王太子は拳を握る。
婚約破棄は、理想に基づく決断だった。
だが今、数字と価格がそれに反応している。
「民が困る」
「一時的でしょう」
「一時的であっても、困る」
アレクシスの視線が揺れる。
王として、民の生活を守らねばならない。
だがそのための資金も信用も、今は不安定だ。
その頃、ルヴァリエ公爵邸では朝の報告が行われていた。
「市場価格、予測通り上昇しております」
「どの程度」
「三から五パーセント」
エルフィーナは紅茶を口に含み、静かに頷く。
「過剰な上昇ではないわね」
「はい。投機的な動きは抑えられております」
「良いことだわ」
彼女は帳簿に目を通す。
王宮向けの供給契約は維持されている。だが特別価格は消えた。支払いが滞れば、供給も調整される。
「お嬢様、民の不満が高まる可能性が」
「価格が倍になれば問題ね。でも今は違う」
彼女は淡々と言う。
「市場は不安に反応しているだけ」
「不安」
「保証停止、融資凍結。信用が揺らげば、商人は慎重になる」
それは当然のこと。
誰も王家を敵視しているわけではない。
ただ、リスクを計算しているだけ。
「私は何も命じていないわ」
エルフィーナは微笑む。
「命じる必要もない」
契約が変われば、市場が動く。
市場が動けば、価格が揺れる。
彼女はその連鎖を理解している。
王都では、小麦を抱えた主婦がため息をついていた。
「少しずつ上がっているわね」
「来月はどうなるのかしら」
不安は小さい。
だが確実に広がる。
神殿では炊き出しの規模が縮小し、市場では価格がじわりと上がる。
王宮では数字が再計算される。
すべては静かに、しかし確実に繋がっている。
王太子は窓辺に立ち、王都を見下ろした。
人々の暮らし。
自分が守るべきもの。
「レオン」
「はい」
「再契約を急げ」
「承知いたしました」
王太子の声には焦りが混じる。
理想だけでは、価格は下がらない。
一方、エルフィーナはテラスで風を感じていた。
「王宮は動くわね」
「はい」
「それでいいの」
彼女は静かに言う。
「私は働かないと決めたもの」
走らない。
叫ばない。
攻撃しない。
ただ契約を整えただけ。
それだけで、王都の流れはわずかに乱れた。
その乱れがどこへ向かうのか。
彼女は椅子に座ったまま、静かに見守っている。
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