婚約破棄された悪役令嬢ですが、英雄にも聖女にもなりません

鷹 綾

文字の大きさ
16 / 38

第16話 噂が形になる日

しおりを挟む
第16話 噂が形になる日

 アルヴェルの朝は、いつもより騒がしかった。

 宿の一階、簡素な食堂でパンをかじっていると、あちこちから聞こえてくる声が耳に入る。

「聞いたか? 昨日の広場の騒ぎ」 「ああ、回復薬の件だろ」 「新人の冒険者が止めたって話だ」

 ――やっぱり。

 私は、何食わぬ顔で紅茶を口に運ぶ。
 心臓の奥が、じくりと痛んだ。

(もう“無関係”ではいられない)

 昨日は、ほんの一言。
 それだけで済ませたつもりだった。

 けれど、アルヴェルは大きな街ではない。
 良くも悪くも、噂はすぐに形を持つ。

 ギルドへ向かう途中、通りですれ違う人々の視線が、わずかに変わっているのを感じた。
 好奇心。
 探るような目。

 悪意ではない。
 けれど、それが一番厄介だった。

(注目は、危険)

 ギルドの扉を押し開けると、いつも以上に人が多い。
 依頼掲示板の前では、冒険者たちが声を張り上げていた。

「薬が足りねぇんだよ!」 「この前の回復薬、効きが悪かったぞ!」

 受付の赤毛の女性が、対応に追われている。

「落ち着いて! 在庫は順次補充します!」

 その横顔を見て、胸の奥がざわついた。

(……このままだと、誰かが怪我をする)

 私は、一歩だけ前へ出る。
 ほんの一歩。

 それだけで、いくつかの視線がこちらに向いた。

「……あの」

 自分の声が、思ったよりも通った。

「粗悪な回復薬が出回っています。
 正規のもの以外は、使用前に必ず確認してください」

 一瞬の静寂。

「誰だ?」 「お前、昨日の……」

 ざわめきが広がる。

 私は、それ以上言わなかった。
 言えなかった。

 そこへ――。

「……そこまでだ」

 低く、落ち着いた声がギルド内に響いた。

 振り返ると、入口に立っていたのは――ルーカスだった。

 銀色の甲冑。
 騎士団長の威圧感。

 場の空気が、一気に引き締まる。

「王国騎士団としても、粗悪な回復薬の流通は問題視している」

 彼はそう言って、周囲を見渡す。

「この件は、騎士団が調査する。
 ギルドは、通常業務に戻ってくれ」

 ざわめきは、徐々に収まっていった。

 人が散っていく中、私はその場に立ち尽くす。

(……来た)

 隠していたつもりの距離が、
 一気に縮まった感覚。

 ルーカスは、私の前に立つと、声を落とした。

「……昨日の件、君だな」

 否定はしなかった。
 否定できなかった。

「……はい」

 短く答える。

 彼は、ため息をついた。

「無茶をするな。
 君は、まだ“名のない冒険者”でいるべきだ」

「……分かっています」

 分かっている。
 本当に、分かっている。

「だが」

 ルーカスは、私の目を真っ直ぐに見た。

「それでも君は、黙っていられなかった」

 責める声音ではない。
 むしろ――確かめるような響き。

「……誰かが、傷つくのが見えたからです」

 そう答えると、彼は一瞬だけ目を伏せた。

「……やはりな」

 彼は、静かに続ける。

「君のような人間は、
 この国では――危険だ」

 心臓が、嫌な音を立てた。

「正しいことをする人間ほど、
 都合の悪い存在になる」

 その言葉に、私は息を呑む。

 ――知っている。
 嫌というほど。

「だが」

 ルーカスは、ふっと微笑んだ。

「……だからこそ、守られる価値がある」

 その一言が、胸に落ちた。

 私は、思わず目を伏せる。

「私は……名を上げるつもりはありません」

「だろうな」

「でも……何もしないことも、選べません」

 沈黙が流れる。

 やがて、ルーカスは一歩、後ろへ下がった。

「分かった。
 しばらくの間、騎士団は君に直接関与しない」

「……!」

「だが、完全に無関係というわけにもいかない」

 彼は、真剣な表情で言った。

「噂は、もう動き始めている。
 君が思っている以上に」

 私は、静かに頷いた。

(……ここから先は)

(“選ばされる”のではなく)

(“選ぶ”しかない)

 ギルドを出ると、空はどこまでも澄んでいた。

 風が吹き、外套の裾が揺れる。

 私は、胸に手を当てる。

 そこにある力は、もう“眠っているだけの可能性”ではない。

 人を救い、
 噂を生み、
 運命を動かし始めている。

「……静かに生きるつもりだったのに」

 小さく、苦笑する。

 けれど、後悔はなかった。

 処刑エンドから逃げるだけの人生は、
 いつの間にか――
 誰かを守る選択を含む人生へと、姿を変えていた。

 そしてその変化は、
 もう誰にも止められないところまで来ている。

 噂は、形になった。

 次に動くのは――
 私か、それとも世界か。

 答えは、そう遠くない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています

由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、 悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。 王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。 だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、 冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。 再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。 広場で語られる真実。 そして、無自覚に人を惹きつけてしまう リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。 これは、 悪役令嬢として断罪された少女が、 「誰かの物語の脇役」ではなく、 自分自身の人生を取り戻す物語。 過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、 彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。

四の五の言わず離婚届にサインをしてくれません?

白雲八鈴
恋愛
アルディーラ公爵夫人であるミレーネは、他の人からみれば羨ましいと思える立場にいた。 王妹の母譲りの美人の顔立ち、公爵夫人として注目を集める立場、そして領地の運営は革命と言えるほど領地に潤いを与えていた。 だが、そんなミレーネの心の中にあるのは『早く離婚したい』だった。 順風満帆と言えるミレーネは何が不満なのか。その原因は何か。何故離婚できないのか。 そこから始まる物語である。

婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです

藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。 家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。 その“褒賞”として押しつけられたのは―― 魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。 けれど私は、絶望しなかった。 むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。 そして、予想外の出来事が起きる。 ――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。 「君をひとりで行かせるわけがない」 そう言って微笑む勇者レオン。 村を守るため剣を抜く騎士。 魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。 物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。 彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。 気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き―― いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。 もう、誰にも振り回されない。 ここが私の新しい居場所。 そして、隣には――かつての仲間たちがいる。 捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。 これは、そんな私の第二の人生の物語。

【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜

Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

悪役令嬢の慟哭

浜柔
ファンタジー
 前世の記憶を取り戻した侯爵令嬢エカテリーナ・ハイデルフトは自分の住む世界が乙女ゲームそっくりの世界であり、自らはそのゲームで悪役の位置づけになっている事に気付くが、時既に遅く、死の運命には逆らえなかった。  だが、死して尚彷徨うエカテリーナの復讐はこれから始まる。 ※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。 ※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。 「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。 「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。

10日後に婚約破棄される公爵令嬢

雨野六月(旧アカウント)
恋愛
公爵令嬢ミシェル・ローレンは、婚約者である第三王子が「卒業パーティでミシェルとの婚約を破棄するつもりだ」と話しているのを聞いてしまう。 「そんな目に遭わされてたまるもんですか。なんとかパーティまでに手を打って、婚約破棄を阻止してみせるわ!」「まあ頑張れよ。それはそれとして、課題はちゃんとやってきたんだろうな? ミシェル・ローレン」「先生ったら、今それどころじゃないって分からないの? どうしても提出してほしいなら先生も協力してちょうだい」 これは公爵令嬢ミシェル・ローレンが婚約破棄を阻止するために(なぜか学院教師エドガーを巻き込みながら)奮闘した10日間の備忘録である。

処理中です...